10.だってわたしも、人間じゃないすもん
「……人間は、信じてみてもいいもんだと思いますよ」
クロエが言う。
じぶんが、長々と語ってしまっていたことに、リュリュはようやく気がついた。誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。誰かと交流をしたかったのかもしれない。
二週間まえから。いやひょっとしたら、ずっとまえから。
「むかしむかしの話っすけどね。わたしもひとりだったんす。親を亡くして、毎日毎日怖くてたまらなかったころの話っす。周りにいるひと全員が敵に見えたし、人間なんてとくに信じることができなかった。今日生きるのが精いっぱいで、今日生きのびるのが唯一の目標で、その先のことなんて考えてみたこともなくて。
そんな生活に、はじめて光が射したのが、あるひととの出会いだったんです。
生まれてはじめて、わたしは、ひとに手をさしのべられた」
クロエが、ふふ、と自嘲気味に笑う。
「そのときはほんと、怖くてね。うっかり逃げ出してしまって事故に遭って、おかげで人生激変しちゃいましたけど。
それでも、うれしかった。
うれしいって気持ちを、そのときはじめて感じたんです。この、胸があったかいような、くるしいような気持ちが、『うれしい』なんだって」
胸を押さえたクロエは、いままでの表情が嘘だったかのように、おだやかな顔で笑っていた。
「結局、そのひととははぐれちゃったし、その後の人生で、腐った人間たちにたくさん会いましたし、人間がよきものであるだなんて、思えはしなかったっすけど。でも、長い長い時間を経て、ようやく再会したそのひとは――まちがいなく、思ってたとおりのひとでした」
だからね、とクロエはリュリュを振り向いた。
「なかには、いるもんです。そういう人間が。目のまえのひとをすべて信じろとは言いませんけど、じぶんの感覚で、このひとを信じたいと思ったなら……それに従ってみるのも、いいかもしれないっす。
なにせ、わたしたちにはあれがありますからね、ほら、女の勘ってヤツ」
にゃふふ、とクロエは笑った。
「……わたしは、騙されたの」
「うん」
「ほんとうだと思ったことばが、嘘だったの。あなたのときとは違うよ、クロエ。あなたは善人に会えたのかもしれないけど、わたしが会ったのは悪人だった。信じたことばは、全部全部嘘っぱちだったの」
「そうすかね」
「あなたとは違う。わたしはエルフだもの。近づいてくるのは、欲得尽くの悪人ばかりだよ。信じるほうが馬鹿だったの。人間を信じろ人間を信じろって言うけど、あなただって人間じゃない。人間は人間にやさしくするかもしれない。でも、人間がエルフにやさしくすることなんて、ない」
「あるっすよ」
「絶対にない」
「あるんです。だってわたしも、人間じゃないすもん」
え?
問い返す声は、大歓声によって掻き消された。
「さーあ皆様! 長らく、お待たせ致しました。本日の目玉商品はなんと二つ!
森の奥に隠れ住む、真っ白なエルフの乙女!
都会のなかに潜む、褐色のダークエルフの少女!
希少種二人のご登場だ!」
筋骨隆々の上半身をさらした男たちが、牢ごとにリュリュたちを持ち上げる。隣のクロエが入った牢も同様に持ち上げられ、そのときはらりとクロエのフードが落ちる。
長い耳が、露わとなった。
褐色の肌。長い耳。
まぎれもない、ダークエルフの特徴だった。
白く透き通るような肌が特徴であるエルフのなかに、数百年に一人だけ生まれるという、褐色肌の突然変異種。エルフよりもさらに希少種ではあるものの、その肌の色ゆえにエルフたちにも忌み嫌われ、共同体を追われることも多いと言う。
二人の牢が、それぞれ、ステージの上に置かれる。
まぶしい照明と、どよめきの声とが、リュリュたちを迎えた。
おびただしい視線が、リュリュたちを眺めまわしている。
品定め――だろう。
いま、わたしは商品価値を見定められている。容姿、立ち居振る舞い、表情、反応、すべてに値段がつけられている。目のまえのこれに、いくら払ってもいいか。じぶんの所有物とするに足るだけのものであるか。
あまりにも無遠慮で暴力的な視線が、リュリュの体を舐めまわす。
鳥肌が立った。全身が震えた。
怖い。怖い。怖い――。
「だいじょうぶっすよ、うーりゅ」
クロエが言う。
クロエは堂々と、集められる視線を受け止めている。挑むような目を、彼らに返してみせている。
「怖がる必要はないっす。
視線でひとは死にません。覚悟を持って受け止めていれば、なんてことはありません。
でもね。視線でひとを傷つけてやることは、できます」
鋭い目で、クロエは一点を睨みつけた。
おお、というどよめき。
クロエの視線の恐怖に、仮面をかぶった婦人のひとりが気をうしなったのだ。どうだ、という顔で、クロエはこちらに向かって笑いかけてくる。
「ね。……両手を縛られていたって、こころでは抗いつづけることができるっす」
ひとかけらの勇気が、リュリュのなかに生まれた。
唇を噛みしめる。
そしてまえを向き、堂々と視線を持ち上げた。
「おーっと、気の強い二人組です! ご婦人がたはご注意ください!
ですが、プライドの高さは品質の表れ! 組み敷く楽しみがよりいっそう深まりますよね、紳士諸君!」
司会の道化めかした冗談に、場内は笑いに包まれた。
「さーて、いよいよお待ちかね!
それでは、まずはダークエルフの方から始めるとしましょう! 金貨五〇〇より! どうぞ!」
競売は、これまでにないほどに白熱した。
結局、クロエは金貨二七〇〇で、リュリュは金貨三一〇〇で、同じ男に落札された。二十二番の札を高々と掲げるその男を、リュリュはにらみつける。
口ひげの内側で、男はにんまりと笑った。
*
「……やっぱり、落札したね」
「第一段階は成功です」
競売市場の片隅で、タキシードを着た少年と、豪奢なドレス姿の女性とが、話し合っている。人混みのなかでも他人に聞き取られないよう、特別な発声を行いながら。
「希少種なら、どうあっても金は出す。噂は間違っていませんでした」
「大丈夫かな。クロエ」
「あの”猫”なら、問題ないと断言できます。十二席のなかでは戦闘能力は上位に入りませんが、潜入の巧さに関しては折り紙付きです。まず、見抜かれません」
「んー、そうじゃないんだけど」
「……彼女の貞操を懸念しておいでか、”踊り子”?」
「いや……まあ」
「……おまえはときどき、驚くほどかわいらしいことを言い出すな」
「ほっといてくれ」