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9.人間なんて、信じなければよかった

 人間のまえに出るな、と言われていた。

 何度も言われていた。

 なぜあのとき、そのことばに従わなかったのだろうと、何度も後悔した。


 *


 帝国領土において、公的には奴隷制度は認められていない。

 三代まえの皇帝の御世において、こう宣言されたのだ。


 帝国は、すべての人民の自由を保障する――と。


 当時、この宣言は拍手喝采を以って迎えられ、また実際に一部の貴族は皇帝の権威にひざまずき所有した奴隷を解放したと伝えられている。

 現代の歴史家も、この宣言の先進性、慈悲深さを、美辞麗句の限りを尽くして誉めそやし、皇帝一統に末永き繁栄の祈りを捧げてみせていた。


 だが、その実――奴隷制度は、いまだ帝国の生活文化に強く根ざしている。


 帝国政府はあの宣言以来、とくに奴隷制度の改善に向けての施策を行なってはいない。

 奴隷商売に絡む利権は数多く、それは帝国正規軍の中枢にも深く食い込んでしまっている。これを改めようとすれば、それこそ血を流す改革が必要になるが、政府のなかに、じぶんの進退を賭してそれをやり遂げる、という気骨のある人物はいなかったのである。


 ゆえに、奴隷制度は現在もなお、黙認されている。

 おおっぴらに白日のもとで取引をされることは、もはやない。しかし、地下に潜って犯罪組織と結びついたことにより、より全貌が把握しにくいものとなった。

 帝国政府はもはや、現在の奴隷市場の正確な規模さえ掴めてはいなかった。


 この奴隷市場も、帝国の栄えある首都であり、皇帝直轄地である帝都の、すぐ下で開かれていた。


「金貨二六〇!」

「金貨二八〇」

「金貨七〇〇」

「ありませんか? 皆さま? ありませんね? 

 ……では落札! 

 商品番号二二七号、うら若き兎人の処女十四歳! 二十二番様へ落札!」


 司会者が木槌を叩くと、拍手喝采が起きる。

 本日のメインイベントと題打った奴隷競売が始まって、すでに七件目だ。会場に集った仮面の富豪たちは熱狂し、乱れ飛ぶ金貨の雨に目を眩ませている。


 リュリュは、熱狂の声を、ひんやりとした鉄格子に頭を預けたままに聞いていた。

 金貨七〇〇――庶民の平均的な家族なら、七家族が十年食べていける金額だ。生涯を悠々と暮らせる、ひと財産だと言ってもいい。

 この市では、皆の頭がおかしくなっている。


 冷たい牢のなかに閉じ込められて、何日が経ったか。

 さいわいなことに、まだ風邪は引いていなかったが――粗末な食事と薄いボロ着のせいで、頭が重く、熱っぽい。たとえ魔術の行使が妨害されていなかったとしても、この頭ではまともな呪文ひとつ書けないだろう。


「ね」


 リュリュの耳が、ひくりと痙攣したように動く。

 長い耳。

 このせいで、人間から隔てられる、憎たらしい耳。


「こっち見てー気づいてー」


 舌ったらずな声に、ようやくリュリュは気がついた。

 振り向くと、褐色の肌を持つ少女がこちらに手を振っていた。リュリュと同じく、首と両手両足に鎖を巻かれている囚われの身だというのに、なにが楽しいのか、へらへらとした笑いを浮かべている。


「あ、やっと見てくれたっすね。やほーはろー。元気?」

「黙って」

「つれないっすねえ、もう。せっかくだから、お喋りしましょうよ。ここ、暇だし」

「……あなた、状況分かってる?」


 あくまで呑気な口調に、リュリュは苛立つ。


「うん。奴隷として、売られそうになってるっす」

「じゃあ分かるでしょ? 殊勝にしててよ」

「えーやだっす暇っすー」


 褐色の少女は駄々をこねるようにちゃりちゃりと鎖を鳴らす。

 もしかして、この子はちょっと足りないのかもしれない。じぶんがどういう状況に置かれているのか、なにが待ち受けているのか、理解できていないのかもしれない。

 そう思うと、すこしだけ可哀想になった。


「ねえねえ。もしかしてじぶん、エルフっすか?」

「……」

「そのとんがり耳。肌も白いし綺麗だし。ね、ね、当たりっすか?」

「……まあね」


 否定したところで、どうにもなりはしない。

 諦めるように、リュリュは頷いた。


「えーすごいすごい! ほんものははじめて見るっす! へーへー! ほんとに綺麗なんですねえ」

「ありがと」

「おっぱいもおっきいし! すげー」

「……それは関係ない」


 褐色少女の不躾な視線に、リュリュは胸をかばう。

 薄いボロ着越しに、先端が突き出てしまっているのを忘れていた。褐色少女のほうはというと、まるで存在を感じないほどに平べったく、先端も布地にしっかりと隠れていた。


「では落札!

 商品番号二三四番、南方民族の美少年十一歳!二十二番様へ落札!」


 また拍手喝采が轟いた。

 その声が収まるのを待って、褐色少女はまたこちらに笑顔を向けてくる。


「申し遅れたっす。わたしの名前はクロエ。帝都で誘拐されてきたっす。つらいっす。エルフさんの名前は?」

「……リュリュ」

「るるっすね! よろしく!」

「リュリュ」

「うりゅっすね」

「リュリュ!」

「え、うそ、言えてないっすか? るーりゅ。うりりゅ。りゅうりゅ。お、いま言えました! 言えましたよね!?」

「もういい、舌ったらず」


 リュリュはため息をついた。

 この子と喋っていると、なんだかペースを崩される。おとなしく落ち込んでいられなくなる。


「ね、うーりゅ。エルフってことは、やっぱり魔法とか使えるんすか? ねえねえ」

「魔術ね、正しくは」

「えーやっぱり! すげーすげー、じゃあ魔法使ってこんな牢屋脱出しましょうよー」

「それができるなら、とっくにやってる」


 リュリュはじぶんの首枷を示した。

 骨董品にも近いそれに描かれているのは、赤く発光する紋様だ。二〇〇年以上まえにうしなわれたと思われていた、魔術道具のひとつ。その効果は、魔力の遮断だ。


 エルフは、じぶんのなかに流れる魔力を用いて、さまざまな神秘を引き起こすことができる、神に祝福された種族のひとつだ。

 以前は人間も魔術が行使できたようだが、いまやその技術もうしなわれて久しい。それだけに、エルフが魔術を用いることができることは、人間にとって畏怖と脅威の対象である。


「この首枷がある限り、わたしは魔術を使えない」

「あらま」

「これさえなければ、あんな奴ら……」


 怒りのままに、首枷を掴む。

 指先が白くなるほど力を込めても、首枷はびくともしない。エルフは力の強い種族ではないのだ。仕方ない。


「うーりゅは、どうして捕まっちゃったんすか」

「間抜けだった。あるいは、お人好しだった」

「そんな言い方」

「ほんとうのことよ」


 そうだ。

 間抜けで、お人好しだった。


 二週間まえのじぶんを責めることができたなら、さぞ、怒鳴り散らしたことだろう。

 リュリュはそう思いながら、じぶんのこれまでを思い返した。


 *


 二週間まえのことだ。

 リュリュは「助けてくれ。あんた、エルフなんだろう」と言われたのだ。

 痩せた、貧相な男だった。


 どうしてここが分かったのだろう。

 リュリュは覗き穴から目を離し、扉の内側でさっと青ざめた。鬱蒼と茂る木々のなかに、隠れるようにしてリュリュの家はあった。


 五十年も昔に母を亡くし、たったひとりで守ってきた家だ。

 エルフの魔術によって、家は外敵から守られている。悪意なき者にしか、その家を見つけることはできないという、強力な守護魔術だ。半世紀にわたって、客人の訪問を許したことはない。


 エルフは、その歴史上、人間に狙われつづけてきた。

 その美貌ゆえに。

 その魔術ゆえに。

 その長命ゆえに。

 すぐれたエルフの魔術師であれば、そんな人間のひとりやふたりを近づけないだけの攻撃力は備えていたが――いかんせん、人間は数が多すぎた。


 百年にひとりの割でしか子供をつくらないエルフに対し、人間たちはあまりに殖えるのが早い。若い男と女がひとつがいあるだけで、それこそ毎年のように子供は生まれつづける。

 ひとりやふたりを物ともしないエルフの魔術師は、いつのまにか、千人や二千人の軍隊に囲まれるようになっていき、その数を減らしていった。


 いまや、エルフは人間たちの魔の手をのがれ、一家族ごとにばらばらになって、ひっそりと森の奥に隠れ住むような境遇を強いられていた。


 リュリュの家族も、そうしたエルフの一家だった。

 しかし父が人間に殺され、母が病気で死ぬに至って、ついにまだ七十歳にも満たぬリュリュは、天涯孤独の身のうえとなった。


 それから、リュリュは頑張ったのだ。

 ひとりで森の恵みを集めて食事をし、家の守護魔術へ魔力を供給しつづけた。エルフの魔導書を読んでは独学で魔術を学び、欠けた魔法陣を手入れしながら、ひっそりと、ひとりで暮らした。


 なのに。


「頼む。なあ、なかにいるんだろ? 

 ここを開けて欲しいんだ、話を聞いてくれ」


 ある日、なんの予告もなく男が現れた。

 リュリュは恐怖に長い耳を覆い、扉のまえでただうずくまった。もういない父に、母に、助けを求めて。


 じぶんが扉を開けなければ、あの男が扉をこじ開けることはできない。襲いかかってくることはできない。

 でも、あの男が居座ったら?

 じぶんがあきらめて出てくるまで、扉のまえに座り込んだら?


 結局、じぶんは扉を開けてしまう。

 食べるものだっていつかは尽きるのだ。餓死を選ぶことは、じぶんにはできそうにない。

 怖かった。

 ただひたすらに怖かった。


 だから祈った。

 だれか助けて、と。

 どうしたらいいのか、教えて、と。


 しかし、扉を叩く音が止むことはない。


「頼む。信じてくれ。俺は、助けてほしいだけなんだよ」


 どんどんどん。


「エルフを探して、ずっと、ずっと旅をつづけてきたんだ。

 魔術が必要なんだ、治療魔術が」


 どんどん。


「妻が病気なんだ。ひどい病気なんだよ。

 薬じゃ治らないって医者は匙を投げた。

 生命力自体が弱まってるんだって聞いた」


 どんどんどんどん。


「エルフの魔術なら、生命力を大きくできるんだって聞いた。

 エルフなんておとぎ話のなかの登場人物だって思ってたけど、

 俺はそれにすがるしかなかった」


 どん。どん。どん。


「探して、探して、探して。ようやく噂を聞いた。

 ここにエルフがいるって。魔術を知ってるって」


 どん……どん……どん……。


「たったひとりの妻なんだ。

 なんてことない女だけど。平凡で、美人でもないし、才があるわけでもないけど。それでも、たったひとりの妻なんだ。うしないたくない」


 どさ。


「俺はなんにもできない。お礼なんて、ほんのわずかしか持ってない。

 だから、頼むしかないんだ。

 頼む。頼むよ。お願いだ。

 妻を見捨てないでくれ。

 俺の家族を、見捨てないでくれ。

 ……俺に家族を、見捨てさせないでくれ」


 ああ、とリュリュは思う。

 だめだった。

 これ以上、彼のことばを聞いていることはできないと思った。

 このまま、この扉の内側で聞いていることは。


 家族を助けたい、とあの男は言う。

 家族を見捨てたくない、とあの男は言う。

 それのどこが、じぶんたちと違うというのか。なぜじぶんは、形のないものに怯えて、助けられるひとを見捨てようとしているのか。


 だから、もう、これ以上はだめだと思った。


 リュリュは、守護魔術を解除する。

 閉ざされた扉を開いた。


 そしてその瞬間――意識が刈り取られた。


 *


 結局のところ、とリュリュは思い返す。

 あの痩せた男は、囮だったのだ。痩せた男の陰から、別の男がすがたを表し、リュリュの頭を棍棒で殴りつける。そういう手筈だった。痩せた男は、いかにも哀れっぽく、つくり話を語っただけだった。

 世間知らずのリュリュは、間抜けゆえに、お人好しゆえに、騙されたのだ。


 奴隷商人に売り払われ、首枷を付けられ、この市に運んでこられる最中にも、リュリュは後悔しつづけてきた。


 人間なんて、信じなければよかった――と。

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