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0.暗殺者だよ(修正版)


 戦争がやってくるとは聞いていた。

 けれども、それがじぶんたちに関係があるだなんて、思わなかった。


 *


 アニーは、十三歳の誕生日を迎えていた。

 もう立派な淑女ね、と母さまからは言われるようになっていた。スカートを穿くのにもすっかり慣れた。

 村の男の子たちに混じって、麻のズボンを穿いて走り回っていたころが、なんだかすごく遠くに思える。


 昨年からは胸も膨らみはじめ、ゆったりとしていたブラウスの綿布地を、わずかに持ち上げるほどになっている。

 隣の家のロバートは、いつもとおなじように作付けの話をしながら、アニーの胸から目を逸らそうと努力し始めた。


 そういうふうに意識される日がくるなんて、思わなかった。

 そのことを、じぶんが疼くような喜びとともに捉えるなんて、もっと思わなかった。


「アニー」


 ロバートはいつからか、その名前を呼ぶときに甘い響きを漂わせるようになっていた。

 あるいは、それはアニーの希望的観測であったかもしれないが。


「アニー、はやく来なさい!」


 母さまの声に、はっと我に帰った。

 ロバートも、急いで仕事をしている振りをする。アニーはおおきな声で母に返事を返すと、ちらりとロバートと視線を交わし合った。向こうも、アニーとおなじ想いを抱いていることが、その瞳から伺い知れた。


 母さまは、とアニーは思う。

 この想いを、許してくれるだろうか。数年前に徴兵された父さまを失ってからというもの、母さまはどこか頑なになったようだ。

 ひとりでも、アニーを立派な淑女に育てなければと、思いつめているように見える。


 結婚を、許してくれるだろうか。


 そのことばを思いうかべただけで、頰が熱くなるのを感じる。もちろん、まだ早い。アニーは十三だし、ロバートだって十五にしかならない。あと三年は待つ必要があるだろう。

 でも、あと三年したら。


「母さま」

「遅いわよ、アニー。今日は桶の手入れをするって話しておいたでしょう。早くしないと冬がくるのよ」

「……はい、母さま」


 目を伏せて、アニーは手を動かし始めた。


 *


 平野での激突はすでに終わった。

 楽しい楽しい残党狩りの時間だ。

 逃げまどう敵兵の背中を矢で針ねずみにしてやるのも、命乞いをする敵兵を槍で突き殺してやるのも面白い。


 武器を捨てた兵の降伏は受け入れなければならないと、条約には定められているが……それは、正規軍同士の約定に過ぎない。

 傭兵たちには、関係がない話だ。


 暗い喜びに舌なめずりしながら、傭兵たちは森のなかへ騎馬を進める。返り血を浴び足りない、荒くれども。

 ときどき草木が動くと、そちらに矢を放つ。

 たいていは敗兵に当たるし、運が良ければまだ息がある状態で捕まえることができる。


 助けてくれ、やめてくれ、と騒ぐ声。

 それを無理矢理に黙らせる快感。


 ――と。


 斥候に放っていたひとりが、喜色満面で戻ってきた。

 村を見つけた、という。

 戦場からまだ遠いという理由で、なんの備えも用心もしていない、敵国の村。


 傭兵たちは、歓声を巻き起こした。

 ついている。

 今日はとびきりついている。

 楽しい楽しい、掠奪の時間だ。


 *


 耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。

 とっさに振り向くと、馬小屋にくり抜いた窓から、赤々と立ち上る火の手が見えた。次いで、何頭もの馬が駆ける蹄の音がする。


「母さま」

「アニー、静かに」


 怯えた声を掛けると、母は緊張の面持ちで立ち上がった。

 手にしていた飼葉桶をそっと藁の上に置き、母の腕を掴もうとしたアニーを、そっと母は制した。


「ここにいなさい。声を立てては駄目。なにがあっても、外に出てきては駄目」

「母さまっ」

「なにがあってもよ」


 止める間もなく、母は馬小屋を出て行ってしまった。


 なにがあったのか。

 いったい、村になにが起きているのか。


 アニーはそっと窓の外を眺める。


 村は、紅蓮の地獄と化していた。

 赤く立ち上る炎は、木と藁でできた民家をわがもののように舐めている。馬蹄のとどろきと共に、猿のような歓喜の咆哮を上げた男たちが、村を縦横無尽に駆け回っている。

 逃げ回る村人たちとすれ違うたび、馬上の男たちは剣や槍を振るって、無残に突き殺していく。


「なに、これ……」


 そこここの民家から、必死になって蓄えた金目の品が奪われていく。すがりつくように抵抗した村人が、肩からばっさりと斬り捨てられる。あちらこちらで村の娘が押し倒され、服を剥かれそうになっている。

 男たち――けだものとしか呼べないような荒くれものは、嬉しそうに、奪い、盗み、焼き、殺していた。


 ひどすぎる。

 ひどすぎる、いったいどうして――。


 そこまで見て、アニーは気が付いた。

 男たちのひとりが、馬上に旗を捧げ持っている。複雑な鷲の文様が描かれた、帝国の旗印。おととい平原で会戦をしたという、敵国の旗だ。


 村の若者たちが、熱っぽく噂し合っていたことを思い出す。

 この村が属する大公国は、会戦で敗れたらしい。帝国の騎士たちは、かがやく銀の甲冑に身を包み、見事な槍衾で、大公国軍を蹴散らしたとか。退却もまとまらず、ほぼ総崩れの様相を呈していたようだ。


 だが。

 そんなことで、直接生活が変わるだなどと、村は思っていない。戦の勝敗の結果、領地を支配する領主がすげ代わったところで、村の生活はほとんど変わらない。税を納める先が変わるだけのことだ。

 戦の帰趨なんてものは、若者たちの関心でしかない……はずだった。


 旗の文様を見つめていたアニーの目は、そのまま下に落ち――そして、見つけてしまう。

 アニーの母が、倒れている。

 背中を血で真っ赤に染めて。


「いやだっ、お母さんっ……!」


 声を立てては駄目――その言いつけを破り、アニーは母に呼び掛けていた。

 と、旗を捧げ持つ男の脇にいた、ひときわ屈強そうな大男が、こちらに目を向けた。


「ほう……? ご馳走があるじゃねえか?」


 いやらしい舌なめずりに、アニーは「ひっ」と息を呑んで身を引く。

 見つかった。

 見つかってしまった。


 蹄の音が近づいてくる。悠々と。


「こんにちは、お嬢ちゃん」


 大男の顔が、窓から馬小屋のなかを覗き込む。

 あばたまみれの髭面は、まるで御伽噺のオークのようだ。

 アニーが悲鳴を上げて這いずると、大男の周りからは男どものあざけるような大笑が巻き起こる。


 そして、馬小屋の扉が開かれた。

 アニーの数倍も体重があるような巨漢が、三人。


「あーあー。団長の幼子好みにも困ったもんですぜ」

「馬鹿野郎。これくらいがいちばんいいんだ。熟れ切るまえで、純潔を保ってる。つべこべ言うと、おこぼれをやらねえぞ」

「そいつあ困るな。俺の息子が泣いちまう」


 げらげらと下卑た冗談を交わしながら、男たちが近づいてくる。

 これからなにが起こるのか。

 さすがのアニーにも、理解ができていた。


 いやだ。

 いやだ。

 こんな男たちに……!


「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!」


 そのとき、上ずった叫び声とともに、馬小屋に誰かが飛び込んできた。

 ロバートだ。

 藁を持ち上げるフォークを振りかぶり、男のひとりに勢いのまま叩きつける。しかし、男が身にまとった傷まみれの胸甲は、フォークの木軸を叩き折り、ロバートはあえなく倒れた。


「なんだこのガキッ」


 男が怒りに任せてロバートを蹴り飛ばす。

 ロバートは苦悶の声を上げるが、すぐに顔を上げた。


「その子を……アニーを放せ!」

「おやおや、騎士様の登場ときたか」


 肩をすくめる”団長”の仕草に、残る二人が追従笑いを浮かべる。

 二人はロバートの両肩を上から押さえつけ、体重を掛けて逃げられなくした。


「放せ……くそ!」

「逃げてロバート!」

「ロバートというのか。この娘に惚れているのか? ん? ならせっかくだ、そこで見学を愉しんでいくといい」


 団長が、アニーに向き直る。

 情欲と嗜虐の炎が、目にともっている。


「……いま、この娘をいただくところだ」


 団長の手が、乱暴にアニーのブラウスをむしり取った。

 いっしょに破れた薄い下着から、アニーのちいさな膨らみが覗く。


「いやっ」


 アニーはとっさに胸を両手で庇うが、「つれねえな、よく見せてくれよ」と団長はその腕を無理矢理に広げてしまう。おそろしいほどの力が、アニーの手を、床へと縫い留めてしまう。

 だれにも見せたことのない乳房が、外気に晒された。


「いやああああっ……」


 身をよじっても、傭兵たちの視線からは逃れられない。


「やめろっ、やめろおっ、やめて……ぐぅっ……」


 ロバートの泣き声が、男たちの下品な歓声に遮られる。


「さあて。それじゃ、いただくとするかな」


 団長が、下履きを脱いだ。

 怒張したそれが、天を衝くように立ち上がっていた。あまりにも大きかった。絶望にアニーは震えた。ロバートのわめき声さえ、聞こえなかった。先端が、じわじわと近づいて――。


「なに調子乗ってんだ、豚が」


 明瞭な少年の声が、聞こえていた。

 なまあたたかい液体が、固く目をつむったアニーの顔に降りかかる。すさまじい絶叫が聞こえる。団長の声だ。突然のことに状況を飲み込めないでいると、ばさりとアニーの体に布のようなものが掛けられる。


「そのまま目をつむっててほしいっす」


 今度は、女の子の声だ。

 のしかかっていた団長の体重が突然消え失せ、光がふたたび、アニーの瞼に映った。しかし固く目をつむったまま、アニーは待った。


「うああなんだてめえらっ! 俺たちを誰だと、ぐッ……がっ……!」

「やめろ、おいやめろおおおおおおおげッぐえッ!」


 断末魔が、二つ。


「もーいーよ」


 女の子の声がもう一度、掛けられる。

 アニーは顔についた液体を拭い、目を開いた。


 男たちは、死んでいた。

 ひとりは喉を割かれ、ひとりは頭頂に短刀を突き立てられ、みずからの生み出した血だまりに倒れ伏し、小刻みな痙攣を繰り返している。

 おもわず、ひっと息を呑んだ。


「ありゃごめんね、これでも刺激的だったっすね」

「大丈夫か、アニー!」


 頭を掻く黒外套の少女を飛び越えて、ロバートが駆け寄ってくる。アニーは黒外套に包まれていた。顔を拭った手には、どろりとした血液が飛び散っている。両腕でアニーを抱きしめるロバートの腕に、アニーはすがりつくように顔をうずめた。


「……おッ……おまえらッ……なんだ……どこの……兵隊だ……ッ……!」


 団長は、生きていた。

 生かされていた、のだろう。

 左手で股間を抑えているが、右手は指を幾本も断ち切られている。出血は股間のほうが酷く、アニーはじぶんの顔に降りかかった血液の正体を知った。


 団長に対面しているのは。

 背の低い、子供のように見えた。


 全身を黒衣に覆っており、目元以外を隠す覆面をかぶっているから、素性はわからない。わからないが、背の高さと、声の高さは、じぶんとそう年が変わらない、子供のそれだ。先ほどの少女と違って黒外套を着ていないのは、アニーに掛けてくれたからだろう。

 華奢な体で、しかし傲然と立ち、黒衣の少年は言う。

 

「おまえが、この傭兵団の長か」

「てめえ……っ……絶対に、生かしちゃ、おかねえっ……!」

「質問をしている。答えろ。それとも残りの指もすべて落とされたいか」


 冷たい声で、少年は言う。

 団長は気圧されたように、


「ああそうだ、俺がこの大ギャレス傭兵団の団長、”豪腕”のギャレス様だ! 分かったらとっとと――」

「名前までは聞いていない」

「あれ? 自意識過剰すか? にゃふふ、はっずかしー」

「ぬ……!」


 少年に冷たくあしらわれ、少女に煽られ、団長が憤怒に顔を赤くする。そして――。


「てめえらッ! この俺を虚仮にしやがって、生きて帰れると思うなッ……! 野郎どもォォォォ! こいつらをぶち殺せェェェェ!」


 絶叫した。

 血走った目で、村中に響き渡るような大声で。


 馬小屋に、足音が殺到してくる。

 ああ、とアニーは思う。

 一瞬でも、助かったなんて思うんじゃなかった。希望を持ってしまったら、また絶望してしまう。諦めたままでいればよかった。強張るロバートの腕を、きつく握りしめた。


「はッ、ははははは! てめえら、覚悟しとけよォ? ただじゃ殺してやらねえぞ。餓鬼は一寸刻みに刻んで、メス餓鬼は傭兵団全員で輪姦して――」

「ギャレスさん?」

「命乞いしようたって無駄だ! てめえらは俺を怒らせ」

「もしかしてー、分かってないっすか?」


 少女が覆面の内側で苦笑した、ように見えた。


「なにがだッ!」

「お仲間、全滅してますよ」


 ぽかん、と団長の口が開く。


 馬小屋に、ぞろぞろと人影が集まってくる。

 傭兵たち、ではない。その全員が、少年や少女と同じく、黒衣と覆面を身にまとっている。血に濡れた武器をぶら下げたまま、黒衣の集団は統制の取れた沈黙で団長を眺めた。


「なッ……なッ……」

「”鉤爪”。被害状況を報告」

「はっ」


 少年の声に、ひときわ背の高い長身の黒衣が一歩前に出る。

 呼び名の通り、その両手には長い鉤爪が装備されていた。


「敵兵約二〇〇と遭遇し、接近戦にてこれを打倒。反撃はありましたが、掠奪の最中であったためか、当方に損耗無し。残存兵力三〇名、みな無傷です」

「三〇だと……!」


 驚愕する団長を捨ておいて、少年が長身の顔を見上げる。


「ナイラ」

「はっ」

「俺が被害状況を聞いたときは、村人にどれくらい死傷者が出たかを教えてほしい。最優先はそちらだ。以後、徹底して」

「失礼しました」


「三〇だと! たった三〇人で、歴戦の俺たちを、この短い時間で……!」

「三〇人要る?」

「いえ。予備兵力込みでも、二〇名で充分対処可能と判断します」

「じゃあ、次は二〇人でいこうか」


 団長のことばを完全に黙殺し、平然と打合せを続ける二人。

 団長などは脅威であり得ず、注意を払うべき相手とも考えないその振る舞いに、団長がついに激昂した。


「てめええええええ! ひとの話を――ッ!」


 立ち上がって少年に殴りかかろうとした団長が、ふたたびことばを切った。どこかから飛んできたナイフが、団長の両手のひらを壁へ縫い留め、動きを止めたのだ。


「ほいっと。静かにね」


 さらには、少女が団長の顎を持ち上げ、思い切りかち合わせて舌の先を切断してのけた。

 くぐもった悲鳴が、馬小屋に響く。


「さて」


 少年が、アニーとロバートを振り向いた。

 ロバートが警戒に身を固くした。なにをするつもりなのか、という緊張は、少年が覆面を取り払ったことによって、雲散霧消した。


 やはり、少年だった。

 整った顔立ちはおどろくほどに白く、生まれてこのかた日光を知らないと言われても納得がいく。整ってはいるがふしぎと印象の薄い顔に、これだけは強烈な光を持った黒い瞳が付いていた。

 まっすぐな瞳が、アニーを見据える。


「まずは謝る。……到着が遅れて、ほんとうにすまなかった。きみのお母さんを、助けることができなかった」

「あ」


 アニーは、倒れた母を思い出す。


「俺たちは、間に合わなかった。

 これは俺たちの未熟さによるものだ。確かに、こういう作戦行動ははじめてのことだ。けれども、きみたちには関係がない。

 村の火は消し止めた。傭兵団は全員斃したから、掠奪された物もない。傷を受けたひとは、いま医療班が治療を行っている。……けれど、何人かのひとたちは助けられなかった。きみのお母さんもだ。ほんとうに、すまない」


 アニーは、驚いて口を開けなかった。

 謝る? 謝るだって?

 助けられなかったことを、謝る?


 そんなふうにされたことは、いままでにない。

 正規の騎士団だって、巻き込まれた村人の死をいちいち気に留めることはない。こちらは感謝と歓呼の声で正義の騎士たちを称えるべきであり、騎士たちもそう望んでいる。


 けれども。

 この少年は、死を悼んでいる。

 こんなおそろしげな黒衣の集団を束ねている様子なのに、ほんの何人かの村人の死を、心底から悔いている。


 いったい、このひとは――。


「償うことができるとは思わない。

 けれど、これからは安心してほしい。俺たちは、この村を見捨てない。きみたちが村を守る術を身に付けるまで、俺たちが守る」

「……あの、」

「なんだい?」

「あなたは、あなたたちは、いったい……?」


 少年は困ったように、ひとしきり少女たちと視線を交わしあい。

 結局、ちいさな声でこう言った。


 暗殺者だよ、と。

初投稿です。

とりあえずこんな感じの小説になる予定。


*2018/03/19 一部性描写を修正しました。

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