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四話:放課後の美術室

キーンコーンカーンコーン


 そのチャイムが鳴ると同時に、そこら辺から種種雑多な声が聞こえてきた。ある者は机に頭を伏して、拳で机を殴っており、ある者は隣の席の人と放課後の打ち上げの話をしている。無理もない。テスト週間はテスト一週間前から始まり、テストが五日間に渡り、行われる。その間はどの部活も活動を停止しなければならないので、相当なストレスが溜まる。その反動で多少、羽目を外してしまうのは仕方がないことだ。教師陣もその辺は理解しているのだろう。余程のことがない限り、注意をしてこない。


 教室の中が歓喜と後悔で渦巻き、無法地帯となっていたが、教室の中でテストが終わったことなど丸っ切り考えていない生徒が一人。博隆は今朝の事を何かに取り憑かれたように考えていた。


 分からない。真冬がどういう意図で博隆にあんなことを言ってきたのか…。

 おかげさまで、テストに全く身が入らず、昨日家に帰ってから必至に解いた問題集や登校する時に頭に詰め込んだ英単語も何の役にも立つ事はなかった。


 教室の中央前方にある席から恵美は怪訝そうに首を傾げながら、博隆の方を見ていた。

 博隆はそんな恵美の視線にも気が付く気配もなさそうに、窓の外を眺めていた。


 テストが終わり、午後の日程は体育館で行われる全校集会だけだった。博隆が校長の堅苦しい話などに耳を貸すこともなく、ぼうっとしているうちに終わっていた。教室に戻ると、担任の杉本宗太が今にも眠ってしまいそうな表情でホームルームを進めていた。テストの採点が忙しくて、あまり眠れていないのだろうか。そうこうしているうちにホームルームも終わった。


 恵美、雅人の両名が博隆の所へ歩み寄ろうと席を立とうとした瞬間、教室後方のドアが勢いよく開かれ、博隆も反射的にそちら側へ目を向けてしまう。そして、ドアを開けた主に驚く間も無く、彼女は博隆の元へ歩み寄ってきた。


「葛西君、ちょっときて」


 彼女はそう告げると、博隆の右手首をしっかりと握ると、そのまま博隆を教室の外へ引っ張っていった。博隆は何が起きたのか頭の中で整理しようとするが、上手くまとまってくれない。結局真冬になされるがまま外に連れ出された。真冬に連れ出される瞬間、一瞬だけ恵美の顔が視界に入ったが、恵美も何が起こっているのかわからないという表情だった。


 真冬が階段を降り始めたところで、博隆の理解がようやく追いついた。


「ねぇ、琴坂さん。僕たちは今どこに向かって歩いてるんの?」


「美術室だけど…あれ?君知らなかったの?」


「いや、そんなの知らないよ…」


 今になって、博隆はこの状況に自分が高揚感を感じていることに気が付いた。というか、女子に手を握られるなんて、小学生…いや、幼稚園を除くと始めてじゃないだろうか。真冬の手は妙に柔らかく、博隆の前を歩く真冬の長い髪から、シャンプーの香りだろうか、心が落ち着くいい匂いがする。女子ってこんなにも男とは違うんだなって思った。恵美とはここまで密着することはないので今まで気が付かなかった。そう思うと変に緊張してきた。手汗とか出てないだろうか。逆に真冬はこの状況を何とも思わないのだろうか…自分を男として見ていないのか、それともこういう事に慣れているのか、後者ではないことを博隆は誰にともなく願った。何にせよ、博隆が抵抗することはなかった。


 真冬に無理やり連れてこられた博隆は本日二回目となる美術室へ足を踏み入れた。そこは朝来た時と変わらず、部屋の中央には大きなキャンバスがあり、相変わらずカーテンは外から入ってくる風で揺れている。


「ここはいつ来ても、いい風が入ってくるな」


 博隆はより風を体で感じるために、窓の近くにある椅子を窓の側まで持っていくと、それに座り、窓の格子に両腕をかける。


「本当にここはいい場所だなぁ」


「そうでしょ、私のとっておきの場所なんだ」


 真冬も椅子を一台持ってきて、博隆の横に座った。

 博隆は窓の外に視線を向けると、目の前には一際大きな一本の大木が見える。みずみずしい緑の樹葉を纏い、自分の存在を他人に知らしめるように空高く幹を伸ばしている。


「琴坂さん、目の前に見えるこれってなんていう木か知ってる?」


「冬桜だよ」


「冬桜…?」


博隆は聞いたことがない単語に、反応を示す。そもそも桜って春に咲くもので、それ以外の季節にも咲くものなのだろうか。


「ま、冬桜とはいっても、桜とは全く関係ないんだけどね」


「えっと、どういうこと?」


「冬になったら、桜みたいにパーって幹全体に花をつけるんだよ」


「へー、そうなんだ」


真冬の話を聞いてもいまいちピンとこない。冬に桜なんて本当に咲くのだろうか。まあ、真冬が嘘を言っているようには見えないけど。


「でもここの冬桜が一番好きなんだ」


「ここの?」


「そう。冬桜って言っても、いろいろあってね、小葉桜、寒桜、緋桜…とか」


「なるほど」


最後のは聞いたことがある気がする。某朝の情報番組で見ごろがどうとか言っていた記憶がある。


「でも、ここのは他の品種とは少し違うんだ」


「違うって、どう違うの?」


「普通の冬桜はあんまり散らないんだけど、ここのは春みたいに…ううん、もっと豪快に散るんだ」


「ふーん。けど、琴坂さんがどうして散っていく花が好きなのか聞いてもみたいね」


真冬は博隆の言葉を聞くと、そっと瞳を閉じて、両手を胸の前で重ねた。


「この桜は凛とした姿で花を咲かせるの。冬の厳しい寒さにも屈さず、己の命を誰よりも燃やして生きている。そんな私が尊敬する桜でも、やっぱり最後は来るんだね…。そう、精一杯生きた分、死んでいくときも誰よりも壮大に、圧倒的に散っていくんだ。あんなにも美しく、強く生を全うした花でも、やがて花びらになる、そこに私は儚さを感じずにはいられない」


博隆もようやく真冬が言わんとしていることが分かった気がした。博隆も普通の桜を見ていて思ったことがある。自分も失うことに美学を求めているのではないかと。

だが、やはり花びらが散っていくのは好きではない。散っていく姿に感心はあるのだが、それでも散っていくことに対する寂しさ、悲しさの方が大きく勝る。もう少し、あと一日だけでも長く生きてほしいと思ってしまう。別れというのは何かが無になる気がするから。


博隆は湿っぽい自分の気持ちを振り払うため、窓の外に視線を戻した。

校庭が見える。そこで野球部がもうランニングを開始している。ホームルームが終わって十分くらいだというのにご苦労なことだ。そんな彼らを博隆は頭を空っぽにして、なんとなく目で追っていた。

 博隆はこの何もない、退屈な気すら湧かない無の時間が割と好きだ。日頃から、勉強やら、人間関係やら、面倒臭くて、たまに丸ごと放り投げたくなるが、こうしていると、心が洗われていくように感じる。


 博隆は真冬がいる方を見る。が、彼女が博隆の視線に気付く気配はない。真冬の長い髪は風に流され、大きく波打つ。まるで川のせせらぎみたいでとても綺麗だ。見惚れてしまいそうだ。でも、あまり長時間を見ていると、彼女にバレてしまうので、再び視線を野球部員達に向ける。


「あ、そういや…あいつら待ってるかな…」

 

 博隆はズボンの右ポケットから透明なカバーに包まれたスマートフォンを取り出した。


「なんだか味気ないカバーだね」


「これ?ま、そうかもね。でも僕はこういうシンプルなのがいいんだ」


 博隆は真冬と会話をしながら、慣れた手つきで、先に帰ってくれという旨のメールを雅人に送信する。


「ほいっ。これで良しっと」


「葛西君がメールしてるのって、昨日葛西君とサッカーしてた人達?」


「うん、そうだけど?」


「いや…なんでもないよ」


 ちょっと含みのある言い方だ。短い間が気になって仕方がない。だが、真冬は博隆と反対の方へ顔を向ける。これは彼女なりのブロック、これ以上何も聞かないでくれということなのか。博隆は人が嫌がることをしてまで、自分の欲を満たしたいとは思わないので、追求する事はなかった。


「ところでさ…」


「何?」


「あの絵って…もしかしなくても君が描いたの?」

 

 博隆は中央に置かれているキャンバスを見ながら、真冬に尋ねた。


「うん」

 さも当然の様に真冬は答える。


「一人で?」


「あははは。お生憎、この学校の美術部員は私一人なんだ。本当はみんなで一つの作品を作るっていうのをやってみたかったんだけどね」


「そうじゃなくて…」


「えっと、どういう事?」


「この絵をたった一人で誰の助力も得ずに描き上げたっていうの?」


「うん、私小さい頃から絵を描く事がとても好きで、いつも描いてた。誰かに教わった通りに描くんじゃなくて、私はその時、その場所で、描きたいものを自由に描くんだ」


「……え?」

 

 真冬は聞いてもいないことまで平然と答えたが、博隆は自分には到底理解出来ない言葉が飛び出し、混乱の渦に巻き込まれる。


「ちょっと待ってね、整理させてもらってもいい?」


「大丈夫だけど…」


「君は誰の教えも請わずに、独学でしかもたった一人で声を描いたっていうのか…?」


「そうなるね」


 その時、博隆はあまりの驚きの大きさに声を失ってしまった。そう、言いたいことなんて山程浮かんでくる。しかし、どの言葉も喉から出てきてくれない。


 そしてすっかり黙ってしまった博隆の気も知らずに、真冬はどうでも良さそうに博隆に問いかける。

「どう?私の絵は。親以外に見てもらったことはないんだよね…親に見てもらったって言ったって、私が幼稚園の時に描いたものなんだけどね。もしよかったら、君の感想を聞かせてもらえるかな」

 そう言いつつも、別に博隆に意識を向けることもなく、無感動に返事を待つ。


「ごめん、僕あんまり美術のこと分かんないんだ…」


「そ、そうだよね。いきなりこんなこと聞かれても困るよね。忘れて」

 先程の真冬の無感動な表情はポーカーフェイスだろうか、今度は少し残念そうな顔をしている。


 だが、博隆は真冬の方へ振り向き、ちゃんと目を見て、話し出した。


「うん、本当に何も分からないんだ…でも、これだけは断言できる。僕が今まで見てきた作品の中で最も美しいと。そして、僕が最も好きな作品であると」


 そう、博隆は、人は本物の才能に触れたとき、朝のような反応をしてしまうのではないかと思った。絵に関して全くもって無頓着な博隆でも真冬の作品はもう一高校生のそれとは根本から違うと感じ取ることができた。もはや美術の教科書なんかに載っている某有名な絵画をこの目で実際に見ても、ここまで心が動かされることはないだろう。大げさではなく、彼女の絵には人の価値観を書き換えてしまうほどの訴求力があるのではないかと思う。


 博隆の言葉に、今度は真冬が固まってしまった。


「……あれ?」

 

数秒の沈黙の後、見開かれた真冬の瞳から一筋の涙が流れた。

 真冬は自分でも何が起こっているのか分かっていないといった表情だった。


「君はどうして泣いてるの?」


「分からない…分からないけど、止まらないの。ねぇ…葛西君。涙ってどんな時に流すものなのかな?」


「僕自身、感情の浮き沈みがあまり激しい方じゃないし、よくわからない部分も多いんだけど…悲しい時が大半だと思う」


「じゃ、じゃあ…私は今悲しんでいるのかな」


「さあ…どうだろうね」


しかし、今博隆の目に映る真冬の表情からは悲しみの感情は伺えない。なので、この場合はもう一つの可能性の方が高いのではないだろうか。


「でももう一つ…とても感動して、心が温かい気持ちで満たされた時、人は泣いてしまうんじゃないかな」


「そう、なんだ。心が温かい気持ちで満たされた時か…私もよく分からないけれど…これがそっちの涙であってほしいかな」

 

 真冬は人差し指で目元をなぞり、そっと笑みを浮かべた。

ご精読ありがとうございました。どんなものでも構いませんので、是非感想を頂けるとありがたいです。お書きくださった感想には必ず返信させていただきますので、よろしくお願いします。

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