三話:美術室での出会い?
「はぁ、自分で言い出したこととはいえ、結局いつも通りの時間になっちゃったなぁ」
恵美が、今日はテスト勉強を頑張ろうと意気込んでいたあの時を懐かしむように、そっと呟く。
賭けの結果は恵美がおごられる側、雅人がおごる側となった。博隆は自分の記憶を探る。おそらくこれまでの勝率は、博隆四割、恵美五割、雅人一割未満……だと思う。ほんと悲しい奴だよ、お前って奴は…。
「ま、いいじゃんか。俺らまだ二年なんだしよ。二年のうちは友達と馬鹿やってりゃいいんじゃねーの?」
「それはそうだけど…雅人はもうちょい勉強しろよ。どーせ今回も再試と補修のオンパレードなんだろ?」
「まあな。でもお前らだって、さっきまで俺と一緒に遊んでたじゃねーか」
「私と博隆君は日頃から勉強してるから大丈夫だよ」
「そういうことだ」
「ぐぐぐ!!!」
雅人は二人からの集中放火を受け、返す言葉を見つけられないでいた。
「家帰ったら、提出物くらいはやっとけよ」
「絶対やらねぇよ。今日は疲れたし、ちゃっちゃと寝るし…」
「雅人君、あまりにもやらなさすぎると、三年生になった時、大変だと思うけどな......」
「かもしれないな」
「わかってるなら、なんでやらないんだ?」
博隆は今までの会話から疑問に感じたことを素直に聞いてみた。
「ちょっと恥ずいけどさ…俺…お前らといるこの時間が結構好きみたいなんだわ。でもよ、受験とかそんなの気にしてばっかりで、会えなくなる時期がいつか来ると思うんだ。だから、俺はお前らと過ごす時間を大切にしたいと思ってんだよ。勉強なんかに脳のリソース使ってられるかってんだよ」
雅人はこの短期間で俯いたり、遠くを見つめたり、満面の笑みを浮かべたり、本当に忙しいやつだと思った。とゆうかなんて痛い奴なんだ。
「ま、いいこと言ったところでジュースを奢ってもらうことには変わりないんだけどね」
恵美が感傷に浸っている雅人にさらっと水を差す。
「いや…そんなつもりじゃなったんだけど…」
一瞬の静寂の後に、三人は声を大にして笑った。とにかく長い間笑っていた。
博隆は口には出さなかったが、雅人の考えに共感を覚えた。三人で過ごすこの時間を居心地の良い、大切な時間だと思っている。まったく、言わないだけで、雅人のこと言えないな…。
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次の日、今日も博隆は退屈そうに肘立てをしながら、昨日の夕方から続いている晴天を眺めていた。
気温は昨日よりも幾分か高いが、湿気が低い分、博隆にとっては心地よさを感じるほどであった。
今朝、英単語帳を広げて、家で覚えきれなかった単語達を全力で頭に叩き込みながら登校していると、近所の小学生達が無邪気に走り回っているのを見て、博隆の頬は緩んだ。ここ最近は毎日雨だったので、あの子達も久々に青空の下を駆けることができて喜んでいたのだろう。自分にもこんな時代があったのだろうか。などと今朝のことを考えていると恵美に声を掛けられた。
「おはよう博隆君」
「うん、おはよう」
「今日テスト最終日だけど、美術のレポートもう提出した?確か今日締め切りだった気がするんだけど…」
「あ…すっかり忘れてたわ。恵美、ありがとうな」
「うん」
博隆は忘れないうちに提出しに行こうと思い、時計を見る。時計の針は八時三十分を指している。ホームルームは八時四十分から始まるので、まだ時間に余裕がある。
博隆は席を立ち、美術室へと足を向けた。博隆の教室は南校舎二階にあり、美術室は東校舎二階一番北側にある。北校舎までは新校舎である北校舎には渡り廊下があり、そのまま北校舎の二階に行けるのだが、東校舎は最も古い校舎で、どの校舎とも繋がっていないのだ。ゆえに、博隆は一度南校舎の一階に降り、その後東校舎に移動し、そこからまた三階まで上がらなければならない。
「昨日の筋肉痛がまだ治ってないっていうのに…」
博隆は面倒臭さのあまり、欠伸を噛みながら美術室を目指した。
三分後、博隆はようやく美術室に辿り着いた。美術室の前で少し息を整える。帰りも同じ道を通らなければならないのかと思うと、このレポートだけではまったくもって割りに合わないと思う。
博隆はドアハンドルに手を掛け、それを横にスライドした。
「失礼しま…す……」
東にある窓から入り込む朝の日差し、同じく、窓から吹き抜ける静かな風、その風がカーテンをふわりと靡かせている。
そんな映画のセットみたいな場所の真ん中に、大きなキャンバスとそれの前にある丸椅子に座っている少女が一人。
博隆の挨拶を無視しているのか、それとも気づいていないのか、少女はこちらに見向きもしない。
博隆はレポートのことなど一瞬で忘れて、少女の側に歩み寄り、そっと音を立てないように絵を覗き込む。
次の瞬間、博隆はその絵の中に引き込まれていった。ここは森の中、木の葉から漏れる太陽の光とほのかに甘い香りを運ぶ優しい風がなんとも気持ちがいい。博隆の周りでは、兎が麗しげに飛びんでおり、木の下では鹿の親子がのどかなに昼寝を楽しんでいる。数十メートル離れたところで熊がこちらをじっと見つめている。博隆は思わず、身構えたが、熊は反対に振り返り、歩いていった。木の幹からはリスが顔を覗かせている。
さっきまで何してたんだっけ?博隆は自分に問いかけた。だが、そんなことがどうでもよくなった。だってここはこんなにも素晴らしい場所なんだから。
博隆はそう錯覚させる程の衝撃を受けた。
「君は一体、そこで何やってるの?」
その一言で博隆は我に返った。そこは毎週木曜日の三、四時間目に授業で訪れる場所だった。
落ち着きを取り戻した博隆は、正面からその少女に目を向ける。
「君は!!」
博隆は思わず大きな声を出してしまった。なぜなら、話し掛けてきたのは、昨日ベンチで座ってこちらを見ていた少女だったから…。
しかし、彼女の方は未だ、キョトンとした表情のままだった。
「君のことどこかで…見たような…?あ!君もしかして、昨日公園でサッカーやってた?」
「うん、そうだけど…」
彼女もようやく博隆に気付いたようだ。
「で、さっきも聞いたけど、君は何しにきたの?」
「えっと…」
やましい事は何もないのに声が上ずってしまった。
「こ…これ!このレポートを提出しにきたんだ」
「ああ、そう。美術の坂下先生、朝はいないから、その机の上に置いておいたら?私が渡しておいてあげる」
「ありがとう。じゃあ、お願いしようかな…」
「うん」
彼女はじっとこちらの目を見つめながら、博隆に問う。その際、彼女の瞳が博隆の姿を映し出す。一点の曇りもない大きな瞳がまるで深い…深い夜空のように思えた。
「ねぇ、名前…名前はなんていうの?」
「えっと…僕は葛西博隆」
まさかレポートを出してもらうだけなのに自己紹介をすることになるなんて。
いきなりのことで多少動揺したものの、博隆は自分の名前を告げた。
「そう…」
え、この流れでそれだけ?普通は互いに自己紹介するんじゃないだろうか。腑に落ちなかった博隆はあえて彼女に名前を尋ねてみた。
「君は?僕だけ、なんてことはないでしょ?」
「私?私はね…」
彼女はそこで一旦間を置く。
窓から吹き付ける風で流れそうになる長い髪を左手で顳顬辺りを抑えながら、そっと上目遣いでその名を言おうと息を吐くように口を開いた瞬間。
「真冬……?」
博隆は零れ落ちたみたいに無自覚にその名を口に出した。
博隆と少女はそろって目を見開いて、固まっている。
「ねぇ、どうして君は私の名前を知っているの?」
真冬は怒っているような納得のいかない表情で博隆に問いただす。
「えっと…わからない。なんだか君を見ていたら、何となくそんな気がして…」
彼女のことを見ていたら、本当に天から降ってきたみたいに「真冬」という名が頭をよぎった。「真冬」…あまりメジャーな名前ではないのにどうして…。
「そう、そうなのね…」
博隆は自分でもおかしなことを言っている自覚はあったにも関わらず、彼女は何も言ってこない。むしろ彼女はどこか腑に落ちたような表情をしている。
「では改めて、私は真冬…琴坂真冬よ」
真冬…その名を聞くと、大人しいとか、少し冷たい人という印象を受けそうだが、彼女からはそんなことは微塵も感じない。博隆的にはいい意味で彼女に似つかわしくない名前だなと思った。
「ねぇ、あなたの感情ってどんな色…?どんな形してるの…?どんな時に芽生えるものなの…?」
「え……?」
真冬の質問?はたまたそれは独り言だったのかもしれないけど、博隆は何も言うことが出来ずに、その場で佇んでしまった。
美術室が静寂に包まれて、間も無く、ホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴った…。
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