一話:変わり映えのない日常
九月下旬は柿本博隆が最も嫌いな時期である。この時期、秋雨前線が日本列島に停滞し、各地に連日雨をもたらす。おまけにそこそこ高い気温も合わさり、絶妙なコンビネーションを決めてくる。やっと雨が止んだかと思ったら、今度は台風十二号?がやってきた。そのおかげで十三日連続の雨とか朝の情報番組のアナウンサーが言ってた気がする。ふざけるのも大概にしてほしいものだ。だから博隆はこの時期がたまらく嫌いだ。容赦なく強い日差しが照りつける夏のほうが幾分かマシに思える。
博隆の通う柏森高校は、中間テスト週間真っ只中で、ちょうど今現在も現国のテストが行われている。これで今日三教科目なので、博隆の脳は休息を必要としている。博隆はテストの問題を半分だけ解き、こうして肘立てをしながら教室の外で今日も降り続けている雨をぼんやりと眺めていた。
幸い、博隆は窓側一番後ろの座席なので、教卓の前にいる監督官からは見づらい席だ。そのためテストがない日でもこうしてボーっと何もせずに過ごしている。
キーンコーンカーンコーン
テストの終りを告げるチャイムが鳴る。こうしていると時間が早く進むような気がする。
博隆は今日一日頑張った自分を癒すため、ふたたび窓の外を眺めながら、ダラダラしていた。するとコツコツとリズムのよい足音で近づいてくる女子生徒が一人。
彼女は橋口恵美。女性にしては高身長で、足もすらっとしている。茶色交じりの髪は肩の少し下辺りで切りそろえられており、今時の女子高生という感じの印象を受ける。
彼女とは一年の時に同じ美化委員会で知り合った。何の話だったか、たしか本を読んでいたら彼女が自分もその作家のファンだということでよく話すようになり、その作家の作品についてやれあそこの表現がたまらなくいいだの、論の進め方が上手いだの、自分たちの意見をお互い語り合った。そして二年生で同じクラスになり、一緒にいる時間が多くなった。まあ、友達同士という関係だ。
「おはよう、博隆君。もう、またそうやって面倒くさそうにしてるんだから」
「そんなことないって、ほんのすこし寝不足なだけだよ」
「どうだか。ほんと博隆君は何考えてるかわかんない」
恵美が疑いと呆れの眼差しを向けながらつぶやく。
「そんなのどうでもいいことじゃないか。それより雅人はあそこで何やってるんだ?」
「うーん、なんだか元気なさそうだね。テスト中もああやってたし、あんまりできなかったんじゃないかな」
「ああ、なるほど」
二人は教室の一番廊下側の三列目に目を向けた。男子生徒が一人机に突っ伏している。彼の名前は桐生雅人。雅人とは二年生になり、出席番号が近くということで座席も近くなり、自然と話すようになり、以来恵美と三人で過ごすことが多くなった。
ムクっ。雅人はいきなり顔を上げ、こちらの視線に気が付いたのか、不快そうに両の眉を寄せながらこちらに近づいてきた。
「どーせ、お前らまた俺のことバカにしてたんだろ」
「別にそんなつもりじゃないよ。ただ雅人君が元気なさそうだったから心配していただけだって。ね、博隆君?」
恵美が博隆に弁護を求める。
「ああ、恵美の言うとおり、雅人のことを気遣っていただけだ」
「本当か?」
「本当だ」
「そっか…心配してくれてたんだな。ありがとうな二人とも!」
雅人は自分の歯を見せながらにっと微笑む。雅人のこういう面を見るたびに素直な奴だと感心すると同時に、どうしてもチョロイ奴だとも思ってしまう。許せ雅人。
「とは言っても、大丈夫?テスト中殆ど寝てたけど…」
恵美が心配そうに雅人に尋ねる。
「ああーえっと…実は前のテストが終わったとき…」
雅人はそこで言葉を区切ると、顎を前に突き出して、野太い声で話し出した。
「おい、桐生。おまえさん、洒落にならんレベルで留年まっしぐらやぞ。ちゃんと勉強しとるかいな」
「なんだそれは?」
「現国の山崎先生だって!分かるだろ?」
「微妙に似てる気がしなくもないレベル」
「まじ?結構自身あったんだけどなー」
対応に困って固まっている恵美とジト目で雅人を見つめる博隆。
「ま、どうでもいいことだ。二人ともホームルームが終わったらとっとと帰ろーぜ」
「あのなあ、だいたいお前は楽観的過ぎなんだよ。留年とか親に迷惑掛けるのとかはするなよ」
「まあまあ。明日はテスト最終日だし、早く帰らないとね」
「げっ!明日の提出物まだ終わってねーかも…」
「たしか、明日は世界史、化学、英語の提出日だったよね」
雅人と恵美が話してるうちに前のドアが開かれ、担任の杉本宗太がかったるそうに欠伸をしながら入ってきた。
「おーい、みんな席についてるな?って桐生お前いつまで立ってるんだ?」
雅人は自分だけ注意されたことに納得がいかず、先ほど恵美がいた方へ目を向ける。
「ちょっと待ってくれよ、なんで俺だけなんだよ!恵美ちゃんだってここに…ってあれ?なんでお前もう席に座ってんだよ」
恵美は教室、廊下側の窓から杉本の姿を確認すると、いち早く自分の席へと戻り、音も立てずに着席したのだ。
恵美が雅人に優しく微笑み、両手を自分の前で合わせる。
「え、えみちゃあああん!!?」
雅人は隣の教室まで聞こえているんじゃないかというほど大きな声で絶叫した。
「桐生、なんでもいいから早く席に座れ」
「はい…」
雅人が萎れた声でしぶしぶ頷くと、クラス中が笑いの渦に包まれた。ホームルームが終わり、博隆、恵美、雅人の三人で歩いて帰っていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いつの間にか雨も止んで、久しぶりに青い空が見えていた。雨上がりだというのに、まぶしい太陽が雲の隙間から顔を覗かせ、早くもアスファルトに溜まった水たまりが蒸発し始め、高湿気地帯を作り出していた。三人とも歩き始めてそう時間は経ってはいないが、すでにうっすらと額に汗を滲ませて歩いていた。
三人は恵美の家がある方面に向かって歩いていた。とは言っても、雅人も恵美の家を少し進んだところの松原駅という駅を通学に利用してるし、博隆も少し遠回りではあるがそれほど自分の家と違う方向ではなく、十分ほど余分に時間がかかるというだけなので、二人と一緒に帰るようにしている。
「なんか面白いことねーかな」
雅人がつぶやく。帰り道いつも最初に話題を提示するのは雅人の役割、みたいになっている。
「うーん、話題ない?っていざ聞かれるとぱっとは思いつかないんだよね」
恵美が首をかしげて、考えるようなしぐさをしながら答える。
「じゃ、じゃあ…中間テスト終わったら、どっか遊びにでも行くか?ま、長期休暇じゃないし、あんま遠くには行けないけど」
「「っっっっっ!!!!!」」
恵美、雅人の二人ともが目を最大限まで開けて驚いている。これはさすがにオーバーリアクションすぎるだろうと博隆は内心思った。
「なに、その反応?シンプルにうざいんだけど、二人とも」
「いや、すまんすまん。まさか博隆から遊ぼうなんてお誘いがあると思わなかったからさ…」
「う、うんそう。私もちょっとびっくりしちゃった」
二人は慌てふためきながら弁明する。
「慣れないことはするもんじゃないな、やっぱ、さっきのことなかったことにしてくれ」
「いや、本当にわるかったって。幸福堂の白玉ぜんざい、あれお前すげー気に入ってただろ?また今度おごってやるからさ、機嫌直せよ」
「うん、私もおごるから。おなか一杯食べれるよ」
これまた二人は慌てふためき、謝罪の気持ちをぜんざいで表す。
「別にいいよ恵美に奢ってもらわなくても、僕、恵美にはそんなに怒ってないから」
「うん、ありがとね博隆君」
恵美と博隆は無事仲直りし、二人並んで歩いていた。
「まてまて博隆!俺と恵美との対応が違いすぎやしないか?」
その場で突っ立ってた雅人が何か叫んでいる。気にしないで進もう。
「シカトしてんじゃねーよ!!!」
また一段と大きな声で雅人が叫ぶ。
「雅人はいちいち大きな声を出さないといけないのか?ほら、あそこにいる小学生だっておびえた目でお前を見てるじゃないか」
雅人は博隆の視線の先を見る。博隆の言った通り、ランドセルを背負った女の子二人が後ずさりしながら、涙目で雅人のほうを見ていた。
「おーい、急に大きな声出してごめんな」
雅人はできる限り優しく声を掛けたが、女の子たちは何も言わずに走り去っていった。
「やっちまったか……?」
「やっちまったな」
「やっちゃったね……」
三人は無言で歩いていると、恵美の家から一番近い公園、古池公園にたどり着いた。六月の下旬なので、まだまだ日が沈む気配はない。古池公園はバスケットコート二面分くらいの広さでブランコや滑り台と平行棒の複合遊具、あとは横長のベンチが一つだけ設置されている。とくに大きい石はなく、砂もサラサラなので仮に転倒したとしても、けがをする心配はないと言えるだろう。
そこが三人の放課後の溜り場となっており、天候がすぐれない、もしくは誰かの予定がない限りは日が暮れるまで、日が暮れてもそこでだべったり、サッカーをしたり、遊具で遊んだりしている。
三人は古池公園に足を踏み入れた。三人の他に人は誰もいない。まったく、最近の小中学生は外で遊ぶことをあまり好まないらしい。家の中でゲームや漫画に夢中になっているのだろうか。自分が小学生の時を思い出しながら、博隆はこれほど短い期間でも子供たちの生活形態は変わってしまったのかと思った。
雅人は二つあるブランコの手前側に腰を下ろし、深いため息をついた。
「いい加減、機嫌直しなよ。な?雅人」
博隆がこどもをあやすように雅人に語りかける。
「あははは。俺って能天気で空気読めないし、すぐ調子に乗って一人で突き進むし、ほんと俺って駄目な奴だよな……」
雅人は明後日の方向を見ながら自虐的に呟く。
「まったく、その通りだな。恵美もそう思うでしょ?」
「う、うん…そうかな?」
博隆の突然の振りに恵美は曖昧な反応をする。
「二人とも少しは俺を慰めてくれよ…」
今にも泣きだしそうな表情で雅人は二人に救いの手を求めた。
「でも、私は雅人君が駄目な人だなんて一度も思ったことないよ」
「 恵美ちゃん......?」
「確かに雅人君は周り見えなくて、デリカシーないことばっかり言うけれど...」
雅人に見えない言葉の槍が降り注がれる。
「私、雅人君のそういうところがいいとこだと思うの。だって周りが見えないっていうのは何かに夢中になれるってことでしょ?たまにデリカシーのないこと言ってくるけど、それは雅人がまっすぐで、偽ることなく、本音で話してくれてるってことだと思うの。だから私、雅人君に憧れてる部分もあるんだよ」
「恵美ちゃん…今まで俺のことそんなふうに思ってくれてたんだな…」
「うん、だからあまり気を落とさないでね」
「ありがとう、恵美ちゃん。おかげですっきりしたよ」
「うん!」
恵美のおかげで雅人は立ち直ることができた。こういう時、博隆は恵美を感心せずにはいられない。恵美は他人の本質を見抜く洞察力が優れていると思う。博隆や雅人が困っているときはいつも一番に気づいて手助けしてくれるし、今回みたいに自分でも気が付かない小さなことでも恵美は見てくれている。これらは簡単にはできないことだと思うし、これらを実行できる恵美はとても素敵な女性だと思う。っとこんなことを言うと二人に笑われそうで、恥ずかしいので、絶対に言わないでおこうと博隆は自分に言い聞かせた。
「なんだかしんみりとしちゃったし、ここはサッカーをやらない?」
恵美が二人に提案する。
「そうだね、僕も今日は体を動かしたい気分なんだ」
「うっしゃ!そうと決まれば、恵美ちゃん、ボール頼む」
雅人は勢いをつけてブランコから飛び降りた。スタッ。なんともないように着地する。雅人は運動神経が結構いい。
「わかった、家から持ってくるね」
「サンキューな」
恵美はボールを取りに、家の方向へ走っていった。
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