第1の事件(7)
聴取を終え、桜井茜と須和幸助は皆川署に戻るため、車を走らせていた。
須和は、捜査会議で貰った資料に目を通した後、窓の外を流れる景色に視線を向けていた。時間としては18時だが、日は既に沈んでおり、外は闇に覆われようとしていた。外にある建物の明かりとは対照的に秋空には、星が弱々しい光を放っていた。その風景を何気なく眺め、須和の頭には聴取での出来事が浮かんでいた。藤乃美紀、花村詩織、永山修そして小村正紀の聴取だった。
茜の佐藤に対する印象を問う質問に、永山修と小村正紀の聴取でも、藤乃と花村が思っていたことと同じことを答えた。過去は優しく頼りがいのある男性だったが、今は横暴になっていると永山修と小村正紀は述べていのだ。
永山修と小村正紀の内、茜と須和が最初に聴取することになったのは、永山修の方だった。永山修の風貌から、須和や花村より若い年齢と推測できた。身長は須和より低く、長髪の男性だった。佐藤のことを質問した後茜は、永山に被害報告したことについて尋ねたのだ。
「では、永山さんが被害報告をされた理由を教えていただけますか?」
茜の質問に永山は首を縦に振った。
「いいですよ。えっと……被害報告をした理由ですよね?それはですね。藤乃さんに頼まれたからですよ」
「頼まれたんですか?藤乃さんに」
「はい。あ〜なんでも。花村さんが可愛いそうだからみんなで報告すれば、何とかなるんじゃないか〜と言ってましたね。まぁ、確かに可愛いそうではありましたね。花村さんは別に、仕事ができない訳ではなかったですからね」
須和は、茜と永山のやり取りを聞きながら心の中で呟いていた。
それにしても、こいつの口調はどうにかならないのか。なんか、軽い?と言うかいかにも若者って感じの喋り方だな。もう少し態度ってものをだな……。そう考え、須和はメモを取りながら時々視線を永山に向け、苛立ちを訴えていた。
そんな、須和を他所に解答を聞いていた茜は、不思議そうな顔を永山に向けた。
「なら、なぜ花村さんは、佐藤さんに怒られているんですか?何か心当たりはありますか?」
「そんなの知りませんよ。あ〜あれじゃないですか?そもそも花村さんが難しい仕事を引き受けていたから、ミスをした……みたいな」
永山は、少しきつく答えた。永山の説明を聞き終えると、茜は質問を続けた。
「なるほど……分かりました。では。永山さんが昨日、退社してから今日、出社するまでの間についてお話願えますか?覚えている範囲で結構です。時間をふまえてお願いします」
その質問に永山は軽く頷くと返答した。
「昨日は、20時半に退社してそのまま歩いて帰って……確か、22時ぐらいに家に着いたと思いますよ。あっ、途中で山名ってお店で夕食を食べました。入店が……21時前ぐらいで、その後30分ぐらいして店を出ました。出社したは、7時半です」
「それは、お1人でしたか?」
茜の問いに永山は、髪を触りながらはにかんで答えた。
「いや〜あいにくその様な関係の人はいませんからね」
茜はその台詞に、そうですか。と少し冷めた口調で返答すると質問を続けた。
「では。佐藤さんが時計をしていたことはご存知でしたか?」
「あ〜そういえばそうですね。高そうな時計を付けていた気がします。たぶん、奥さんから貰ったんでしょうね」
茜は、その言葉に少し眉が下がった。
「あまり覚えがないんですか?」
永山は、的外れなことを聞かれたかの様に笑いながら答えた。
「そらそうですよ。高級な物だからって佐藤さんが笑ってたのは覚えてますけど、1年ぐらい前にしれっと付けて来ただけですからね。こっちも仕事で忙しいですから。それどころじゃないですよ」
永山の説明に合点がいったのか、再び丁寧な口調で語りかけた。
「分かりました。ご協力ありがとうございました」
茜がそう言うと2人は永山の聴取を終えた。
次に、須和の頭に浮かんだのは、小村正紀の聴取だった。小村は、高身長でがたいのいい体格をしていた。紺色の眼鏡をかけ、髪は短く刈られていた。見た目の年齢は茜と同じくらいの男性だった。茜は佐藤に対する質問を終え、被害報告をしたことについて小村に話し始めていた。
「では、小村さんが被害報告をされた理由を教えていただけますか?」
その問いに小村は、まっすぐに茜を見つめ一つ一つ丁寧に言葉を口にした。
「分かりました。既に存じ上げていると思いますが、私も他の方と同じで藤乃さんにお願いされたので報告しました。確かに、仕事で不手際を起こした場合には、叱るのは当然だと思います。ですが、佐藤さんのやり方は度が過ぎていると感じました。他の方が失敗をしても怒りますが、花村さんにはより厳しく感じました。ですから、藤乃さんの提案に賛成したんです。頑張ってる花村さんが不憫でしたから……」
茜から視線が外れ、少し俯いた。
「花村さんは、仕事が上手くいってなかったんですか?」
視線を茜に向き直すと少し強めの口調で小村は、答えた。
「そんなことはありません。別段、仕事ができない様には見えませんでした。どちらかと言えば優秀な方だと思います」
「では、佐藤さんはどうして花村さんにはきつく当たるんですか?何か心当たりはありませんか?」
小村は、茜の疑問に困惑の表情を浮かべた。小村は少し考えた後 、解答を述べた。
「花村さんが離婚されていることは、ご存知ですか?」
「はい。伺っております」
「実を言えば、私にもはっきりとは分かりません。ただ、同じ離婚経験者として、佐藤さんは花村さんの世話を焼きたくなったんじゃないですかね?花村さんは、優秀ですから、より熱が入ってしまったんじゃないですか?」
小村の説明を聞き終えると、茜は淡々と次の質問に進んだ。
「そうですか。分かりました。次の質問です。小村さんは、佐藤さんが腕時計をしていたのはご存知ですか?もし、ご存知ならブランドなど教えていただけると助かるのですが」
その質問に少し考えると、ためらいながら小村は答えた。
「ええ。知っていますが、さすがにブランドまでは覚えてないですね。高価そうなイメージはありますが……それがどうかしたのですか?」
「すみませんが……守秘義務がありますので、お答えできません」
茜が申し訳なさそうに答えたのを聞いて、小村は首を横に数回動かした。
「いえ。構いません。少し気になっただけですので」
「ありがとうございます。ご理解いただき感謝します。では、その腕時計は誰から貰ったかはご存知ですか?」
小村は、眉間に皺を寄せ目を見開いた。その後、静かに目を閉じ少し間を開けて口を開いた。
「自分で買ったんじゃないですかね?あるいは、奥さんからのプレゼントとかですかね……」
「そうですか……分かりました。ありがとうございます。続けて申し訳ないのですが、小村さんは昨日、退社してから今日、出社するまでの間、何をされていましたか?覚えている範囲で構わないので、時間等を詳しくお願いします」
茜の質問に小村が少し身構えるのが、2人には分かった。やがて小村は、落ち着いた様子で答え始めた。
「昨日は……22時に退社しました。今日の会議に向け、資料を整理していましたから。その後、22時半の電車に乗り、吉岡市に23時過ぎに着きました。そこから歩いて、家に着いたのが23時半ぐらいだと思います。そこから、夕飯を食べて就寝しました。確か、1時過ぎだったと思います。その後、5時50分に起床して、6時25分の電車に乗り、7時前に下車しました。その後、歩いて出社したのが7時半です」
「分かりました。ありがとうございます。では、最後の質問ですが佐藤さんが退社された時間はご存知ですか?」
小村が、話し終えるといつも通りの柔らかい口調で茜は再度、質問を伝えた。
「いえ。佐藤さんは、私が退社する時にはまだパソコンの画面と向き合っていましたから」
「そうですか。ご協力ありがとうござました」
茜の言葉を聞いた須和は、メモ帳を閉じボールペンを静かに、机の上に置いた。
聴取の光景を思い浮かべた後、須和は車窓から
メモ帳に視線を移し、考え始めた。
怨恨の線で一番可能性として高いのは、花村だ。動機としては十分考えられる。いくら、離婚者としての同情心があるとしても、それだけではいづれ限界がくるはずだ。だが、花村には完璧なアリバイがある。昨日一日、藤乃と行動を共にしていた……。いや、仮に藤乃が共犯者と考えるのはどうだろうか……もし、藤乃が花村と協力していたら……。藤乃には、協力するに足るだけの理由がある。他の人にも依頼してまで被害報告をさせたのだから、花村に協力しても、なんら不思議ではない。
須和は座席にもたれると、視線を上に向け息を吐いた。
いや。やっぱり違う。彼女らには、佐藤の帰宅時間をそもそも把握できないはずだ。4人の中で一番会社を出るのが遅かった小村の話が真実なら、まだ佐藤は仕事中だったはずだ。佐藤の帰宅時間を把握して殺すのは現実的に不可能だ。仮に、2人が行動の供述に嘘をついていたとしても、外食先やコンビニで確認は可能だ。そんな簡単にばれる嘘を付くとは、考えにくい。やっぱり怨恨の線は、無理があるのかもしれない……。
上を向いたまま須和は、メモ帳をとじ瞼を落として静かに思考を続けた。
資料の写真を見ると、腕時計は無くなっていた。花村や永山、小村の3人の話を聞く限りでは、見た目からも高級感があると言っていた。現金が無くなっていたことをふまえると、今回は、金銭目的の線が強そうだな……。
須和は、姿勢はそのままで頭を横に向けた。須和の目には、既に暗くなった風景が写り込んでいた。建物の明かりと星の輝きが、先程より強くなった様に感じられた。対向車としてすれ違う車に、時おり照らされながら、須和はまた一つため息をついた。