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2つの白は、黒い星を追躡す。  作者: 水上 稜太
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第1の事件(14)

男性の穏やかで、けれどもよく響く声が会場に反響した。静寂が覆う会場に、一声の声色によって不思議な雰囲気が醸し出されていた。桜井茜はその声を、会場の最前列で聞いていた。ただ呆然と聞いていた。


席は黒一色に染められ、茜の周りの大人はしきりに涙を流し、声をひそめて泣いていた。まるで茜だけを取り残したかのように、すすり泣く声が遠く、遠く、茜の耳に響いた。その時不意に子どもの声が鮮明に響いた。その声は震えていて、何度も何度も謝るのだ。


……ごめんなさい……うぅ、うっはっ、うっはっ、うぅ…うっ、ごめんなさい……ぐすっ、ごめんなさい、ごめんなさい……。


紡がれる言葉は呼吸音混じりで室内に響き渡った。その声の主を探そうと、茜は出入り口の方向に目をやり、頭を動かした。何度も何度も繰り返されるその声の正体を、茜は知りたかったのだ。


やがて茜の瞳は、1人の少年を映しこんだ。母親の隣でしきりに涙を流し、微かな声で泣いている、その少年を。少年は拳で何度も涙を拭いながら、「ごめんなさい」この言葉を吐き続けた。茜は少年を見据えながら、心の中で訴えた。


君さえいなければ。君のせいで……

……ねぇ、どうして。どうして、そんなに涙を流せるの。どうして。どうして、そんなに悲しめるの。


……どうして。どうして……


忘れてしまったの。


茜は、現実に引き戻されたかのように目を覚まし、上半身を起こした。身体や髪はしっとりと濡れ、腕や背中に吸い付いてくる衣服が、不快感を茜に与えた。手の甲で軽く額の汗を拭い、ため息を1つ吐き出した。

懐かしい夢……今日もしっかりしなければ……昨日のことは消せないけれど……。


茜は静かに布団から出ると、掛けてあるシャツの袖に腕を通した。


瞼を開くと瞳に光が入り込んできた。その眩しさに目を細め、ぼんやりと眺めた。

ここは……どこだ。心地の良い香りがする……。見慣れない天井だ。俺は……確か桜井警部補と飲みに行って……。


須和は気がついたように、慌てて身体を起こし、周りを見渡した。黒いヘッドボードには、淡い橙色の光を放つテーブルランプが目に止まった。さらにその隣には、英語の表紙の本と黒い時計が見てとれた。


次に、須和はベッドの向かいに目線を移した。そこには、ベッドとほぼ同じ高さの白い長机とその上に同色のノートパソコンが静かに置かれていた。


見慣れない風景に須和は少し考え、おもむろに自身の身体に視線を移した。それと同時に、須和の口からは安堵の息が吐き出された。

「良かった」


そう呟くと、部屋を後にした。


須和が寝室のドアを閉めると、ちょうど茜が隣の部屋から出て来た。先に見つけた須和が、茜に声をかけた。

「おはようございます」


須和の声に少し驚いた後、静かに笑顔を向けた。

「おはようございます、須和さん。お身体はいかがですか?」


須和は申し訳なさそうに、茜に笑顔を向けた。

「おかげ様で大丈夫です。それより、すみませんベッドをお借りしてしまって」


須和の台詞に、茜も軽く眉間にしわをよせ返答した。

「いえ。それより、ごめんなさい」

「どうして、謝るんですか? 」

「それは、須和さんに少し嘘をついてしまったので」


茜の返答に、キョトンとした表情で須和は質問した。

「嘘ですか? 」

「はい。飲むのが目的と言いましたが、本来の目的は推測の正当性を確認するため、居酒屋さんに向かいました」


再び眉間にしわをよせると、茜はもう一度謝った。

「ですので本当にごめんなさい」


合点がいった須和は、茜に笑顔を向けた。

「そうだったんですね。別に、謝るほどのことでもないですよ」

須和は内心とは違って、冷静に返答した。

そもそもが捜査中に飲みに行くって言った時点で、気づくべきだっただけだ。何を舞い上がってたんだ俺は、バカ過ぎるだろ。まぁ……残念ではあるのだけど。


「そうですか。ありがとうございます……では、この話の続きは朝食をとってからにしませんか? 」


再び茜は笑顔を作ると、須和と目線を合わせて提案した。


その提案に、そうですね。そう答えると須和は微笑んだ。


食後のコーヒーを静かに啜り2人は一息つきいた。少しの間、部屋には静けさが広がり、2人が座るダイニングテーブルを朝日の柔らかな光が包み込んだ。この静寂を破り先に口を開いたのは茜だった。


「先程の話ですが、まず女性でもおそらく犯行は可能です。私でも酔った須和さんの首に縄をかけることは可能でした」


須和は首を軽く触りながら思った。

あの感触はそれだったのか。でも……


「でもそれは、お酒のまわり具合によるものではないですか?」


「そこは、店長に確認をお願いしました」


茜のセリフは須和の頭に居酒屋での出来事を思い出させた。

あの会釈は、そういうことか。あの時、店長に頼んだってことか。


須和はゆっくりと確認するかのように言葉を発した。

「それでは、桜井警部補は花村や藤乃が怪しいと思われているのですか?」


「いえ、可能性の話です」


「花村さんは動機がありますが藤乃さんとのアリバイが存在します。それに、藤乃さんも弱いながら動機があり同様にアリバイがあります。そして……」


「そして、永山は動機アリバイともになし。小村は動機はあるけどアリバイはなしですか……こう考えると小村が一番怪しく思えます」


「ええ、ですが肝心な犯行時刻のアリバイは皆さんともに存在しません」


実際のところ犯行時刻での皆さんのアリバイを立証するのは難しいですし」


「そうですね。なかなか順調とはいかないですね……」


須和が考え始めるのと同時に、茜が椅子を引いて立ち上がった。

「そろそろ、下げてもいいですか?」


茜は手のひらを上にして、須和の目の前にあるコーヒーカップを指した。

「僕も手伝います」


立ち上がる須和を、茜は、かまいませんよ。そう言って手のひらで制した。


「すみません。ありがとうございます」


しばらくして、カチヤカチャと食器を洗う音が聞こえてきた。テーブルの中央に置かれた花に須和は呟やいた。それは、小さな花が集まり薄いピンクや黄色、オレンジの花が身を寄せ合うように咲いていた。

「綺麗な花だな」


それを聞いた茜は洗う手を止め、須和に話かけた。

「それは、カランコエって言う花ですよ」


茜の声に反射的に反応し、須和は声のする方に顔を向けた。

「お好きなんですか?」

「ええ。私も好きですよ」


そう言うと、茜は再びカチヤカチャと音を鳴らし始めた。


須和は茜の返答に、違和感を感じたが深く考えようとはしなかった。手持ち無沙汰になった須和は、部屋を見渡した。二、三度、頭を動かした後、あるものに須和の視線は吸い込まれた。黒いテレビデスクの上には、白い写真立てが倒れていた。

何の写真だろう。


須和はそれを直そうと静かに手を伸ばした。須和自身も理解していない、何か不思議な緊張感が手の動きをゆっくりにかえた。


ゆっくりと伸ばされた手はフレームに優しく触れると、少しずつそれを持ちあげた。


ワン!


須和が驚いて振り返ると一匹の犬が須和を見上げていた。その声は須和を緊張感から解放した。

「おいで」


そう言って茜は彼を優しく拾い上げると、ご飯皿の前に下ろした。カリカリと音を立てて食べるのを少し眺めた後、茜は須和に告げた。

「そろそろ行きますよ」

「はい」


椅子に準備されている荷物を取ると玄関に向かった。揃えられた靴に足を通した須和は不意に足を止めて振り返り、再度静かに伏せられた写真立てに視線を移した。それに惹きつけられた瞳は3秒程それをぼんやり写した後、玄関の外に向けられた。須和が足を踏み出すと、ドアはゆっくりと閉じられ施錠された。


部屋は再び静まり返り彼の食事の音だけが鮮明に響き渡った。


 「本部長。桜井警部補のことでお伝えしたいことがあります」

椅子に腰掛ける男性の正面に立ち、江藤美奈子は良く通る声で伝えた。美奈子は問いかけに対する男性の反応を確認してから落ち着いて話始めた。

「まず……」


 緊張しながらも、それを感じさせない堂々した態度で言葉を紡いだ。


 ほんの十数分のできごとだが美奈子にとってはそれ以上に感じていた。今まで幾度となく報告を行ってきた美奈子にもそう感じさせるほどの威圧感を男性は纏っていた。


「失礼します」

美奈子は会釈をすると踵を返した。男性は美奈子の背中を呼び止めた。


「どうかしましたか」

 男性は引き出しから大きな封筒を取り出すと美奈子に手渡した。美奈子は静かにそれに視線を落とし考えを巡らせた。

 分厚い、表面には何の記載もない、何かの紙かな?後は、USBメモリーと……


 美奈子は考えたが、今の情報量だけではこれとした解答を得られなかった。

「これは、なんですか?」


 男性はその問いに対して、美奈子に力強い眼光を向けたかと思うとすぐに顔を緩め、落ち着いた低い声で伝えた。

「以上だ。もう行っていいぞ」

「失礼します」


 美奈子は重厚な扉を静かに閉めると背中を少しだけ、触れさせ瞳の力を抜いた。

「ところで、どうしてあなたがここにいるのかしら?」

「そんなに変ですか?」

 

 扉を背にした美奈子が最初に瞳に写したのは成瀬彰だった。

「そんな風に疑問にもたれるのは心外ですね」

「そうかしら、いたって正常だと思うけど」

「またまた、ご冗談を。ところで……


 美奈子に成瀬はあからさまな作り笑いを浮かべ、少し落ち着いた口調で会話を切り替えた。

「何を話されてたんですか?」


 美奈子の手元に視線を向けた後、確信をついた様な力強い視線を美奈子に向けた。

「別に、あなたには関係のないことよ」

「そうですか」

「話は終わりかしら、私は先に戻るわ」


 成瀬の返答を待つ間もなく美奈子は眼前を横切った。美奈子の瞳には成瀬が会釈する姿が目に入ったが特に関心を示さなかった。美奈子は目の端に成瀬とは別の男性をわずかに見据え歩き去った。その男性は歩を進めながらゆっくりとふりかえり美奈子を瞳に映すと成瀬の方へと向かった。180cm前後の成瀬より小柄の男性は成瀬に話かけた。

「お疲れ様です。成瀬さん」

「おう。お疲れさん」

「少しお時間よろしいですか?」

「問題ない。続けてくれ」


 2人は真剣な面持ちで会話をしながら歩き始めた。背の低い男性の名前は戸高裕真。この男、鑑識である。

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