アイゼンさんとキヌばあさん
お家に着くと、おばあさんが出迎えてくれました。
「よく来たね。坊や」
機織りのキヌばあさんは、いつもナント・カナールを『坊や』と呼んで、可愛がってくれます。ナント・カナールが、採って来たタイマ草の茎とコガネマユガの繭を見せると、キヌばあさんは大層、喜びました。
ちょうど、裏の段々畑からキヌばあさんの息子のアイゼンさんが帰って来ました。ホンアイ草を籠いっぱいに摘んで来たアイゼンさんは、ナント・カナールを見ると、なんにも言わずに、そのふわふわした耳を触るのでした。ナント・カナールはくすぐったくて、耳をぴくぴく動かしましたが、不思議と嫌な気はしませんでした。
アイゼンさんの手は、いつも爪が真っ青で、ホンアイ草の匂いがしています。
お家の中には、広い土間がありました。大きな瓶の口が、土の床から頭だけひょっこり出すようにして、四つ並んでいます。その上には、糸の束がたくさん干してありました。淡い青から濃い紺色まで、いろんな青さの糸が順番に並んでいて、とても綺麗です。
瓶の隣には、大きなかまどが三つと、流しが一つあります。アイゼンさんが、ホンアイ草の天ぷらを作ってくれたので、ナント・カナールは、キヌばあさんと、アイゼンさんと一緒に晩ごはんを食べることになりました。
「今日は泊まってお行き」
キヌばあさんは、ナント・カナールが来ると、いつもそう言うのです。
「あの子が死んだのは、ちょうど坊やくらいの歳だったねぇ……」
ご飯を食べながら、キヌばあさんは決まって同じ話をします。まだアイゼンさんが子供の頃、アイゼンさんは妹と一緒に、漁師だったお父さんに連れられて、海へ遊びに行きました。
その時、海賊に襲われてお父さんの船はひっくり返ってしまったのです。
助かったのはアイゼンさんだけでした。海に投げ出されたお父さんと妹は、とうとう見つからなかったのです。
それ以来、アイゼンさんは喋ったり笑ったり出来なくなってしまいました。
その妹が亡くなった歳が、今のナント・カナールと同じくらいだったと、キヌばあさんは言います。そして、ナント・カナールに決まってこう言うのでした。
「坊やはけっして海に出てはいけないよ。海には恐ろしい海賊がいるんだからね」
次の日は、朝早くからキヌばあさんがコガネマユガの繭を茹でて、糸を紡いでいました。ナント・カナールもおばあさんのお手伝いに、糸車をくるくると回します。繭を茹でた匂いはとても臭くて、ナント・カナールは何度もくしゃみをしてしまうのでした。
外ではアイゼンさんが、タイマ草の茎を裂いて、小川の水にさらして繊維をとっています。
お庭の軒先で眠っていたサンバンメが目を覚ますと、アイゼンさんはサンバンメにもホンアイ草を分けてくれました。
サンバンメが美味しそうにホンアイ草を食べ始めると、アイゼンさんはまたタイマ草の繊維をとる作業に戻っていきました。タイマ草の茎は、外側のかたい皮をむいて、小川の水で柔らかくした中の芯を、細く細くたてに割いていきます。そうして、細い糸のようにしたものが麻糸です。麻糸で織った布は丈夫で涼しいので、夏に使うとちょうど良く、アイゼンさんが染める藍染めの麻は色もきれいで虫がつかないと、町でも評判です。
お昼前、アイゼンさんが作業を終えて、麻糸の束を二つこしらえた頃には、ナント・カナールとキヌばあさんも、繭から絹糸を紡ぎ終えました。
糸をとり終えた繭からは、コガネマユガの茹であがったサナギが出てきます。
キヌばあさんはサナギを油で揚げて、塩をふってナント・カナールのおやつに持たせてくれました。
「ありがとう」
ナント・カナールがお礼を言うと、キヌばあさんはシワシワの顔をもっとシワシワにして笑うのでした。
アイゼンさんが、綺麗な空色のサロペットを持って来て、何にも言わずにぬっ、と出しました。
「坊やのズボンはもうボロボロだ。ゴムも伸びちまってブカブカじゃないか」
言われてみれば、ナント・カナールの服はどこも擦りきれていて、悲しいくらい灰色をしています。
「アイゼンの小さい頃の服だけどね。坊やにあげるよ」
キヌばあさんはそう言って、ナント・カナールに空色のサロペットを渡しました。胸に金色のボタンと大きなポケットが付いています。
ナント・カナールは嬉しくなって、しっぽをゆらゆらゆらしました。
お昼御飯も一緒に食べてから、ナント・カナールはお家に帰ることにしました。
「これちょうだい」
ナント・カナールは、タイマ草のはぎ取った皮を指さして言いました。糸に出来ない部分は捨ててしまうので、キヌばあさんもアイゼンさんも首をかしげました。
「こんなもの、何に使うんだい?」
「かみをすくの」
「髪?」
「お絵かきするの」
「紙かい」
キヌばあさんはうなずいて、台所から漂白剤を持って来ました。
「たっぷりの水にようく溶かして使うんだよ」
キヌばあさんは小さな茶色い瓶に漂白剤を小分けにして、ナント・カナールに渡します。
「ありがとう」
ナント・カナールはお礼を言って、胸のポケットに小瓶をしまいました。それからタイマ草の皮をサンバンメの籠に詰めて、おやつの入った油紙の袋を持って、キヌばあさんたちにさよならを言って、森のお家に向かうのでした。