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パラレルワールド

 自分の家の鍵穴を回す。ただあたり前の日常の行為だというのに、鍵穴を回す手が重い。肩から背中にかけて重く気だるい疲れがのしかかる。だがそれ以上に、胸の奥に募っている孤独が彼女、七音の顔を曇らせていた。


「ただいまぁ~…」


 もちろん返事など帰ってくるはずもない。家の中には、彼氏も家族もおろかペットもいない。強いて言うなら、玄関からすぐに置いてある姿見に映る自分くらいだ。化粧がはがれかかって、疲れのせいかいつも以上に不細工な自分。トレードマークとして染め上げた毛先の赤い金髪は、その染め分けのせいで小まめに染め直しをしなければならず、ギシギシに痛んでいて手櫛など通せたものじゃない。連日のライブやメディア出演続きでスタイリストに施された厚いメイクを落とせば、荒れた肌が顔を出す。


「…、なんであたし、こんな男みたいな生き方選んじゃったかな…」


男みたいと言うのは、自分が夢を追いかけて親友である玲治や杏奈を置いて上京したことを指す。結果、自身は音楽界で成功し、人気歌手として名を馳せている。夢は叶ったが、なぜか自分を素直に幸せとは言えないでいる。


「…また、3人でセッションしたいな…」


 メイクをウェットティッシュ状のメイク落としでふき取り、そのまま狭いリビングに置かれたベッドにダイブする。寝返りを打って真っ白な天井を枕を抱いて仰ぎ見る格好になれば、思い出すのは自分が最も楽しかった学生時代のことだ。玲治のドラムに杏奈のキーボード、今一緒に仕事をするプロの演奏家と比べればからっきしだが、比較できないものがあった。


クサい言葉を使うなら、心のつながりというやつだろうか。


 今の方がもっと質のいい音楽活動はできる環境なのかもしれない。だが、なんとなく学生時代と比べると音楽が楽しくない。夢が仕事に変わってしまったからなのか。最近は自分で書いていた歌詞もまったく思いつかなくなり、作詞ノートを前にしても3行でページを破いて捨ててしまう。学生時代のストックもボチボチつきかけているというのにまさにスランプ状態だ。大きなため息を思わずついてしまう。


「あたしが、…夢じゃない方を選んでいたらどうなってたろう…

 …玲治…、気づいてるわけないか…、こっちから身を引いたんだ

 …あたり前だよね…」


「…バカ……」


吐き捨てるようにつぶやいて目を閉じる。


 すると、ベッドに穴が開いて自分の身体が重力のなすがまま途方もなく暗い闇の中に落ちていく。ああ、自分はまさに眠りに落ちているのだと夢の中で自覚する奇妙な感覚。恐らくは連日の疲れのせいで、眠りが浅くなってしまっているのだろう。肉体的な疲労は心地よい睡眠を呼び寄せるだろうが、孤独の混じった鬱屈した精神的疲労は眠りを浅くし、体力の回復しない悪循環を呼び寄せる。それを象徴するかのように、七音はそこのない暗闇の中をひたすら落ちていく。光は遥か彼方、見えないほどの上空にあり、気が付けば闇の中で独りぼっちで立っていた。いつの間に着地をしたのかは知れない。どうせ夢の中だ。感覚が断片的にしか働かないのだろう。


「よう、いつかの夢の中以来だな」


その断片的な感覚の中で、聞き覚えのあるアルトボイスが木霊する。


 声が聞こえた方を振り返ると、これまた見覚えのあるアルトボイスにはとても似合わない容姿の少女。自分の無理くり染め上げたけばけばしくてこ汚いものとは違う、明らかに地毛と分かるしなやかで美しい金髪。だが何よりも特徴的なのは、鋭い釣り目に宿された血のように真っ赤な瞳。それが彼女が夢の中でしかあり得ない存在であることを示していた。


「…また同じ夢を見て、それをあなたが覚えているなんて不思議な話ね。

 言っておくけど返事ならNOのままだよ」


「お前はそうかもしれないが、この取引に応じた奴がいてな。

 悪いがお前にはそいつにつきあってもらうことになる」


「…誰の話…?」


首を傾げながら尋ねると、少女は七音の背後の方を指さす。すると思ってもみない人物がそこにはいた。


「お、おまえ…」

「…玲…治…」


ふたりはしばらくの間、互いの顔を見合わせ瞬きを二三度。まるでふたりともが同じ夢を見て、感覚を共有しているような奇妙な光景だ。


「どういうこと?玲治があなたの契約に乗ったということ?」

「…そういうことになるな」


少女がそう答えると、七音は途端に呆れたような顔つきになって、玲治をなじるような視線で見つめる。


「どういうつもり?あなたが人生を変える取引に乗るなんて…」


 七音はかつて、この少女と夢の中で同じように会った事があった。そのときは玲治は夢の中に現れなかったのだが。七音は少女にこう尋ねられた。


「こうは思ったことはないか?違う人生があればと…」


 玲治が尋ねられたものとまったく同じ問いかけだ。この少女、ナラクは玲治だけでなく七音にも接触を図っていたのだ。そして同様に今まで積み立ててきた人生を変えてしまう取引を申し出ていたのだ。七音はそれを断ったが、玲治はそれに乗った。玲治が乗った以上、七音にはそれにつきあってもらう必要があるとナラクは言うのだ。


「…あたしはゴメンだよ。今までの人生を無かったことにしてまで

 …欲しいとは思わないから…それじゃ、裏切ったってことになるでしょ?

 玲治のことも、杏奈のことも…、あなたはそれを分かってるの?」



「じゃあ…杏奈の命がかかっているとしたら…?」


 玲治の口から出た一言に、七音は目を丸くしさらに玲治を問い詰める。そこで初めて七音は杏奈が急性白血病を患っており、もう永くないと余命宣告を受けていたということを知った。あまりにも重大な事柄を、親友だと思っていた玲治が隠していた。七音は憤り、唾が飛ぶのも気にもとめないほど声を荒げる。


「…な、なんで今まで黙ってたのよ!あたしたち3人友達じゃなかったの?!

 あたし…杏奈のためなら新幹線乗ってでも見舞いに行くのに!

 なんで言ってくれなかったのよ!」


「……ごめん…」


頭を下げることしかできない玲治を前に、少しばかり落ち着きを取り戻してきた七音にふと考えがよぎる。


「…まさか、玲治…杏奈を救うために取引に…」


 本当にまさかと思って聞いてみると、玲治が首を静かに縦に振る。彼も相当追い詰められて下した決断であることを悟ると、七音も下を向いたままで何も言えなくなってしまった。間違っているかもしれない。でも、親友である杏奈を救えるのなら。悔しくはあったが、七音は玲治と同じ感情を抱いてしまい、それをどうにも拭えなくなってしまった。


「…それは杏奈が望んでいたことなの?今までのあたし達との思い出が全部…」

「それを覚えていたって、杏奈は救われない!

 …それに…、たとえ、そうだとしても俺は杏奈に…生きて欲しいんだ」


「……玲治…」


「…覚悟はできたか?その扉を開けるといい…」


 ナラクが見つめる先には暗闇の中にポツンとそびえる大きな扉。人の背丈の何倍もあるような大きさで立派なレリーフまで施されており、いくら夢の中とは言っても、いささかメルヘン過ぎる光景だ。だが、ナラクのせいでメルヘン耐性でもついたのか、それともこの扉の向こうから感じる、自分の知らない世界というオーラに感化されてか、ふたりはこの状況を深刻に受け止めていた。この扉は文字通り運命の扉だ。扉の向こうには自分たちが今まで歩んできたすべてを犠牲にした代わりに杏奈が救われた世界がある。ふたりは息をのみ込み、喉を鳴らした後、そのノブに手をかけた。



*****




「ダメっ!」


 杏奈は勢いよくベッドから上体を起こす。肩を上下させて、鼓動の荒ぶる左胸に手を当てて、あたりを見回す。いつもと同じ自分が横たわる病室だ。何も変わらない。ただ自分が悪い夢を見てただけだということを悟り、そっと胸をなでおろす。


「…杏奈?どうしたの?なんか顔色悪いよ?」


 個室のドアを開けて、杏奈にむかって微笑みかけるひとりの女性。年頃はちょうど杏奈と同じくらいで、背は160cm後半くらい、すらりとした身体つきと同じくすらりとした長い黒髪。切れ長の目には血のように真っ赤な瞳が宿されている。が、それは瞬きをした途端に何の変哲もない黒い瞳に変わった。一瞬杏奈は首をかしげるが、その疑問も見えない何かに握りつぶされるようにして消える。そして、この女性をまじまじと見ると杏奈の中でまたひとつ疑問が生まれてくるのだが、それも湧き上がる前に何者かに消されてしまう。


代わりに湧き上がってきたのは、知るはずもない目の前の女性の名前だった。


「おはよう、倉菜ちゃん」




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