違う人生があれば
事実は小説よりも奇なりとはよく言うが、ここまで奇妙なことがあるだろうか。病院からの帰り道、幽霊に会ったかと思えば、その幽霊らしき少女にアメリカンドッグを買って来いとパシらされて、おまけにこの少女が自分のことを死神などとのたまうのだ。
「おう、ありがとな」
そして大人しくアメリカンドッグを買い与えてしまった自分もまた奇妙なものだ。紙袋をミシン目に沿って切り、中からアメリカンドッグを取り出し、一口頬張る。
「…出来てから結構時間が経った奴だな。生地が空気が抜けてもしゃもしゃしてる…」
文句を言ってはいるものの、それなりに満足はしているようで小さな口をめいっぱい開けてかぶりつく様は少女らしい愛らしさを感じさせる。
「人に買ってもらっておいて文句を言うな」
「たかが108円でグダグダ言うなこの甲斐性無しが」
訂正。こいつはただの小憎たらしいガキだ。真っ赤に輝く釣り目で、こちらをなじるような視線で見下しながらの上目づかい。小腹も満たせたことだし、互いに用はないだろう。ここはこの小憎たらしいガキとは関わらずに逃げた方がいい。なんとなくこいつといるとろくなことがない気がする。心の中で悪態をつきながら、そろりと背を向けるとその背中を鋭い視線で刺してきた。
「おい、このいたいけな少女を夜のコンビニにおいて逃げるのか?」
思わず肩がびくりと跳ね上がる。声が大人びており、どすが効いてるからか。少女らしからぬ気迫が感じ取れ、むしろ彼女が自分で言うように死神らしいとさえ思ってしまう。齢8歳くらいの彼女に大の大人がびくついてしまう始末だ。
「そんなんだから彼女ひとりの命さえ守れねえんだよ」
そんな臆病な背中に鋭く刺さる一言。まるで自分なら何とかできるとでも言うような言い草だ。こちらを見下しているとも取れて、ひどく腹立たしい。守れないから何だって言うんだ。自分は彼女を治す名医でも何でもないと言うのに。そんな苛立ちから玲治はつい癇癪を起してしまい、ナラクに不埒な反発をしてしまう。
「じゃあ、お前は何かできるっていうのかよ!
彼女を治せるとでも言うのかよ…」
「え?治せるけど?」
「……え……?」
「いや、治せるからお前なんかに会いに来たんだよ。
お前の彼女が死にかけてっから、あたしなら治せる手立てがないこともないからな」
いったい何の出まかせでそんなことを言うのだろうか。だがもし、本当に彼女が死神だと言うのなら、杏奈を救える手立てが見つかるかも知れない。藁にもすがる思いで彼女を問い詰める。
「…本当に言ってるのか…、教えてくれ、杏奈を治すにはどうすればいい?」
「じゃあ、お前は彼女のためなら何だってできるか?」
玲治は覚悟を決めてゆっくりと首を縦に振る。すると、ナラクは懐から一丁の拳銃を取り出して玲治に渡してきた。夜のコンビニの前、一目は少ないとはいえ、むき出しの銃を手渡すなどいったい何を考えているのだろうか。
「じゃあ、これ貸してやるから死ねよ」
「……え…?」
「ああ、あと言っとくの忘れたけど、あたしの姿はお前にしか見えてないから
この銃も他の人には見えてないから銃刀法とかには引っかからないから…」
「いや、そこはむしろどーでもいい! え?なに?俺死ぬの?」
「え?死なないの?ここは死んどこうよ。死んどかないともう、お前の見せ場ないよ。
読者の大半も、恋人の命を救うために主人公が代わりに死ぬっていう展開を待って
ハンカチ用意してるんだから、空気読んでここは死んどこうよ」
「演出の関係上主人公が脅されるって聞いたことねえよ!」
銃を向きだしで手渡してきた上、自害を要求されてはたまったものじゃない。誰かが見ているかもしれないとはいえ、声を荒げてしまう玲治。自分にしか見えていない少女と言い争っているのだが、それははたから見ればひとりで発狂しているようにしか見えない。それに気づいたときにはもう遅い。玲治は、周りから目立つどころか目を背けられていた。取り乱しましたと言うような咳払いをひとつすると、ナラクがこちらを見てクスクスと笑っている。つくづく腹の立つガキんちょだ。聞こえるように舌打ちをしてやろうかと思ったが、自分にしか見えていないということでかなりナラクが死神であるという信憑性が高くなってしまったため、心の中でだけに留めておいた。すると今度はナラクがやけに神妙な顔つきになって話し始めたのだ。
「…本当なら、死神の命の取引ってやつはそうさ。
誰かを救いたければ、代わりに自分が死ぬしかない…」
「じゃあ、なんで来た? 俺に杏奈の代わりに死んで欲しかったか?
それが、杏奈を守る俺の務めか?」
「…来なくても知ってたはずだ。あいつがもう、永くないことくらい」
急性白血病。それが杏奈の患っていた病だった。骨髄移植の相手であるドナーを探してはいるが、それ以前に杏奈の病状が進行し、衰弱した身体が麻酔に耐えうるかどうか。そもそもドナーが見つかるまで杏奈自身が持ってくれるかという状態だ。
「彼女との時間を大切にしてあげてください。それが、あなたが彼女にしてやれることです」
医者の口から、優しく諭すような口調で投げかけられたその言葉は玲治には痛烈だった。医者にして見れば、ありのままの事実を伝えただけだ。だが、それがナイフのように深く刺さり、胸の奥をえぐってくる。
「こうは思ったことはないか?違う人生があればと…」
「それは、どういう意味だ?」
「お前が死ななくても、杏奈が助かるということだ」
死神ナラクの口から出た言葉に、玲治は目を丸く見開いて驚く。死神との契約は文字通り死を以ってして執り行われるもの。玲治の命と引き換えに杏奈の命を救う。だが、ナラクが提唱した取引は、そんなものではないと言うのだ。そうと来れば、自分のことを死神とのたまう少女の戯言でさえ、溺れる者のの掴む藁どころか一本の太い縄にさえ、思えてきた。玲治はそれに必死に掴みかかる。
「そんな方法があるのか?どうすればいい?」
「…早まるな、もちろんそれなりの代償はある」
結局やることは自害の方法とまったく同じ。ナラクから渡された銃を己のこめかみに突き付けて引き金を引けばそれでいいのだという。まるで狐にでもつままれたような気分だ。結局、自分は騙されて死ぬだけじゃないのか。そう反論すると、ナラクはそう言われても仕方ないと苦笑い。
「言っただろ。違う人生があれば…と、その引き金を引けばそこにいける」
「はぐらかさないで、ちゃんと言ってくれ」
「おまえと杏奈が出逢わなかった人生だ。そこならふたりとも無事でいられる」
その言葉もまた、痛烈だった。
「玲治、ほらほら」
目の前にいる杏奈の声で昨夜のことの追憶から現実に引き戻される。また思考にひとりっきりで耽ってしまう悪い癖が出てしまったようだ。病室のベッドに腰掛ける杏奈は口を少しとがらせてふくれっ面になりながら、テレビの画面を指さす。
「また、七音がテレビに出てるよ」
テレビの画面の中には、肩からエレキギターをぶら下げたひとりの女。髪は金髪に染めており、さらに毛先を赤く染めてアクセントまでつけている。ヘアスタイルはかなり短めのショートヘアで端整な男顔と背の高さも相まって、美少年にさえ見えてしまう。杏奈とは全く違ったタイプの美人だ。萩野七音。玲治の幼馴染であり、今でも定期的に連絡をしてくる。玲治とは小学校からの付き合いで、非常に仲が良かったが、七音の姉御肌と、男勝りな性格が災いしてか、ふたりの間に恋愛感情は一切芽生えなかった。代わりに、玲治と杏奈を引き合わせたのが七音というわけだ。
「…七音はすっかり、人気歌手だね…すごいなぁ、
夢を追いかけて、それが叶っちゃうなんて…」
「あいつは音楽の才能が小さいころから抜きん出てたからな。
押しに負けてバンドでドラムやらされたけど、ついていくのが大変だったよ」
「玲治はドラムは今も弾けるの?」
「いや…、もう止めて久しいから、全然だめだろうな…」
玲治と杏奈が出逢ったのは、七音が無理矢理玲治を巻き込んだ軽音部でのことだ。引っ込み思案な性格で、いまいち馴染めずにいた杏奈のもじもじした様子を見て、七音が「かわいいから」という理由でセッションに誘ったのが始まり。程なくして、3人でバンドを組むことになり、ギター兼ボーカルの七音、ドラムの玲治、キーボードの杏奈という編成で大学時代を音楽活動に捧げたのだ。大学を卒業して玲治と杏奈は、音楽を止めてしまったが、七音だけは音楽の道を突き進んだのだ。
「また、機会があったら3人でセッションしたいな…
そうしたら、あたしはもう…」
違う人生。ナラクが提唱したそれの中では、玲治と杏奈は出逢うことはない。代わりに、杏奈が病で死ぬこともない。玲治の頭の中は、「今の人生を選ぶか、違う人生を選ぶか」でいっぱいになってしまい、杏奈の言葉など耳に入ってこない。玲治の耳に聞こえるものは、ただひたすら繰り返される自問自答。そして玲治の視界に入るものは、ナラクから渡されたあの拳銃のみだった。
「…玲治、今度さ…外出許可が取れたらスタジオ借りてさ…
七音が来れるかどうかわからないけど、できれば3人で…
…玲治、玲治ってば…?」
杏奈が呼びかけるも、玲治は気づかない。
なぜなら、もう彼はこめかみに銃を突き付けていたからだ。
「…これで、杏奈が助かるならば…」
銃声が、たったひとり玲治の頭の中でのみ反響した。