02.挨拶
店内には男と私の二人が残る。
私がじっと彼の出方を待っていると、男の方から言葉を発した。
「改めまして。私は国からの使者ルイ・ジョフロワ・ドルビニーと申します。以後お見知りおきを。」
と言って最敬礼示す男に“自分は罪人じゃなかったのだろうか?”と私は首を捻る。
「はじめまして。私は……申し訳ありません、名前がないのです。」
どこまで本性を晒していいものか分からず、私は老婆のふりをしながら答えた。
「それは本当か?」
「はい。」
私は即断する。
なぜなら私は隣の国の人間だから。
生まれも育ちも此処ではないので、この国には私の籍は存在しない。
だから下手に本名を喋ってしまえば、罪状が増えるだけなのだ。
「では……君は孤児なのか?」
ルイと名乗る男が探るように私に尋ねて来た。
……なるほど名前がないと言う事はその可能性があるのか。
「ええ。そうなのです。」
と、私は彼に同調する。
「…………へえ。では、どこで薬の勉強を?」
「……指南書を見て憶えたんです。」
なんだ?
今の間は……。
私はじっと彼の様子を観察しながら会話を進めた。
「指南書?」
「ええ。これです。」
何事もなかったように話を続ける彼に合わせ、私は近くにあった棚から薬学の本を取り出す。
“誰でも分かる、薬学の基礎Ⅰ”
もちろんこの本がこの国にも広く出回っている事は調査済みであると、私は胸を張る。
そして露店などに行けば、誰でも、それこそ孤児でもある程度頑張れば買える事も。
本当に何故この指南書通りに作ってる私の薬が、国の臨床試験を受けないといけないのだろうか。
嫌がらせか?
……意味が分からん。
パラパラと指南書を捲っていたルイが、ふと顔を上げた。
「この通り作ったら、あの様な薬が出来ると?」
「ええ。なにぶん、人に教えを請えるような状況ではなかったために独学になりますが、人に売れるぐらいは精巧に作られた薬だと自負はしているつもりです。」
「……独学……。では、本物を見る機会もなかったのか?」
「え? ええ。」
私の答えにルイが“そうきたか……”と呟きまた黙り込んでしまう。
一般に出まわっている物と私の作った薬とでは形状が大きく違うのだろうかと、私は気を揉む。
だが、彼の言う“本物を見た事がない”のは私にとって事実であった。
私が小さい頃はお手伝いの者が私に気を使って、苦くないようにと料理や紅茶に混ぜていたし、ここ最近は外に出ないが故か一切病気を患わなかったのだ。
薬を手にする機会がない。
それに“薬学が独学”と言うのも本当だ。
まあ、薬学に限らず全ての知識は独学なのだが。
もちろん、父が何度も私に教師を付けようとしてくれたことはあった。
だが、なにぶん私の容姿が……。
人を狂わせるらしい。
エロの大魔神と呼ばれる母の容姿を十二分に受け継いだ私は、幼い頃から酷い目にあっていた。
なお且つ教師という役柄を持つ人間との相性がすこぶる悪いらしく、悪いお勉強にしか発展しなかったそうだ。
物心着く前だったから、私は覚えてないが。
だが教師なんていなくても勉強は出来る。
「では、擬態の術も自学か?」
そんな中、ルイの突拍子もない質問が私に投げかけられた。
あれ……過去に想いを馳せていたからかな、彼の言葉が上手く理解できなかったようだ。
だが私の無言を肯定と捉えたのか、彼が驚きのため息を溢す。
「凄いな。短期間でそこまで擬態を覚えるなど、お前も実は努力家だったのだな。」
なんとも意外そうな声を出すルイに私は固まった。
おい、ばれてるぞ? 私。
いや、ばれてないのか?
擬態が得意なんだね――。って言われただけだし。
私、この男の前で擬態を披露したか?
ずっと老婆の擬態はしてるけど。
……ってことは、ばれてるじゃないか。
短期間で習得したとか、どこまで私の事を知っているのだ!?
「……はい? 擬態とは?」
焦る私は、それを隠しながら老婆のふりをし続ける。
発破を掛けられてるだけかもしれないと、今の状態を貫こうとしたのだ。
「もう、擬態を解いても良いぞ。その様子からして、どうせフードをとれば本来の顔が現れるのであろう? 国王の前でそのような恰好は通じぬだろうに。」
そんな上から目線のルイの言葉に、私は曲げていた腰と背中を思う存分伸ばして寛ぐ。
ついでに首を大きく左右に傾け、ポキポキと骨を鳴らした。
骨を鳴らすのは体に悪いらしいけどね――。
これは止められないわ――。
と、縮こまっていた体をほぐすため、柔軟を始めた私は体中の骨を鳴らしまくる。
ポキポキ
ポキポキポキ
ポキポキポキポキ
ボキ
……やりすぎた。
私は痛めた個所を労わるため、伸びをしたまま体を固める。
「……お前、本当はいくつだ?」
「さあ。いつ生まれたか分からんからな。」
孤児の設定は活かそうと、私は適当にルイの質問を誤魔化しておいた。
だがそんな私の答えに彼が少し罪悪感を感じたのか、空気がしんみりとしだした。
……なんだか、私が悪者のようではないか。