01.擬態
――ハア。
眉間の皺をフードで隠しながら、私は重たい溜息を吐く。
手には読んだばかりの手紙が握りしめられており、それが私の心を一層重たくした。
どうしてこうなってしまったのだろう。
いつも通りに遅い朝に店を開け、いつも通りにゆっくりと客が来るのを待っていただけなのに。
それなのに……。
今日は怒涛の勢いで薬が売れた。
あんなに大勢の人を見たのも一年ぶりぐらいだろうか。
私は改めて客の居なくなった店内を見渡した。
そこにはいつもより荒れた店を掃除する村人達がいた。
販売を手伝って貰った私の隣人達だ。
彼らには迷惑を掛けたくないのに……。
そう思って私は、彼らの掃除が終わるのを今か今かと待っていた。
本当はすぐにでも彼らを家に帰したかった。
だが彼らは、店を綺麗にして帰ると言って聞く耳を持たないのだ。
“おばあちゃんの体の負担になるから”と、どうしても譲ってくれない。
本当の私は彼らより若くて体も丈夫なのにと、私は擬態を解くか迷い始める。
なにより、何時またここを訪ねてくるか分からないあの男を前に、私は焦っていた。
薄汚れた窓しかないこの部屋からは外の様子は分からない。
戸口も閉められた店の中からでは空の色も窺えないと、時間の経過が知れない事に私はさらに不安が募る。
私はとある国のとある村の外れで薬を販売していた。
“老婆”に扮して。
名はオリアーヌ・マルト・フェリシテ・ジョリヴェと言うが、ここではそれは明かしていない。
普段はフードを深くかぶり、老婆の顔を模した鼻と口を覆うマスクを装着している。
このマスクは特殊メイクの様に表情筋に合わせて緻密に動くため、どんなに近付かれても村人は十九の私を老婆と信じて疑わないのだ。
「おばあちゃん、どうかしたの?」
そんな中、村の女性の優しい声が私に届いた。
私の不安を敏感に感じ取ったのか、恰幅のいい女性が私の元に寄って来る。
マム……。
私は心の中でこの女性の事を第二の母と呼んでいた。
慣れない土地に下りた私に生活の世話をしてくれ、一日一回は私の安否を確かめに店に顔を出してくれ、ついでに夕食のおかずまで置いて行ってくれる。
……マムも私が年寄りだと信じ切ってるのだよな……。
私は後ろめたさにぐっと奥歯を噛みしめるも、すぐに力を抜いて表情を緩めるよう努力した。
「……ああ、いや……店の片づけは終わったかのお? ならば帰るかい?」
私はマスクに備えついている変声機を通し、皺枯れた声で言葉を返す。
「おばあちゃん……。」
そんな私をマムが怪訝な面持で見下ろして来た。
「……どうかしたのかい?」
「それはこっちの質問よ。どうしてさっきから私達を早く帰そうとするの?」
「え……そんなことは……。」
それは先程貰った手紙のせいだ。
その手紙の内容をかいつまめば、
『貴様ちゃんと許可取って商売してんのかボケェ。
売ってる品も正規ルートで商品登録してるのかアホンダラァ。
毒とか入ってるんじゃなかろうなぁ?
きちんと臨床試験を受けてから売らんかハゲェ。』
的な事が書かれてあった。
いや、地上げ屋じゃないぞ?
れっきとした国からの警告書だ。
もちろんこんな汚い言葉じゃないのは当たり前。
なんたって国からの崇高な手紙なのだからな。
だが手紙の行間からひしひしとそんな圧力を感じたのだ。
「ほんと?」
「……それが……私は少し、間違ってしまったようなんだ。」
私は苦しい心の内を彼女に伝えた。
そう、私は間違っていた。
実際に、私は許可取って売っていなかったのだ。
だが、なんで今頃……。
ここで商品を売りはじめて一年、今まで細々とやっていた。
個人の趣味の範囲だと思っていたのだ。
全国どこにでもあるような教科書通りに作られた品を一日に数個売るぐらい、国に申請しなくても良いはずだ。
まあ……今日は沢山売ったが。
なにせ一日に数個しか売れないから、在庫がいっぱいあったのだ。
それをこれ幸いとほとんど売りさばいた後での国からの通告。
待ってたのか?
ある程度売り切るの待った後、この紙を寄越した?
……かっこいい兄ちゃんだと思ったのに、せこ過ぎるぞ!!
「ばあちゃん、大丈夫かい?」
心の中で地団太を踏んでいたら、隣に住む年配の男性までもが私の元に駆け寄って来てくれた。
「ああ、すまない。なんでもないんだ。で、今日の売り上げは全てみんなで分けたかのお?」
「えっ!? ええ……。でも……これじゃあ、私達が一年で稼ぐぐらい一人ひとりあるわよ?」
マムは戸惑いながら私の様子を窺う。
他の人たちもかなり狼狽しているように思えた。
うん、分かる。私もこんなに売れるとは思わなかった。
私の作る薬ってそんなに価値があったのだな。
知らなかった。
「いいんだよ。今までお世話になった分だ。」
「そんなお世話って……代わりにおばあちゃんの作った薬をただで頂いてたわよ?」
「趣味で作った薬だ。割に合わんかったのは私の方だよ。こうしてここを去る前に恩返しが出来て良かった。」
「なあ、ばあさん、どうしたんだい? さっきも“間違った”って言ってたし。」
他の村人も私に駆け寄り、みんなで心配そうに私を見下ろしてくる。
それが嬉しくて。でも騙している事が後ろめたくて、そんな彼らに私は作り笑いを向けた。
コン コン
その時、店の扉がノックされる。
「こんばんはお婆さん。お迎えの時間ですよ。」
そう言って店の戸口から顔を出したのは、国からの手紙をよこして来た男だった。
男の後ろには彼に負けず劣らずの屈強そうな男が二人。
彼らは断りなしに店の中に入り込んでくる。
開け放れた戸口の向こうは真っ暗で、ここの暖かい部屋とは全く対照的だった。
冷たい風が頬を切る。
いつの間にか日はすっかり落ちてしまったらしい。
だが次の瞬間、さっと私の前に大きな影が出来きた。
「お前、昼間来てた客だな!? 一体何のつもりだ!?」
「もう薬は一つも残っていないわよ。帰って下さい!!」
村人達の怒号が店内にこだまする。
どうやら私の前で皆が壁になって守ろうとしてくれているらしい。
なんだか目頭が痛いよ……。
みんななんていい人達なんだ。
「みんな、ありがとう。でもこの者達は国からの使者なんだ。」
私の答えに村人達が戸惑い始めた。
彼らはそっと私を振り返る。
それによって出来た隙間で、私は改めて男と向かい合うことが出来た。
「色男のお兄さん、用があるのは私だけであろう? 他の者達は今日の販売のみを手伝っただけ。帰してもよいな?」
私は、これは決定事項だと案に諭しながら男に提案する。
「ん? ああ。他の者には用はない。帰って良いぞ。」
元から村人を捕える気がなかったのか、男はすんなりと私の提案を受け入れた。
私は安堵から自然と溜め息が零れ出る。
それでも私を守ろうとしてくれたのか、動かない村人達。
だが、次第に彼女らがたじろぐのが背中の様子から伝わった。
きっと男達が強い圧力でも掛け始めたのであろう。
なんて酷い者達なのだっっっ!!
私は抑えきれない怒りをフード越しに彼らに送った。
「お前達、少し外に出ていてくれないか?」
そんな中、私に手紙を渡した男の声が緊迫した室内に広がる。
「ですが……。」
「いいから。」
彼の後ろに控えていた男達は、彼の部下なのだろうか。
しぶしぶだが彼の命令に従いって店の外へと出ていくのが分かった。
そして彼の言葉が続く。
「みなさん、心配なさらないでください。お婆さんは悪い様には扱いません。今後、城へと向かうかもしれませんが、それも賓客として扱う事を誓います。ですから、今日は一度お引き取り下さい。私も一言二言、言伝したら帰りますから。」
男が丁寧に頭を下げたのが功を奏したのか、村人達の緊張が和らぐのを感じた。
「おばあちゃん……。」
それでも心配そうに声を掛けてくれるマムに、私は口元に大きく弧を描いた。
「その人はいい人だから大丈夫だよ。」
……せこいけどな!
なんて言葉は飲み込んで、私はマム達を説得する。
「ほんとか? ばあさん。」
「私が間違った事を言った事があったかい?」
「……ないわ。でも……。ううん、わかった。今日は帰るわ。でも、夜に発つなんて事、絶対にしないでね?」
最後まで私を気遣うマム達を家に帰し、私は店の扉を閉めた。
その際、店の壁にもたれて待つ色男たちから鋭い視線が向けられたが、私は気付かないふりをすることにした。