第九話 アプリ
二日後の授業中、私は受験生にも関わらず教師の話を半ば聞き流していた。まあ、ちゃんと授業には出ているし、定期試験も平均点は少し越えているので大丈夫だろう。
それよりも、私が考えるべきは別のことだ。
閂香奈芽。あの女の目的だ。
外見が明らかに不気味なのは置いといても、あの女はどう考えても何かを企んでいる。私に語った目的も本当かどうか怪しいものだ。
しかし、今の私に出来ることは少ない。閂の目的がわからない以上、下手に動くのは危険だ。おそらくあの女はある程度私について調べている可能性がある。もし私が閂を脅そうとしても、なんらかの反撃を受けてしまうかもしれない。
私がそう考えた理由は、昨日の昼休みにあった出来事からだ。そう、あの女はいきなり私の教室にやってきた。
「ひ、ひひ……黛先輩、ごきげんよう……」
「……アンタの顔を見たらご機嫌では無くなったわ」
これは半分本音だ。昼休みにこんな陰気な女の顔は見たくない。クラスメイトたちも閂の姿を見て、眉をひそめている。
「まあ、そう仰らずに。本日は見せたいものがございまして」
「見せたいもの?」
……よくない予感しかしなかったが、大人しく相手の出方を見ることにした。すると閂は携帯電話を取り出す。
「音はミュートにしてあります、ご安心を……」
そして動画のアプリを起動させて画面を私に見せる。そこには……
「……!」
先日、私にモップを擦りつけた女子にナイフを突きつけている所がはっきりと映っていた。なんとか驚きが態度に出てしまうことだけは抑えることが出来たが、私は内心、確実に動揺していた。その動揺は、脅しをしている所を撮られたということに対してではない。
「……なにこれ。だからどうしたの?」
「流石は黛先輩、この程度では動じませんね」
そう、閂はこの動画で私を脅そうとするつもりはさらさらない。脅すつもりならもっと人気のないところで私にこの動画を見せるべきだし、教室内でこれを見せてきたのは私が表面的には動揺しないということを見越した上でのことだ。
つまりこいつは、私を脅すつもりでこの動画を撮ったのではない。これはおそらく牽制だ。
「……どこまで私を調べたの?」
「ひ、ひひ、こちらの意図を瞬時に理解された。やはり先輩は、た、只者ではありません……」
閂は私のことを調べている、この動画はおそらくその一端だろう。こいつはこう言いたいのだ。
『私はあなたの動きを、把握できます』と。
こいつがどこまで私を調べたのかはわからないが、ここ数日の私の行動は調べられていると見ていいだろう。そして閂はそこから私の行動パターンをある程度予測し、その対策を既に練っている。そうなると、下手に閂を脅したりするのは危険だ。こいつはそれを言いに来たのだ。
「こ、これはあくまで保険です。私としてはあくまで先輩と、友好的な関係を築きたいのでございます、ひ、ひひひ」
「……」
「ま、まあ、今日はここまでにしましょう。『あの人』に関する話、是非とも前向きに考えてもらいたいと思っております……」
これが、昨日の昼休みにあった出来事。
しかし、こちらが一方的に情報を掴まれているというのも癪だ。そうなると、こちらも閂について調べる必要がありそうだ。あくまで、水面下で。
とりあえず、私は放課後に一年生の教室に行くことにした。
放課後。
下駄箱にいた何人かの一年生に強引に聞き込みをして、閂について聞き出してみた。結果はというと。
……ほとんど情報は得られなかった。
まずあいつは本人が言っていたように、『友達』と過ごしている様子は無いらしい。教室内ではいつも一人だ。
かと言って、いじめられているわけでもない。どうも周りのクラスメイトは閂に手を出すことを恐れているようだ。もしかしたら一年の時の私のように、何らかの強引な手段に出たのかもしれない。
あとは、休み時間は必ずと言っていいほどどこかに出かけているようだ。行方を知っている者は誰もいなかった。 ……だめだ。あちらの握っている情報に対して、こちらの情報が少なすぎる。相手がどういう人間かもわからない以上、対策がとりようもない。
「お、お困りのようですね、黛先輩」
下駄箱で考えを巡らせている私に、声を掛けてきたのはもちろん閂だった。
「わ、私について、調べてくださったのですか? ああ、光栄でございます」
「……」
「ですが私としては、やはり先輩と友好な関係を築きたいのでございます。ですので……」
「もういいわ」
「はい?」
「さっさとそちらの提案とやらを提示して頂戴。それが魅力的かどうかは私が判断する。それでいい?」
「お、おやおや」
このままではラチがあかない。とりあえずはこいつの提案とやらを聞いてみよう。考えるのはその後だ。
「わ、わかりました。それではまず、こちらをご覧ください」
そう言って、閂は一枚の写真を取り出す、そこには……
「ひ、ひひ、よく撮れているとは思いませんか?」
自宅らしき場所でバスタオル一枚でくつろいでいる、『彼女』の姿だった。




