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東京百物語  作者: 50まい
カミテにいる女
5/6

五本目★

「みんないるー?」




「はーい」




 動きやすい格好をした十人ほどの面々は、思い思いに返事をかえす。その声は、早蕨サワラビと名の付く広い講堂に反響する。




「よーし。バケツはここ。雑巾はそっち。じゃあ、二時間がんばりましょ~よーい、スタート!」




 部長のその声と一緒に、ばらばらに動き出す人の間で、一人だけ雑巾を握りしめ仁王立ちしている者がいた。




「さ~っちゃ~ん!?」




 山下日紅ひべに、その人である。




「あ、ほら、山下。あんたのバケツはそこ…」




「ねぇ、演劇部の見学、させてくれるって話だったよね!?け、ん、が、く!なのにどうしてあたしは見学どころか部員に交じって掃除要員として舞台の上に立っているんでしょうか!?」




「いや、アハハ~…ほら、うち、万年人手不足じゃん?月一でいつも使ってる講堂を掃除するのはいいんだけど、やっぱ、部員だけじゃさ、いつまで経っても終わらないって言うか」




「だからってダマして連れてくるなんてヒドイっ!」




「そう怒るなって。終わったらアイスおごってあげるから、ね?」




「それならぁ~…いいけどぉ~…」




 唇を尖らせたまま、渋々日紅は頷いた。安い女だという自覚はある。




 四百人ほどが入れる講堂はとにかく広い。ここを高々十人程度で掃除するのだ。しかも助っ人を入れてこの人数である。二時間かけても終わる気がしない。大学にはもう一つ山吹ヤマブキと言う講堂があり、そちらは千人も入れる広さだというから考えるだけでくらくらしてしまう。千里の道も一歩からだと、とにかく日紅は舞台の床に張り付いて雑巾でごしごしと擦った。床の絨毯まで赤で統一された客席、階段を上り、部員がシーリングと呼ぶ客席の上にある照明のあたり、たくと呼ばれる音響や照明を操作する人が使う部屋も勿論掃除の対象内だ。休んでいる暇はない。




「そういやぁさぁ~」




 少し離れた客席を掃除する男の子が、今思い出したとばかりに口を開いた。




「ここって、デル、らしいぜ?」




「あー知ってる。あれだろ、有名な霊能力者が言ったってやつだろ?上手かみての上に女がいるんだろ」




「うっわここめっちゃ綺麗になったわぁ。どこも掃除なんてしなくていいぐらい綺麗!うんすっごい綺麗!と言うわけでさっちゃんバイナラ!」




「コラ待てぇい」




 脱兎の如く逃げ出そうとした日紅はすぐ坂田に捕獲された。




「なぁにがバイナラ、よ。あんたわかりやすすぎ。今更逃がすと思う?」




「ややや、だって、無理!無理無理無理!お化けとかホント無理!」




「タンスから出る手は平気だったんでしょ?なら講堂に出るお化けだって平気よ平気平気」




「平気じゃない!無理ぃ~!」




「大丈夫よ、今まで誰も見たことがないから。そもそもあんた上手も下手しもてもわかんないでしょ?」




「わっかんないけど、むぅりぃい~!」




 日紅は既に半泣きだった。




「一回始めたことを途中でやめるのはお母さん許しません。と、言うことで、早くここから出たきゃ死ぬ気で掃除することね」




「お母さま~そんな殺生なぁ~!」




 しかし日紅の嘆きは無視された。えぐえぐと泣きながら日紅は再び木張りの床と向き合う。床はワックスで固めてあるにも関わらず、所々のささくれ立ちが目立つ。気を付けないと指の皮膚も引っかけてしまいそうだった。




「さっちゃあん、なんか楽しい話してよー気を紛らわせないとあたし死んじゃう」




「大げさな。あんたってどうしてそんなに怖がりなんだろーね。んー…じゃあねー…今度みんなでどっか旅行いかない?」




「旅行!?いくいく!」




「沖縄、北海道、広島、京都…どこがいい?」




「あ、京都はお姉ちゃんがいるからたまぁに行くよ」




「え、京都遠くない?いくら?」




「新幹線で…片道一万四千円ぐらい。確か」




「えっ、じゃあ往復約三万!?無理よ…」




「お姉ちゃんいるから宿泊費はタダだけどね」




「それでも高い!」




「北海道とか沖縄なんてもっと高いんじゃない?」




「ううむ…そうか。でも旅行…せっかくの旅行だからね、あたし出すときは出すよ!」




「あたしもさっちゃんと同じで出すときは出す派。無い袖は振れないけど」




「同じく。今年の冬はみんなで長野にスノボーでしょ?とりあえずはそれで我慢するか…」




「どこに行くにしても、まずちゃんとした計画先に立てよっか!」




「そうだね」




 そんな話をしていたら、時間は思ったよりはやく過ぎたようだった。




「はい、みんなお疲れ様ー!」




 部長のその声で日紅は我に返った。




「あーずっと屈みっぱなしだったから腰も膝も痛いわ~」




 横で坂田が伸びをする。日紅も同じように立ち上がり、体の埃を払う。確かに、体重をかけ続けていた膝が赤くなっている。皆は部長のいる舞台上の右側、客席から見て左側に向けて集っているようだった。日紅も坂田とともにそちらに向かおうとしたが、ふと踵を返した。




「あれ、日紅、あっちだよ」




 すぐさま坂田が気づいて声をかけるが、日紅は大丈夫と言う風に手を振る。




「バケツ、あそこに置いちゃったから、持ってくね!」




「あ、ありがとう」




 皆は使っていた掃除道具を、当然のことながらちゃんと持って集まっているのだ。ダマされて連れてこられたとはいえ、部員でもない日紅が堂々と掃除道具を放置してて良いわけがない。しかし、かと言ってそのために待たせるのも申し訳がない。急がなければ。




 日紅は小走りで舞台上を移動する。目当てのバケツは、皆が集合しているのとは反対側の、大きく天井から垂れ下がった袖幕の手前にあった。




 日紅は塗装もされていない銀のバケツをろくに目視もせずに持つと、振り返った。その時だった。




(…コーーーン…)




 視界の右端を何かがすり抜けた。上から下に。




 日紅は何度か瞬きをすると、冷静に今何が起きたのか理解しようとした。




 足元を見る。ベージュ色の床が広がる。さっき掃除して綺麗にしたはずの、その、上に、一点、灰色のものが落ちていた。




 それは小指の先ほどの石だった。




 日紅は上を見上げた。ビロードのようなワインレッドの袖幕が呑み込まれそうな大きさで天井から足元まで垂れ下がっている。舞台の上、端から端まで長い銀のポールを何本も通してある。それに赤や緑と言ったカラフルな色の、セルと呼ぶビニールが取り付けられた照明がぶら下がる。天井近くには、更に銀の網で形作られた頑丈な足場がある。だから、人があそこまでいくことはできるのだ。現に日紅は掃除中、坂田に「あの子照明担当なんだ」と教えてもらった男の人がその足場の上を行き来しているのを見ていた。でも、今はがらんとしたコンクリートの天井が見えるだけでそこには人影などない。誰一人いない。




 誰も、いないのだ。




「ちょっと、日紅ー?」




 訝しげな声が遠くからかけられて、日紅はやっと我に返った。




「もうあんた待ちだよ?はやくきなよ!」




「あ、ごめん―…」




 日紅は無理矢理視線をそこから剥がした。何をどう、考えていいかわからない。ただ、上から石が落ちてきただけ、そう、たったそれだけのこと、なんだ―…。




「あ、バケツとってきてくれたの?ありがとう。そんなの後でよかったのに」




 部長は申し訳なさそうに日紅からバケツと雑巾を受け取ると、にこりと笑ってくれる。日紅も微笑み返す。しかしそれは大分力ないものだと自分で分かっていた。頭が混乱していて、整理がつかない。他人を気遣う、余裕がない。




 そしてあついねぎらいの言葉と共にその日の活動は解散となった。部長だけは戸締りや忘れ物を確認するために客席に降りていく。




「…なんかあんた大人しくない?袖幕ソデのとこでキモい虫でも死んでた?」




 坂田が日紅をちらりと見て言う。




「…さっちゃん」




「なあに?」




「今日来てる人ってこれで全部?」




「え?助っ人も含めてってこと?うん、これで全員だけど」




「ちなみに上に部外者の人が入ることってできるの?」




「上?あの階段上ったとこ?ムリ。いったん外でなきゃだし、鍵は今うちらが持ってるもん」




「…ふーん…」




「なに?あんたヘン。顔色も悪くない?本当に変質者でもいたりした?」




「いないよ。変質者は…」




 そう、もう変質者でも誰でもいいから、人がいてくれたほうがよかった。そうしたら、まだ上から石が落ちてきた説明がつく。




「さっちゃん、カミテ、ってどこ…」




「ちょっとー!坂田!」




 日紅の言葉は部長の声に掻き消された。




「なんですか、部長」




「あんたねー、掃除!ちゃんとやってたんでしょうね?こんなバカでかい石、どうやったら見落とすのよ」




 部長がこちらに歩いてくる。手に何か持って。




 近づい、て…。




 ぐにゃりと日紅の視線がぶれる。




「石?」




「ほら。どっから持ってくるのよこんなモン。上手のソデに…えっ!?」




「日紅!」




 悲鳴のような、自分の名を呼ぶ声がどこか遠くで聞こえた。

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