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「どうしてここがわかったの?」

「この隠れ家が? ま、蛇の道はヘビってね。僕には左翼系映画人の友人だって居るんだぜ」

「あら、知らなかったわ。あなたは退廃的な生活を楽しんでいるとばかり思っていたのに」

「勿論、僕には思想の左右なんて無いけどね。コネは多ければ多い程いいものさ」

 リーナがキッチンから持って来たグラスをテーブルに置く。馬羽はさりげなくシャツのポケットから小袋を出すと、グラスの中に小袋の中身を散らせた。リーナがポットから熱い湯を注ぐと、グラスの中でゆっくりと花片が開いた。かぐわしいジャスミンの香りが部屋中に漂った。

「ジャスミンティー……」

 一人が訊く。

「ああ? これがあると落ち着くんでね」

 そう……… と一人は呟いた。

「修英は?」

「奥で眠っているわ。そろそろ起こして来ようかしら。食事の時間だわ」

「悠長に晩餐かい? 本当に今夜もここで過ごす気かい?」

「ご一緒にどう? 最後の晩餐になるかも知れないけど。その覚悟がおありなら」

 リーナは凄みのある微笑を、馬羽に投げ掛ける。馬羽はその微笑をしばらく見詰め、人差し指で鼻の頭を掻いた。

「それもスリルがあって、面白いな」

 一人は震えた。

 何て人たちなんだ――


 そして、もう一人、理解出来ない世界に生きる男が、リーナに車椅子を押され、リビングに入って来た。

 少し面やつれした気はするが、こんな状況にあっても、彼の体から発する強気は失われていない。大きな瞳が、馬羽と一人を真っ直ぐに見詰めた。

「修英」

 馬羽が笑いながら、修英に近付く。

「思ったよりも元気な様子だな」

「残念だったな。鋼板で出来たような体なんでね」

「何を言う。お前の生命力には頭が下がるよ。天にも感謝しなくちゃね」

「有り難い言葉だ」

 修英は言ってから視線を一人に向ける。

「世間知らずも度を過ぎるとこの上海では命取りになると言っておいたのに、馬鹿なヤツだな――」


 一人は修英にそう言われ、俯いた。

「さあ、最後になるかも知れないディナーよ。時間切れになる前に召し上がって」

 リーナは男たちの緊張を解くように、ダイニングのテーブルに皿を並べる。ダイニングと言っても四人が一緒にテーブルに着くと手狭な程度だが、この際、贅沢なぞ言うつもりは男たちにも無かった。テーブルの上にはワイングラスと簡単な西洋料理が並んでいたが、修英の皿にはフルーツが盛られているだけだ。

「さすがに健啖家の修英も、その体ではこの美味そうな料理も口に出来ないか」

 馬羽の言葉に、修英はフンと鼻を鳴らす。

「もともと私の手料理は彼の口には合わないのよ」

 リーナが笑った。

「さあ、一人、座って」

 手招きされて、一人は戸惑いながらリーナの隣に腰を下ろした。リーナは「今は駄目よ」と一人の耳元で囁く。


「で、あんたはこれからどうするんだ?」

 馬羽がパンで皿の上のソースをかきながら、修英に訊く。

「あんたを刺したのは、黄の所の若いヤツだったって目撃証言があるくらいだからな。国民党に 睨まれ、黄には裏切られ、踏んだり蹴ったりだ」

 毒舌は馬羽の常だが、それにしては口が過ぎる。一人は正面の、修英の表情を盗み見た。だが、彼は平然とウォーターグラスを口に運んでいる。

「抗日ゲリラにでもなるか?」

 修英が、ゆっくりとテーブルの端に置いてあった煙草に手を伸ばす。リーナはそれを咎めるようにちらっと視線を走らせたが、言っても仕方無いと思ったのか、軽く首を振っただけだった。 修英は思わせぶりにゆったりとした態度で煙草に火を点ける。

「言いたい事があるなら、はっきり言え」

 煙を吐きながら、修英が言う。

 馬羽の表情から揶揄するような皮肉な笑みが消えた。

「失望しただけさ。国民党にしろ共産党にしろ、思想に支配されるあんたなんて見たくはなかったのさ」

「俺に何を望んでいたんだ?」

「さあな。この街で自分の力だけを信じてのし上がって行こうとするあんたは、それなりに魅力的ではあったけどな」

「俺は林伯父の跡を継いだだけさ。自分で望んだわけではない」

 修英はつまらなさそうに言う。

「自分で虚構だと思い込んでいる姿こそ、本当の姿だと言う事もあるぜ?」

「大層な持論だな」

「例えば、ここにおわすリーナ・ウォンさ」

 名前を呼ばれ、リーナがきつい視線を馬羽に送る。

「その美貌と美声で、男たちの心を蕩けさせ、修英のような若くてハンサムで、おまけに金もある男を手に入れる。女としては、最高じゃないか。何故、あんたはそんな自分に満足しない?」

「そんなものに心を動かされた事は一度だって無いわ」

 リーナは面倒臭そうに言って、ワインを干す。


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