(4)
そう言ったのだ。
「そうそう、忘れるところでした。香港と言えば」
趙は再び上着のポケットを探り、折りたたんだ紙片を取り出した。
「俺の友人が一人、向こうに居ましてね。元々才覚のある男だから、小さな茶舗を始めたそうなんですよ。まぁ、未だ始めたばかりだから商売になるかどうかはわからないってところらしいですがね。そんな事を手紙に書いて寄越したんですが、手紙の間にこんな物を挟んで来やがったんです。何だと思います? 詩ですよ、詩。無学の俺に詩を送ってどうするってんですかね。俺にはわかんない物ですけど、老爺ならちょっとは楽しめるかと思いまして」
達筆でしたためられた紙片を、趙はデスクの上に置いた。
月陵はその字を一目見て、微かに眉を動かした。
「それじゃあ、俺は仕事に戻っていいですかね? ああ、それと、もうすぐ黄良策が顔を見せる頃ですから、ご用意を」
趙の言葉に、月陵は心ここにあらずと言った体で頷く。
相変わらずポーカーフェイスのまま、趙は部屋を出て行った。
月陵は、デスクの上の紙片を見詰めていた。
月夜憶舎弟(月夜に舎弟を憶ふ)
戊鼓断人行(戍鼓人行断え)
辺秋一雁声(辺秋 一雁の声)
露従今夜白(露は今夜より白く)
月是故郷明(月は是れ故郷に明かるからん)
有弟皆分散(弟有るも 皆分散し)
無家問死生(死生を問わんに 家無し)
寄書長不達(書を寄するも 長く達せず)
況乃未休兵(況んや乃ち 未だ兵を休めざるをや)
官職を捨て放浪の身となった杜甫が、散り散りになった弟たちを思い詠んだ詩である。その生死を確かめる術も無く、手紙を出すが届かぬ、仕方が無い、未だ兵乱も止まぬのだから――
兄の思いが届かぬ筈が無い程、ストレートな詩である。回りくどい事を面倒だと退ける、彼の性格に似合いの。
月陵は静かに紙片を畳むと、それをデスクの抽斗にしまった。
立ち上がり、壁に掛かった小さな鏡の前でタイを直すと、ジャケットを羽織って戸口に向った。
ふと、月陵の耳に、夜学の生徒たちが暗ずる一遍の詩が聞こえた気がして振り向く。
「少小離郷老大回(シャオシャオリーシアン ラオダーホゥイ)――」
夜道を幼い従弟の手を引きながら往く、若い修英の後ろ姿が浮かぶ。彼が生徒たちと一緒になって詩句を口ずさむのを、月陵は聞いた。
「郷音無改鬢毛摧――」
月陵は静かにドアを閉じた。
(終)
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