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(5)

 リーナを振り向くと、彼女は一瞬修英の目を見詰め、それから、頷いた。一人をリーナの方に突き飛ばし、彼女が彼を抱き止めるのを確認してから、修英は怒鳴る。

「趙、月陵を連れて行け。月陵、横浜橋の下に小舟が用意してある。そいつが無事なら、クリークを伝って黄浦江まで出ろ。後の事は趙に手配させてある」

「従兄さん!?」

 月陵が修英の言葉に抗議しようとした時、壁を這っていた炎が激しく吹き上げた。月陵は思わず身を庇い、後じさる。眼前に炎が立ち昇る。勢いを増し続ける火は、修英の後ろに回り込み、先ほどの砲弾で屋敷内に倒れ込んでしまった冬枯れの庭木にも飛び移って行く。


「従兄さん!」

 月陵が叫ぶ。

「自分の面倒は自分で見る。お前たちは先に行け!」

 厳しい声が飛んだ。

「少爺! 老爺の言う通りに!」

 趙が、炎に飛び込もうとする月陵の体を引き戻し、怒鳴る。

「駄目だ、従兄さん。従兄さん!」

 燃え上がる炎が修英と馬羽を取り囲む。炎は獲物を狙うように、二人に迫っていた。月陵は半狂乱になって叫んだ。

「あんたをこんな所で死なせない! 言ったろう、あんたを殺すのは僕だ! 従兄さん、来てくれ! お願いだ、従兄さん!」

 その言葉が耳に入ったのかどうか。修英はふっとなだめるような微笑を月陵に向け、それから 何かを呟いた。


「少爺!」

 趙は抗う月陵を押さえつけ、その体を無理矢理リビングから引き摺り出す。さらに叫ぶ月陵を無視して、彼を抱え込みながら出口に走った。背後で再び爆発音が鳴った。趙が月陵を庇い、屋敷を飛び出る。荒い息と一緒に振り向いた時には、もう屋敷は炎と煙に激しく包まれていた。

「従兄さん!」

 月陵の叫ぶ声が、四川北路に轟く砲声と屋敷を燃え尽くそうとする炎にかき消される。

「しっかりして下さい、少爺!」

 趙は月陵の両肩を掴むと、激しく揺さぶった。そして彼の顔を覗き込み、

「俺はあんたを護らなきゃならない。それが老爺の命令だ――」

 林修英が最も信頼して来た男は、静かに言った。

 月陵は趙の向こう、燃えさかる炎を見上げる。まるで、昼間の明るさだった。

 あれでは、もう無理だ――

 彼は目を閉じた。虚脱し、土の上に跪いた。


 そんな月陵の様子を見ながら、趙は唇を噛んだ。だが、すぐに思い直したように振り向くと、

「小姐、舟に乗るのは三人の予定だった」

 彼にしては困った表情で言う。

 リーナは頷く。一人を連れて来たのは自分だ。趙には月陵を守る使命がある。

「わかったわ。私は一人を連れて行く。あてはあるの。心配しないで」

「心配はしちゃいません。あなたなら大丈夫だ」

 趙は珍しく少し笑って、

「小姐、老爺もあんたの事は信用していた。ある意味ね」

 リーナは複雑な表情を趙に返す。

「そう――」

 呟いて、火に包まれた屋敷に視線を移した。炎に照らされたその横顔に一瞬ある感情が浮かんだが、すぐに彼女は気丈な目で趙を見た。

「行って」

 リーナが言うと趙は頷き、月陵を促す。月陵はよろよろと立ち上がると、趙に従った。うなだれた後姿が痛々しかった。少し行き掛けて、不意に彼は足を止める。白い頬を炎に染めて振り向く。

「姐さん、『桃源』に戻って来て下さいよ」

 その月陵の言葉に虚を突かれて、リーナは咄嗟に返事が出来なかった。「少爺――」。趙が呼ぶ。月陵はひらりと身を返すと、趙のもとへ走り去った。


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