1-8 事件と断罪
王から引き続きエルメル様を見張れという命令を受け、水翠宮に戻る。
エルメル様に会う前に着替えるため、自分の私室に入った。
この部屋に入るたびにいつも思う。
私室が王子の部屋と大差ないとはどういうことなんだ。別にこの部屋が気に入らないというわけでもないが、この部屋は身分の高いものが住む部屋ではないのかもしれない。
「 マティアス様 」
天井からイェデンの声がした。
「 どうした。王子の部屋を見張ってろと言ったはずだろう。まだ…… 」
俺が王子の部屋に戻るまで見張れ。そういう命令だったはずだ。
「 申し訳ございません。このイェデン、任務を遂行することができませんでした 」
「 なにっ!? 」
手が滑って上から3つめのボタンをうまくかけられなかった。
今、イェデンは何と言った……?
「 報告します。命令を受けてすぐ王子の私室の天井へ出向きました。部屋も王子もマティアス様がいらっしゃった時と全く同じ状態でしたが、私が天井裏で息をひそめていましたところ、すぐに王子は私のいる左隅をじっと見つめて口をゆがませました。はじめは気のせいかと思いましたが、はっきりと目があった時点で気づかれていると判断。任務続行不可能として、撤退いたしました 」
赤ん坊だからといって気を抜いていたのか、そう聞こうとしてやめた。イェデンがそんなことをするわけがないことはよく知っている。
「 本当に王子に気づかれたのか 」
信じられない。あのエルメル様が影に気づくのか。いや、エルメル様だからというわけじゃない。気配を消されたら、自分でさえ全くわからないのに。
「 私もはじめは勘違いだと思いましたが、目が合った時のあの表情。あれは獲物を見つけた捕食者の目でした。恐れながら危険な場面を幾度となく乗り越えてきたと自負する私ですが、情けないことに恐怖でしばらく体が縛りつけられました 」
もうなにも言うことができなかった。イェデンに今日はもう休んでいいと言うと、エルメル様の部屋に入る。
エルメル様は就寝なさっていた。そっとそばによる。特にいつもと変わらない。疑っているわけではないのに、やはりイェデンの報告が本当だと思えなかった。
ん?
王子には何も変化はないが、ベッドの上に見慣れないものがある。起こさないように枕のそばにあるものをそっと持ち上げると、それは哺乳瓶だった。
哺乳瓶…。
蓋をあけて、中身を見る。
その途端、マティアスの目がすっと細くなった。
「 イェデン 」
音量を抑えた声で再び影の名を呼ぶ。
「 ここに 」
休めと言ったはずの影はやはり自分のそばにいた。
「 命令だ。犯人を突き止めろ。影を何人使ってもかまわない。期限は2日 」
冷酷といえるほど感情にこもっていない声が部屋に響く。その声で王子が起きることはなかった。
「 御意 」
♢♢♢♢♢
その翌日。
「 それはまことかっ 」
王宮の一室。青年と中年男性2人が向かい合って座っていた。
「 本当です。私がいない時間をみはからってこれが置いてありました 」
マティアスが間の机にことん、と不透明な素材でできた哺乳瓶を置く。
「 中身は? 」
未だ発言をしていない王が聞いた。
「 普段エルメル様がお飲みになっているミルクに多量のエルファレンが検出されました。王宮の医術部に確認してもらいましたので、確かだと思われます 」
「 エ… エルファレン! 」
マティアスの父が息を飲む。王は何も言わないが、驚いているようだった。
それもそうだろう。
エルファレン… あまり世間に知られていないが、ある植物から作られる猛毒だ。他とは比べ物にならない毒性の強さを誇る一方、独特に臭いがあるため暗殺には向かないとされている。
だから今回はミルクに混ぜてあった。丁寧に臭いのわからない哺乳瓶にいれて。
小さじ一杯弱で大人を数秒で内臓から破壊し、ものの数分で死にいたらしめる。そんな毒を乳幼児にあたえようとしていたのだ。今回の事件は脅しなどではない。ただ、殺害だけを目的としたものだということを示していた。
「 今すぐ、犯人の捜査をさせよう 」
側近を呼ぶため、王が立ち上がろうとした。
「 それには及びません。実行犯、首謀者。すべて把握しております 」
マティアスが哺乳瓶を見つめたまま答える。
「 昨日の事件なのにか… !? 」
さっきから驚いてばかりのマティアス父、クリストバルが一番の驚きを見せた。こんなに驚いていて大丈夫かと王はもともとあまり気が強くない彼のことを少し心配そうに見る。
「 はい。毒入りミルクを渡したのはエルメル様付きメイドの一人。彼女はバラーシュ家当主の命を受けてました。バラーシュ家。当然ご存知だとは思いますが、ここ最近力を伸ばしている新興貴族です。
バラーシュ家本家の娘が後宮で陛下のご寵愛を受けているため、陛下の子どもを身籠る日も近いと判断し、我が子を王とするために王子を殺害する計画に至ったようです。
またさらに一人のメイドも貴族の息のかかったものでした。こちらはまだ過激な行動には出ていませんが、王子についての報告をさせていました 」
「 愚かな 」
王が吐き捨てるように言い放った。
王家に牙を向けるなど、許されたことではない。
「 それでマティアス、お前の望みは 」
それだけ調べてから報告したんだ。言いたいことがあるんだろう、と王の鋭い視線がマティアスを射抜く。
弱気な父と、目の前の息子。この二人は本当に親子なんだろうか。
マティアスは哺乳瓶から目を上げた。
「 彼らにこの手で断罪を 」
アリメルティ王国貴族バラーシュ家当主以下一族、原因不明の事故で死亡。
ならびに第三王子つきメイド2名焼死。
♢♢♢♢♢
「 おはようございます 」
今日もマティアスはカーテンを開けて、庭を見る。
この間は咲いていなかった小さな花が咲いているのを見つけた。
結局最後まで王子が無事だったのか王に問われることはなかった。
自分が報告しなかったため、王子の手に渡る前に哺乳瓶を回収したと思ったのだろうか。
マティアスは思い出す。確かに自分は何も報告しなかった。王子は無事だ。でも、あの哺乳瓶は元から入っていた量から減った形跡があった。
なぜ、王子に全く異変がないのか。
わからない。
なぜ、なぜこの王子は致死量をはるかに超えた毒を飲んで生きているのだろうか。
なぜだ
なぜ、いつもと同じように目を覚ます
自分にはわからない。