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第三王子エルメル  作者: せい
初等部編
49/49

5-9 職業体験学習(2)

 


 それはケイライさんの後について王宮を歩いていたとき、突然目の前に現れた。

 初めは霧か煙でも立ち込めているのだと思ったが、近づくにつれ半透明の白っぽい膜のようなものが立ちはだかっていることが分かった。


「なんだ、あれ?」

 前を歩くみんなは気づいていないのだろうか。それとも見えているが気にする必要のないものなのか。

 他の人は立ち止まることはなく、膜が目の前に迫っても歩き続けている。一瞬人型に膜に穴が空いたかと思うと、次の瞬間には元通りになってしまう。何事もなかったかのように膜がふわんふわんと揺れているのだ。

 不思議な光景だった。


 得体のしれないものを通り過ぎて向こうに行く勇気が出ず、俺は足を止めてしまった。

 どうしよう。列の後ろをいたことを利用して迷いながらも謎の物体を人差し指でつついてみる。指先にかすかな弾力を感じて、膜は浅く窪んだ。シャボン玉のように薄い。爪を立てて引っかけば簡単に破れてしまいそうだった。


 一人でそんなことをしているうちに、先にいったみんなは自分がついてきていないことに気づかずに向こう側の角を曲がってしまった。もう誰の姿も見えない。ケイライさんの話だと、訓練場は曲がって真っ直ぐ行ったところにあるらしいので、迷子になることはないだろうが、どうしたらいいだろう。


 早く行かないと分かっていてもここを通りたくない。

 何処かに膜が途切れるところがあるかもしれないと期待して、俺は膜沿いに歩いてみることにした。


 王宮の中にたくさんの人がいるはずだが、都合のいいことにエルの進む場所には人の気配は全くしなかった。

 通路を完全に無視して、足を進める。膜を追いかけているうちに通っていいのかわからない植え込みも無理に掻き分けて通ることになってしまった。かなりの距離を歩いたように感じたが、どこまでも膜は続いているようで、いつまでも終わりが見えない。


「本当に何なんだよ、これ。なんか気持ち悪い」

 どこに続くかもわからない道の真ん中に立ち尽くして、エルは嘆いた。


「どうしたのかな?」

 しばらく悩んでいると、後ろから声がして、うなだれていた顔を上げた。


 振り向くと、見知らぬおじいさんが近くにニコニコと笑ってこちらを見て、立っている。

 怪しい人ではないように見えたので王宮で働いているおじいさんなのだろうと判断し、適当に言い訳をつけて逃げようとした。あまり王宮関係者と言葉を交わすのはよくないと、思い出したのだ。


「いえ、何でもないんです。道の真ん中に立っていて通行の邪魔でしたよね? ごめんなさい」

 この人が歩いてくるのは見えなかったわけだから、向こう行く途中だったんだろう。

 おじいさんに道を譲ろうと思って体をずらした。


「はて……」

 俺が脇に退いておじいさんを妨げるものは何もないはずなのに、目の前にご老人は一向に歩き始める様子を見せずにぼんやりと立ったままである。


「あの。どうかしましたか?」

 具合でも悪いのかと思い、先ほどおじいさんに言われたことと殆ど変わらない言葉を口にする。

「君は」

 俺の質問に答えることもこちらをちらりとも見ることもせず、おじいさんは話し始めた。


「君はなぜここに立ち止まっていたのかな? 良かったら教えて欲しいのだがね」

「いえ……暇だったので、立っていただけです」

 まだそこにこだわっていたのか。どうしてスルーしてくれないんだろうと考えながら、同じことを繰り返す。


「そうかい、そうかい。何か見ているようだったから気になったのさ。気のせいだったかな?」

「はぁ」

もしかしておじいさんにもこれが見えているのではないかと思ったが、どうやら違うらしい。変な人だと思われたくないので、曖昧な返事をした。

「 悲しいことにね、この歳になるともう殆ど目が見えなくなってきてね、君の顔もよくわからない。だから心配事があるのなら言っておきなさい」

 おじいさんは嗄れた声でゆっくりと話し終えると、ニコニコと笑みを浮かべて俺のことをじっと見ている。


 みたところ、確かに結構な高齢のようだし、体の調子も芳しくないのかもしれない。こちらを見つけていると言っても、こっちの方をぼんやりと見ていると言ってもおかしくないような気がした。

 この人になら言ってもいいかもしれない。俺よりものを知っていそうだし、一瞬会った人のことをいちいち覚えているとも思えない。


「さっきからここに白い膜が見えるんです。これがなんだか聞こうにも一緒にいたみんなは通り抜けて先に行ってしまって……。どうしようか考えていたんです」


「そうか、そうか。白い膜がねぇ……」

 おじいさんは俺の話を顔色一つ変えることなく聞いてくれた。ブツブツとつぶやいたのはおじいさんの独り言なのか判断できずに、言葉を探す。


「それが怖いなんて君は臆病なのかな?」

「そんなことないですっ! こんな得体の知れないものがあったら戸惑うのが普通でしょう」

 語気を荒げて否定するが、おじいさんは目を糸のように細めたまま何も言わない。

 しばらく睨み合った後、なぜ初対面の人にこんなことを言われなきゃいけないのだと気がついて、なんとも言えぬ不快感が胸に沈殿し始めた。


「ああ、もう!いい加減にしてください。行きますよ。行けばいいんでしょう!こんなの何ともありませんから」

意地を張って、何も言わないおじいさんに宣言した。

 それにさっさと行かないと、俺がいなくなったと騒ぎになる。俺ならしっかりしているから大丈夫と言ってくれたサリル先生の期待を裏切ってしまうのも嫌だった。


 言葉を吐き捨てて、膜の前に立つ。今度は立ち止まることなく、一歩を踏み出した。

 前から後ろにゆっくりと柔らかいものが撫でていくような感覚を感じながら中に入る。周りの景色も変わらないし体が痛くなることもない。

 目を瞑っていればきっと何とも思わなかっただろう。


「ほら、おじい───」

 見てましたか、と少し得意げな顔でおじいさんに言おうとした。


「若い時は無茶をしすぎるぐらいでいい。では、銀髪の少年。今日は君と話せてよかった。また会おう」

 えっと後ろを振り返る。

 しかし、確かに後ろで俺を見ていたはずのおじいさんの姿は何処にも無かった。


「なんで……?」

 そんな遠くにいけるはずもない。足音もしなかった。

 狐に包まれたような気持ちになりながら、首を傾げる。それからどれだけ探しておじいさんは見つからなかった。



  ♢♢♢♢♢



 結局ケイライさん一行は訓練場の手前の部屋で他の説明やらしていたようで、何食わぬ顔で紛れようとした俺にレントが小声で話しかけてきた。


「おい! どこ行ってたんだよ!? 急に居なくなるからびっくりしたぜ」

「ごめん、ごめん。ちょっと変なおじいさんに捕まってた」

 軽く謝る俺にレントは意味がわからないといった顔をする。仕方が無い。本人もイマイチ理解できていないのだから、これ以上説明のしようもなかった。


「は? まぁ、俺以外誰も気づいてなかったから良かったけどさ」

「やっぱり気づかれてなかったんだ……」

「ばれなくてラッキーだったじゃん。見つかったら面倒くさいことになってたし」

 存在感が薄いというのは喜ぶべきところのだろうか。とても複雑な気分だった。


 訓練場が近づくにつれ、たくさんの人のかけ声が聞こえてくる。

 幾つもの色の声が混じり、さらに音が反射しているため何を叫んでいるのかは理解できない。それでも伝わってくる熱気に、お目当のものが見れるとばかりに生徒たちが目を輝かせる。


「本当に君たちは運がいいよ。何たって今日は……」

「嘘だろ! なんで!」

 建物を抜け出ると、ばっと前が開けた。ケイライさんの声を遮って、悲鳴のようにレントが叫んだ。


「うそ……」

 なんだ?

 顔をあげ、中央で動いている人物に目を奪われる。閉じた喉から思わず、くぐもった声が漏れた。


「マティアス様だ!」

「マママ……マティアスが……」

 俺の小さい声はレントの大声の掻き消されて、ケイライさんの耳には届かなかった。きっと声も出せないほど驚いたと思っているだろう。まぁ、ある意味合っているのだが。

 目を見開いている子供たちを見ながら、ケイライさんは低い声で笑った。


「そうだ。ウエストヴェルン家のマティアス殿が剣術の稽古をつけてくれるとおしゃってくれたんだ」

「そんな話、聞いてない……!」


 信じられなくて、よく目を凝らす。

 しかし、少し離れていても鮮やかな紅の髪の男は紛れもなく、毎日顔を合わせているマティアスだった。


 今日の見学はご迷惑だったでしょうかと言うサリル先生にケイライは首を振った。サリル先生の困惑した様子からすると、先生も生徒同様マティアスが来ていることを知らされていなかったことがわかる。


「気にしないでください。急に決まったことですから仕方ありません。私も昨日聞かされて耳を疑いましたよ」

 生徒たちには嬉しいサプライズでしたと返事をするサリル先生の近くで、俺はまだ混乱していた。


「マティアス様が本邸の方で療養されているとは聞いていたましたが、まさか王都に戻ってこられているとは思わなかったです。こちらで体調を考慮させていただいて、新兵の相手からやってもらっていたが、流石に……相手になりませんか」

 ケイライさんが訓練場を見渡して言葉を詰まらせた。


 訓練場ではマティアスは剣の練習稽古を行っている最中だった。剣を抜いて向かい合っている。

 距離があるため聞き取ることはできないが、若い兵士に何か言ったかと思うと、直後高い金属音が鳴り響いた。それからは急に時間が飛んだようだった。訓練場に砂が舞い上がった。

次の瞬間には兵士は弾き飛ばされて尻餅をつき、マティアスは顔色一つ変えずに剣を下ろしているところだったのだ。


「すっげぇ!」

 隣でレントがごくりと唾を飲み込む。

 砂埃がおさまった頃、吹き飛ばされて某然としていた兵士が慌てて立ち上がった。マティアスに頭を下げて、周りで見守っていた同僚のもとへ戻って行く。交代をするようだ。


「君たち二人はマティアス様に特に驚いていたね。直接お話することはできないが、剣をふるっておられるところを見られるのも幸運だ。よく見ておいた方がいい」

「はい!勿論です!」

 ケイライさんにレントが元気よく返事を返した。

全く……はい! じゃない。一体どういうことなんだ。訓練場を一生懸命見ているふりをしながら、状況を整理する。


 話によるとマティアスは臨時で騎士団にきているだけということらしい。一瞬、実は騎士団に入っていたのかと思ってしまった。学園の時間はマティアスの行動を知らないものの、休みの日は家にいるのだから、そんなはずはないのだが。

 そこまではいい。


 ではなぜ、今日、この時間に、ここにいるのか。

 マティアスも同じ予定があるなら、先に言ってくれれば良かったのに。そうも思ったが、話がおかしい。俺が昨日話した時点ではそんな様子は見せてなかった。マティアスは嘘をつくようには思えない。


もし昨日ケイライさんが話を聞くことになったのが、昨日急に決まったためだとしたら?


「嫌な予感がする」

「なんか言った?」

 まさか……と思い当たった考えに顔を顰めると、レントが自分を見て不思議そうにしていた。


「いや、何も言ってない」

「そうか? 騎士団に来てから、エルいつにも増して、変な気がするんだけど……」

 それは心配してくれているのか? それとも貶しているのか! とレントに文句を言って、笑い合った。


 笑いが収まると、再びマティアスに目を戻す。すでに先ほどから数えて三人目の対戦相手が戻って行くところだった。しばらく二人で戦ったあとにマティアスが助言をし、倒すという繰り返しだ。


 はじめから必死な騎士団の人になら対して、マティアスが余裕たっぷりなのは傍目からでもわかった。


「絶対そうだ……!」

 マティアスを見ているうちに予感が確信へ変わる。


 俺たちがここに着いてからというもの、マティアスは何度も生徒がいる方を見てくる。気のせいかとも思ったが、レントと話したあとに確実に目があった。


 絶対こっちを見ている。

 そうと意識すれば、マティアスの不自然な視線ばかりが気になってしまう。


 ケイライさんの話からすると、マティアスは本当に強いらしい。家で毎日見ている時とは違う印象を聞くことで、実はすごい人なのかもと思ってしまう。

 それならば、尚更子供を何度もチラ見するなど、大貴族の御曹司がする行動ではない。


 きっと、マティアスは俺が心配だったんだ。

 彼の心配性は身に沁みてわかっていた。俺が何かするたびに物凄く心配してくれる。精神年齢はともかく、もう高学年になったのだから大丈夫と言っても、マティアスには通用しなかった。


 騎士団に行くと分かってから、俺が変なことをしないか見守ろうと連絡を取ったんだろう。


「はぁ……」

 王都を守る騎士団本部なのだから安全だと思う。むしろ、マティアスと知り合いだということが知られてしまった場合の方が厄介なことになる。


 とりあえず、今はマティアスが戦いに集中をしてくれるのを祈るしかなかった。



「マティアス様、気のせいかもしれないけどこちらを見ていらっしゃるような……」

 息をもひそめるように、真剣に見ていたレントが首を傾げて言った。


「え、絶対気のせいだよ! あり得ない! 本当にあり得ない!」

「そう、だよな?」

 つい声が大きくなってしまったのか、レントが呆気に取られた顔で見ていた。咳払いをして、素知らぬふりをする。


 ああ、本当に心臓に悪い。

 あんなに心配性でマティアスは大丈夫だろうか。

 ここで親がいない俺にはとっては、とても有難い存在な訳だが、心配の度合いは世の中のお母さんお父さんのレベルを遥かに凌駕している。


 それなのに、何とかの騎士と呼ばれているなんて信じられない。顔はかっこいいは、二つ名はもっとクールな人につけるのがいいと思う。



「ずっと見ていたい気持ちもわかるが、騎士に話をききたいというのはもう始めても?」

「はい、騎士の方に直接生徒たちから質問をさせていただきたいのです。もちろんケイライさんが宜しければ、このまま……」


 大人二人が会話をしている。小学生程度の子供の校外学習だ。あまり遅くになっても困るのだろう。騎士団に着いてから時間は結構経っているように思えた。


「せっかくの機会だか、他の騎士を呼んだ方がいいかな……ああ、お前ら! ちょっとこっちへ来い!」

 顎に手を当て悩んでいたケイライさんは、騎士の制服を来た人達が歩いているのに気づくと、急に大声を上げた。


「はーい」

 ガヤガヤと体格のいい男の人たちがケイライさんの呼ばれてやって来た。


「何でしょう。はっ!? この子等もしかして……ケイライ副団長の隠し子……!」

 その内の一人が口を手を覆って大げさに驚いた振りをする。

「はっ!?じゃないだろう。ふざけるな。見学に来ると前に伝えた初等部の生徒さんに決まっている」

「そうですよね。すいません、副団長」

 他の一人がふざけた男の頭を押さえて、ケイライさんに向かって下げさせた。


 ケイライさんは副団長だったのか。それよりも、思っていたより軽いノリを目の前にして戸惑った。いわゆる軍隊なわけだから、もっと厳しいのを想像していたのだ。



 新しくやってきた騎士さんは全部で五人。他のメンバーも何時ものことであるかような呆れた表情だった。

 どうもこんなふあけたことを言うのはこの人だけらしい。


「もう話を戻すぞ。お前たち、どうせ暫く暇なのだろう。ここに残って質問に答えてやれ」

「暇って、俺たち見廻組で今ようやく休憩なんですけど……」

 見廻組? ここを通りすがったのは皆さん、王宮を見回る仕事の帰りだったかららしい。


「任せたぞ」

「ちょっ……! わかりました。やりますよ」

 ケイライさんは任せたぞと肩を叩いて何処かへ行ってしまった。真面目そう性格だから、きっと仕事があるのだろう。


 騎士五人と生徒が向かい合って並ぶ。メモを取り出し、キラキラした目で騎士を見る生徒が質問を始めた。


「騎士にはどうやったらなれますか」

「学園か軍の学校に通わないといけないね。そこで条件を満たす成績だったたり、スカウトされれば騎士団員になることができます」

「ありがとうございます」


「仕事内容を教えてください」

「王族、要人の方の護衛。王宮内の見廻り。また王都に配置されている兵士との連携しながらこの街の治安維持にも当たる。国内から要請があれば、必要に応じて隊も派遣する」

「えっと……ちあんいじ……」


 淀みなく質問に答える騎士の言葉を必死にノートに書き取るクラスメイト。


 予め何を聞くかは決めてあり、内容は先生からokが出ているらしく、滞りなく順番は回っていた。


 俺も一応鞄から出した小さめのノートを持って、パラパラと眺める。そこに箇条書きにされている質問はここでは使えそうになかった。


 “喫茶店を始めるのに必要なものは何ですか。資金は幾らぐらい用意した方がいいですか”

 “仕事内容を詳しく教えてください”

 “どのくらいのお客さんを集めることが出来たら、黒字になりますか”


 喫茶店に行く予定だったので、一人でやるつもりだった。

 色々と聞きたいことがったので、残念だ。


 みんなが何を聞くも知らないので、列の一番後ろにおまけ程度に並んでいる。


 暇だ。質問がなく、メモも使えない俺の視線は空を彷徨い、自然と騎士五人に移る。

 そこでバチっと一人の騎士さんと目があった。


 なんだ?

 不思議に思うも、気まずさからすぐに逸らした。また手元のメモを見るふりをした後に、そっと前を向く。どんな人なのか確かめようと思ったのだ。

 こっそり顔を確かめるだけだった。それなのに、また目が合う。


 たまたまじゃなかった。ケイライよりは遥かに若く見えるその騎士は何か言いたげに口をパクパクとさせて、じっと俺だけを見ていた。周りは応答に集中していて気がついていないようだ。


 どうしたんだ。チラ見なんてレベルじゃない。


「エル? エル! 次お前の番だけど」

「えっ?」


「早く質問しろよ」

 レントに急かされる。いつの間にか全員が担当の質問を終え、自分だけになっていた。


 俺がなかなか反応をしないことを不思議に思ったのだろう。みんなの視線が一気に集まっている。


「えっえーと……」

 どうしよう。聞いていた限り、騎士団に応用できそうなものはすべて使われている。


「あの、さっきからずっと目があってますよね……」

「覚えていてくださったんですか!」はっきりと俺のことを見ている人に話しかけた。


「覚えて……?」

 俺の言葉を聞いた瞬間、弾けたような笑顔を浮かべて騎士さんは思ったより大きな声を上げた。


「話しかけていただけるとは思っていませんでした。アロイスです!」


「アロイス……ああ!」

 名前を聞いて、ようやく思い出す。俺がまだ人質だったときに、一緒に馬車の旅についてきてくれた人だ。


 あまり知り合いがいないので、胸が暖かくなるような懐かしい気持ちになる。


「お久しぶりでございます。ずっとお会いするのを楽しみにしておりました!」


「ちょっと、あれ?」

 なんかおかしいな。そう思う前には、アロイスさんが一歩前へ踏み出していた。


 流れるような身のこなしで、俺のすぐ前まで歩いてくる。かっこいい騎士団の制服を着ているからだと思うが、昔より大きく見えた。


 砂利を踏みしめる音する。


「あの時はお守りできず申し訳ございませんでした。───姫様」

 力の抜けていた手を足元の騎士に取られていた。


「姫様?」

「あの時?」

 間の抜けた誰かと俺の声が混ざり合った。


 頭の中が真っ白になる。そうだ、あの時。俺はアロイスさんに呼び方を否定し忘れていた。そんな暇などなかったという方が正しいか。


 これは今すぐ否定しないと。

 口を開きかけた時に、新たに問題が発生することに気づいた。


 この人は恐らく、俺が元王子だということを知っている。護衛をしてくれていたのだから、間違いない。


 少なくとも俺からは口止めしていないから、それも全部引っ括めてこの状況をフォローしなければならない。周りから明らかに不審に思う視線が集まっていた。

 背中をひやりと嫌な汗が流れる。


どうすればいい。


「やだなぁ」

 アロイスさんの手を握って、力を込めた。そのまま後ろに引いて、立つように促した。


「もう高学年だよ? 大きくなったんだからその遊びはいいって!」

「遊び……?」

 俺は明るい声で言う。よほどわけが分からなかったのか、不思議そうな表情をしている。

 バランスを崩しつつ、アロイスさんを無理矢理立たせることに成功した俺は誰にも口を挟ませないようにすぐに言葉を続ける。


「僕も小さかったし、長いこと会ってなかったから顔見ても、わかんなかった!」

「それはどういう……」

 余計なことをいいそうになったアロイスさんの背中を思いっきりつねる。


(いいから、こっちに合わせて)

 他に人には聞こえないよう小声で呟くと、アロイスさんはカクカクと壊れた玩具のように頷いた。


「そうそう! 小さい頃やっていたお姫様ごっこの続きでしょ?」

 今度は周りに聞こえるようにはっきりと問いかける。アロイスさんはさっきよりも激しく、首を上下に振った。


「アロイス……? 昔の知り合いなのか?」

「えっ、あああ! そうそう。知り合い。昔、王都でね。そうそう」

 アロイスさんは根が正直なのか、嘘をつくのがとても下手だった。同僚の言葉に体を揺らして反応し、誰が見ても動揺していると思われるだろう。


「えー、でもお前、王都には転入前に来たばっかだったろ。おかしいじゃん」

 今度は俺のクラスメイトかツッコミが入る。王都にいたことがあると言っても、俺は学園に入った頃、街のことを何一つ知らなかった。軟禁されていたからなどと言えるはずはない。


「王都じゃないでしょ。なんで間違えてるの?」

 内心しまったと思いつつ、アロイスさんに話をふる。

 周りの疑惑を含んだ視線が痛い。


「ああ、そうだった。ちょっと言い間違えた。田舎で昔、遊んでいたんだ……」

「へー、そりゃあ、偶然だねぇ」

 本当に信じてくれたのかは分からないが、形だけでも納得してもらえたことに安堵する。


「あのさ、エル? さっきの姫様がっていうのは何なんだよ?」

 ちっ。覚えていたか。

 忘れてくれているかという淡い希望は虚しく消える。


「あれはさ、お……お姫様ごっこ」

 もう適当に言っておこう。

「は?」

 みんなの口が揃いも揃ってぽかんと空いているのが面白かった。


「ごっこ遊びってやるだろ。役になりきって遊ぶの。それで昔、僕はよくお姫様役をやっていたわけ」

「へぇ……そうだったんだ」

 引かれているな。顔に出ているのを察することができても、引き下がることはできない。このまま突っ切ろう。


「お姫様と騎士になってよく遊んでたから、その名残であんなことしたんでしょ? ───ねぇ、アロイス兄ちゃん?」

 さっきから初耳ですという顔で俺の話を聞いていたアロイスさんを見上げた。


 ん?

 なぜか一瞬固まった雰囲気を打ち破ったのは、誰の声でもなく、近くで鳴り響いた爆音だった。


「なんだ?」

 全員が会話をやめ、音のした方を注視した。


「マティアス様……?」

 アロイスが情けない声を上げる。

 爆発した場所のそばでマティアスが佇んでいた。相手をしていたのであろう騎士がその近くで腰を抜かしている。


 マティアスは口を固く結び、無表情の中に不機嫌さを伺わせていた。そして、こっちを睨んでいる。

 俺らが話している間に何があったんだ? 全くマティアスにことを見ていなかったので、状況が読めない。ただ、こっちを見ているのは俺に原因があるからではないといいなと切実に思った。


 顔に煤を付けた騎士が慌てて立ち上げって、マティアスから遠ざかって行く。

 さっき迄質問に答えてくれていた騎士たちが声を潜めて話しているのが聞こえてきた。


「絶対、あれ怒っていらっしゃるよな。あいつらじゃマティアス様の相手にならなかったか。そりゃそうだろうけど……。でも、今隊長格はいないし、どうする……?」

「俺は無理だって! 病気で休養なされていたと聞いていたが、全然弱られていないじゃないか。今のマティアス様に本気出されたら消し炭にされそうだ」

 マティアスはストレスがたまっているのだろうと騎士たちは言っている。

 

 そこで、俺はとてもよいことを思いついた。

 笑みを浮かべてアロイスさんの服の裾を引いて、少し屈んでもらった。


「アロイスさん。アロイスさんがマティアスの相手をすればいいんじゃいかな」

「それは……無理ですよ! 自分じゃ相手になりません」

 周りに声が漏れないようにヒソヒソと話し合う。


「大丈夫だよ。マティアスは優しいから、人のことを全身やけどにも消し炭にもしないと思う。ついでに、文句言ってきて欲しいんだけど。黙って騎士団まできたのはともかく、知り合いだってバレるからチラチラこっち見るなって」

 ひぃとアロイスさんは小さな悲鳴をあげた。


「そんなこと恐れ多くて言えません! それこそ殺されてしまいます」

 でも、伝言がかりを頼めるのは彼しかいないのだ。しかも、これ以上アロイスさんといると嘘が露呈しそうで危ない。


「平気だよ。ついでに一発殴ってきてくれるくらいがいい。ほらお願い」

「申し訳ありませんが、無理です! 絶対に無理です! 無理です無理です」

 首を振って全身で拒否の意思を表すアロイスさんをマティアスに向かって押し出した。


「勘弁してください。まだ生きていたいですー」

「ふぅ」

 文句を言いながらとぼとぼと歩いていくアロイスさん、いやアロイスを送り出し、ため息をつく。彼には悪いが厄介払いができた。


 アロイスはペコペコ何度も頭を下げながらマティアスに何か伝えている。

 きっとさっき俺が頼んだことを話してくれているのだろう。


 暫く口を開けたり閉めたりした後に地獄から招待状がきたかのような絶望に染まった顔で俺を見てきた。目が救いを求めている。


 よっぽどマティアスと戦うのがいやらしい。アロイスには悪いが、これでマティアスもチラ見をやめるだろう。ありがとうという意味を決めて、笑顔で手を振った。

 しかしアロイスは俺を見て、さらに表情の中に悲しみの色を強める。


「変だな?」

 マティアスが笑顔を浮かべて、アロイスにまた何か言っている。するとアロイスは何かを必死に弁解するように両手を振った。


 マティアスが言い返し、アロイスが再び頭を下げ、二人の練習試合が始まる。周りの空気も緊張し、訓練場に注目が集まった。


「始め!」

 声が響き、先に動いたのはマティアスだった。早口なのか聞いたこともなく、意味が理解できない言葉を話したかと思うと、アロイスのいた場所に火柱が立った。


「うわぁぁ!」

 彼方此方から叫び声というより、感嘆を含んだ歓声が沸いた。

 アロイス、燃えたか?と思ったが、こは流石騎士。咄嗟に右に飛んで、避けていた。

 それを見たマティアスが、態勢を整える暇も与えずにまた魔法で攻撃を重ねる。


 炎の熱気のせいだけでなく、一気に会場の温度が上がった気がした。


 マティアスの攻撃は数を増し、あたり一帯が火事のようになると、二人の姿は見えなくなる。


「……ごめん、アロイス。安らかに眠れ」

 マティアスって容赦のない性格をしていたんだな。あれは確実に殺る気な目だった。魔法も混ざると、攻撃がこれ程になるとは思っていなかったのだ。訓練場が地獄になった。


 前にマティアスが俺のことを強いと言ってくれたが、あれはお世辞だったんだろう。叶う気がしない。


「助けでぐだざーい」

 砂埃の中から地を這うような声が聞こえ、身を引く。


「誰?」

「アロイスですよ。姫様ぁ……ぐすっ」

 もうもうと立ち上っていた煙や砂埃が段々と薄くなり、姿を現したのは向こうで戦っていたはずのアロイスだった。あちこちが燃えて、ボロボロになっている。

「あれ、いつの間にここに?」

「ひどいじゃないですかぁ! あのままあそこにいたら……うう……絶対殺されてました」

 半泣きのアロイス。男の泣きそうか顔を見ても、特に優しい言葉をかける気にはなれなかった。


「ちょっとだけダメかもとは思ったけど……、練習試合なんだからマティアスだって考えて攻撃してたよ。ギャラリーには全く被害なかったし。アロイスにも配慮してた……じゃないかな」

 そう。俺の方にも待機する騎士の方にも火の粉一つ飛んでこなかった。


「そん無責任な! 姫様の仰られたことをそのまま伝えたら、笑顔で “そうか” と言って、上級魔法で俺を殺そうとしてきたんですよ。姫様が自分に手を振って下さった後なんて、特に目が笑っていませんでした!」


 アロイスが必死に訴えていると、騎士たちから声が飛んできた。


「おい、アロイス! お前まだ試合の途中だろ。戻れー」

「ほら、呼んでるよ」


「嫌です。ここだけが安全地帯なんです。今まであの時お守りできなかった無念を忘れずに訓練してきましたが、姫様やマティアス様の方が強いことを再確認致しました。今だけでいいので助けてください!」


「それはマティアスとの……」

 両手を合わせて拝むアロイスに答えた時、誰かに焦った大声がした。


「殿下が、リクハルド様が此方へいらっしゃいます!」


 リクハルド様? 誰だろうと聞いたことのない名前に首を傾げたのは俺だけで、先ほどまで和やかだったとも言える訓練場の空気が一変する。

 方々に散らばっていた騎士の人達が一斉に膝をつき、頭を下げた。生徒の何人かも同様の格好になる。


 何が起こっているんだ!? アロイスもみんなに違わず、膝と片手を地面について微塵も動かない。


 流石の俺もこのままじゃいけないことらしいことは理解できた。よく分からないが、慌ててみんなと同じようにする。急に近くなったざらりとした地面を数度瞬きして見つめた。


 誰も話さない。あんなにもうるさかった場所だとは思えないほど、静寂に包まれた。


「これ、どうなっているの?」

「第一王子のリクハルド様がここにいらっしゃるようですね。マティアス様がいらっしゃっていることがお耳に入ったのかもしれません」


 アロイスが頭を下げたまま小声で教えてくれる。俺もアロイスの方を向かないように答えた。


「マティアス?」

「リクハルド様とマティアス様は学園入学以前からお知り合いのはずです。お二方は雲の上の身分のかたですから、詳しくは存じ上げませんが。そういえば、なぜ姫様も一緒に頭を下げられているのですか?」


 耳を澄ましていると、地面を踏みしめる音が微かに聞こえてきた。一人分の足音じゃなかった。速いペースで少しずつ音が大きくなってくる。


「なぜって、王子様って偉いでしょ……」

 俺にだって、王子が偉い人だって事ぐらいはわかるぞ。顔を見られたらまずいんだろうが、会ったこともないし、俺のことなんて知らないだろう。


「えっと……失礼を承知でお聞きしますが、姫様はマティアス様とはどういう関係なのですか?」

「保護者みたいなものかな?」

 改めて聞かれて、困ってしまった。未だになぜマティアスが親切に面倒を見てくれるのかよく分からないのだ。前に突然放り出されたらどうやって生きていこうか悩んでいたら、理由を問い詰められた上に怒られた。


 見捨てるはずなどないじゃないですか! 自分は死んでもどエルメル様について行きますと熱く語られ、以来口に出さないようにしている。


「マティアス様はウエストヴェルン家本家の方です。西の広大な土地を治め、四大貴族と称されるほど大きな家。めったな身分では一緒にいることはできません。しかし、姫様はマティアス様のことを呼び捨てにらっしゃるし……そうとなると、姫様は……? 一体?」

 一人悩み始めてしまったアロイスにそのことは黙っておいてねと言っておく。ちなみのこの会話、すべて互いに跪いて俯いたまま行っていた。


 足音が止まり、代わりに軽く言い争うような声がする。

 マティアスの声だろうか。気になって仕方がない。


 俺は項垂れていた頭をそろそろと上げた。

 少しだけ、少しだけ見てみよう。きっと生で王子を見るチャンスなんて二度と来ない。それなら一度くらい……


「あれが……?」

 結論から言うと、王子様の顔は見えなかった。王子だろうと思える人はこちらを向いているマティアスの腕を取っていたため、背中しか見えない。その後ろにもう一人背の高い男の人がこれまた背中を向けて立っている。


 もしかして、こっちが王子か?


 わからない。でも、どちらも偉い人だろう。何偉そうな人が見れたようなので来て良かったと思うことにした。


 一瞬、マティアスと目が合ったような気がする。珍しく俺に向かって、困った顔をしたようにも思ったが、王子らしき相手に出来ることは何もない。


「頑張れ」

 と声に出さずに口だけを動かして伝えると、再び頭を下げた。これで目をつけられたら大変だ。


 しばらくすると、足音させながら王子一行は去って行く。一気に緊張の糸が切れ、訓練場に音が戻る。

 顔を上げるとすでにマティアスの姿はなく、王子に連れていかれたようだ。本当に友達なのかと実感した。


「すげー! 明日学校のみんなに自慢しようぜ」

「そうだね」

 俺を含め、生徒が全員興奮状態だったのは言うまでもない。


 その後しばらく、騎士団に行けなかったクラスメイトからあこがれの目で見られることになる。おかげで、アロイスのことはみんなの記憶から薄れたようだった。


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