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第三王子エルメル  作者: せい
初等部編
47/49

5-7 いつか王子様が(2)

 


「……ジュリアンナの粗末なドレスの裾が今にも掴まれそうになったとき、何処からか馬の蹄の音が聞こえてきました。『ジュリアンナ!』ジュリアンナを見て馬上の男が叫びます。それはジュリアンナが町で出会い、密かに心惹かれてた青年でした。でも、先ほどパレードで知ってしまったのです。彼は病弱と言われ、滅多に外に出てこないこの国の王子様でした。彼と私は釣り合わない。そう思ったからこそ楽しみにしていたパレードを見ていられてなくて、逃げ出してしまったのです。当てもなくさまよっていたときに盗賊に捕まってしまったのでした。

 一番会いたくない王子様に見つかってしまい、ジュリアンナの頬は涙で濡れています。

 白馬に乗った青年は厳しい視線で周りを見渡し、叫びました。『彼女に触るな!』さっそうと馬を降りると、腰の鞘から剣を引き抜き、盗賊たちを華麗な動きで倒していきます。それは、いつも彼女の隣にいた青年とは別人のようでした。その姿に目を奪われながら、やっぱりこんなにみすぼらしい自分とは違う、そう思いました。

 盗賊全員を気絶させた王子は剣をしまい、地面に座り込んでいたジュリアンナに手を差し伸べました。

『黙っていて悪かった。俺の本当の名はユリウス。この国の王子だったんだ。君にはありのままの俺を見てほしくてどうしても打ち明けられなかった。さあ帰ろう』『そんな……一体どこへ帰るというのですか。私の身分のようなものは貴方とは釣り合いません!』『身分なんて関係ない。ジュリアンナ、よく聞いてほしい。俺と結婚して欲しいんだ。一生側室も取らないと約束する。お前だけを愛しているんだ』『ユリウス……!』ジュリアンナは涙を拭い、王子の手を取りました。

 後日、ジュリアンナとユリウスの結婚式が行われました。二人の幸せそうな姿を見て全国民が祝福しました。ジュリアンナは美しく、優しい王妃としてユリウスの隣に寄り添い続けたのです……」


 抑揚のない声で本を読み上げ、最後の一ページを捲ったシェンリルは本を脇に押しやった。


「これもだめ。どうしてこうみんな同じような内容なの?」


 本棚にはたくさんの恋愛小説が並んでいた。国の発展に伴い、アリメルティ王国の識字率もじわじわと上がっている。

 今まで民たちの間で流行っていたお話が本という形で数多く出回るようになったのだ。そしてこのシェンリルの部屋には恋愛ものの本が大量に集められていた。


「王子様はかっこ良くて、勇敢で国で一番強いなんてうそよ。読み聞かせてもらった絵本にはどれもそう書いてあったけれど、違うじゃない。それにこんなに身分差があって簡単にうまく行くわけないわ。国民はみな祝福したとしても、貴族共は反対するに決まっている。側室もとらないで子供がなかなかできなかったら、国は混乱するに決まっている」

 小さい頃は絵本に何度も目を通し、いつか自分の元にも白馬の王子様がやってくると信じていた。でも、その夢は大人たちによってあっさりと打ち砕かれることになる。


 初めて連れていかれた王都。そこでシェンリルを待っていたのは、ティモ・ルプランス・ド・アリメルティ・ノースラレス。この国の第三王子で、自分より幼い婚約者様だった。

 別に結婚相手を決められたことに不満はない。貴族の女性ならそれは義務であり、仕方のないことだと受け入れている。


「でも、王子様だと聞いていたなら期待するじゃない!」

 メイドを下がらせた部屋で、声を荒げる。


 王様が上に王子がいたから第三王子のティモは王位を継承することはないと考え、そうそうと婚約者を決められた……らしい。王位継承権があるものが身分的に釣り合って、一番年が近い女性ということでウエストヴェルン家の長女シェンリルに白羽の矢が立った。


 今のところシェンリルとティモの関係は仲のよい幼馴染といったところだ。互いに同世代の友達と遊ぶ機会はなかったが、婚約者二人で過ごす(遊ぶ)時間は用意されていた。大人たちがどういう意図があるのかはわからないがあるときは王宮で、あるときは彼女の屋敷の中でと場所が異なるものの年下のティモの遊びに付き合っている。砂遊びで泥だらけになり、ちゃんばらごっこで捻挫しているうちにどんどんと白馬の王子様は遠ざかってしまった。


「それでもお兄様は、マティアスお兄様だけは違ったのにっ……!」

 そんな中でも、二番目の兄マティアスはシェンリルの憧れだった。学園にはいるまでは本邸で過ごしていたため、顔を見たことはなかったと思う。

 しかし、メイドや執事からよく話を聞いていた。マティアス様は賢くて、王族の方よりもお強いのではないかと言われているのですよ、と。大会で優勝した時の話は物語にもなっていた。


 王都にやってきて、初めて会ったときのことは忘れない。顔には出さなかったものの嬉しくて仕方がなかった。

 お仕事が忙しいのか、ほとんど家に帰ってくることはなく、忘れた頃にふらっと立ち寄るだけ。

 屋敷以外の何処かで寝泊まりしているのは明らかだったが、何の仕事をしているかは周りに聞いても分からなかった。ただ将来を有望視されているお兄様なら何か大きな仕事をされているのだと思っていたのだった。それなのに……。


 シェンリルは窓の外に目をやった。昼が過ぎ、寒い季節の中一番暖かい時間が終わろうとしていた。

 ちょうど顔を出してくれたメイドに用事を伝える。まだここに来て日が浅いメイドだと思う。いつもなら慣れているメイドの方が色々と楽なのだが、家の勝手を分かっていないのは今日はむしろ都合が良かった。


 メイドが部屋を出て行く。残ったシェンリルは膝の上のレースがたっぷりとあしらわれた布を座っていた場所に置いた。その足で向かった先は冬の洋服が所狭しと並べられた奥の部屋だ。


 その中から今日の気分にあったものを探す。

 母、ルクシェルはこの国の服飾の部門の開拓者と言われている。学園の寮に入って元々好きだった裁縫に力をいれ始めたらしい。

 しかし、母は貴族の嗜みである繊細な刺繍だけでは満足が出来ず、自らドレスを作ることにした。当時にしては斬新なデザインのそれは誰に見せても否定されるだけだったという。でも、母は気に入っていた。だから自分で作ったドレスをお茶会などに着て行くことにしたののだ。


 暇な貴族の女は陰口が好きだ。幼い頃から大人のいる場所に出入りすることが多かったシェンリルは知っていた。やることがなく、サロンや観劇に興じるしかない女性は根も葉もない噂と悪口に大半の時間を費やす。きっとお母様も当時は陰口を叩かれたに違いない。


 母は昔最初に外に着ていったドレスを見せてくれたことがある。手放さず持っているのはそれだけ愛着がある、武器だからだろうか。


 しかし、女性は流行のものも好きだった。圧倒的な美貌でドレスを着こなし、徐々に貴族界の注目を浴びるようになったお母様の服はそれから後流行の最先端を独走することになる。


 さらには子供服。カシュバル兄様を生むと同時に、今まで大人の小さな服としか認識されていなかった子供服を作り始めた。この国の新たな産業として陛下からも頑張ってほしいとお言葉をいただき、今では大陸中に店舗をもつ事業へと拡大させた。


「王様にお言葉をいただいたから頑張ったというよりは、お母様は作ることが好きで好きでしかたないんでしょうけど」


 誰もいない部屋で一人呟き、服についたりぼんを結び終えると部屋を出た。部屋を温めていた暖炉の火は扉を閉めた瞬間、萎むように消えた。


 こつんこつんと小さな足音を鳴らしながら廊下を歩く。部屋のなかは暖かかったが、ここは少し冷気が漂っていた。シェンリルは誰にも会わずにある部屋の前にたどり着いた。

 ドアの前で服の上から胸に手を当て、早まる鼓動を鎮まらせる。どく、どくと血を送り出す心臓は目を閉じてじっとしていると落ち着いてきた。ドアノブに手をかけた。


「失礼いたします。少しよろしいかし……ら?」

「どうぞ」

 前もって用意してきた言葉を発しながら、初めてまっすぐ正面からみる相手と目を合わす。外出着をきっちりと着て、手にはコートを持って、椅子に腰掛けていた。どうみても今にも出掛けるといった出で立ちだった。

 予想外のことにシェンリルは思わず目を見張り、言葉を詰まらせかけた。それを隠すように続ける。


「突然ごめんなさい。エル様に頼みたいことがあるんです」

「何かな? 」

 エルの無表情な顔からは自分の行動にどういう思いを抱いているのかは読み取れなかった。どこかかったるそうに手の中のコートをさわるエルに気圧されないよう、シェンリルは自分を励ました。


「これです」

 自分の部屋から持ってきた木のつるの籠を差し出す。


「お兄様に差し上げるお花を森で摘みたいんです。手伝ってもらえません?」

「マティアスに?」

 不思議そうな声色で聞きかえされた。「白々しい」と口に出してしまいそうになった。自分の用事を知っていたかのように外出着で待っていたくせによくも予想もつかなかったという反応をするものだ。

 なぜ外に誘おうとしていることがわかったのだろう。もしかして、これから自分がしようとしていることも知っている? いや、そんなはずはない。


 その間も、エルが透き通ったガラスのような眼でこちらを見てくる。心をみすかされているようでもう耐えられなかった。


「今日も外は寒いです。まぁ、そのコートなら暖かいと思いますけど。それでは私はエントランスで待っておりますから」

 これ以上同じ部屋にいたら、本当に心を読まれてしまいそうだ。一気に言いたいことを口にして、部屋を出た。


「平気よ。私の計画を知っているわけないわ。誰にも言ってないんだもの」

 それにあっちだって私と数歳しか違わないとお兄様が言っていたじゃない。シェンリルはそう考えながら早足で歩く。廊下には誰もいなかった。


  ♢♢♢♢♢



「僕より年下なのに言葉遣いしっかりしてるね」

「このくらい当然です」


 見かけによらず話すことが好きなのか、森を歩いている最中もエルはしきりに話しかけてきた。

 明らかに自分をよく思っていないものに誘われてのこのことついてきて、饒舌になるんだからよっぽどめでたい性格をしているに違いない。

 一体どういう出自をしているのかわからないが、本当にウエストヴェルン家のものとして貴族界で生きるならそれではいけない。互いに腹の中を隠して生きているのだ。こんな風にのんきに生きていたらいつか足元をすくわれるに違いない。


 そこまで考えを巡らせてからはっとシェンリルは我に帰った。

 これからのことを考える必要なんてないのだ。ずっと考えて ……彼を追い出すと決めたのだから。


 いつまにか探していた花も見えていた。

「私は欲しいのはあの花です」

「この赤い花?」

「ええ。これで籠一杯にしたいの」

 手に下げた籠に少し持ち上げて、目をやる。



 それからはお互い花摘みに没頭し、会話はほとんどなかった。ちょっと休もうとか移動しようとか、ほんの少し言葉を交わすだけ。

 しかし、その時は刻一刻と近づいていた。


 日に陰りが見え始めた頃、シェンリルは動かしていた手を止め、横目でエルを見た。

 エルはそんなシェンリルの視線に気づくことなく、せっせと花摘みに精をだしている。端正な顔立ちにも上品な身なりにも合わない行為だというのに、その姿はなぜか様になっていた。


 シェンリルは足音を立てないようこっそりとエルのそばを離れた。初めはゆっくりと、そして足音が聞こえない距離にきたと思った途端、走り出す。


「やったわ。絶対に気づいていない」

 十分離れたところで、ようやく立ち止まった。体の中で心臓が動く音が大きく鳴り響く。それはついにやったという緊張からの解放のせいでも、走った直後だというせいでもあるだろう。



 突然、がさりと足元の草むらが揺れた。シェンリルの体に緊張がはしる。次の瞬間には飛び上がらんばかりに驚いて、咄嗟に進もうとしていた方向とは違う方へ走り出してしまった。


 獣、ないしは自分を傷つけるかもしれない何かだと思ったのだ。本人がそれに気づいたのは走り疲れて足を止めた時だった。


「印がないっ……!」

 森を遊び場としていたシェンリルは木につけた傷を目印にして歩いていた。目線に合わせて昔、刃物で削ったのだ。それなのに、自分の周りのどの木の幹にも印を見つけることができない。


 嫌な予感が頭をよぎるなか、森を彷徨い続ける。


 少し冷静になった頭で考えると、場所のわからないここはともかく、危険な動物がさっきのところにいるはずがない。危ない生物がいないからこそ、家のもの達は自分が逃げ出しては森で遊ぶのを見逃してくれていたのだということにようやく気づく。


 いつもなら迷子になんてならない。こうなってしまったのもあの子……突然やってきたエルのせいだ。歩きはじめたばかりで、まだ体力に余裕があるシェンリルはそんなことを考えて、方向も分からずに森を歩きはじめた。




 暗くなり、一層寒くなってきた森の中で、シェンリルはついに足を止めてしまった。力が抜けたように座り、木の幹を背に体を折って、足を抱え込む。いくら暖かい格好をしていると言っても、外気に晒されている顔や手から体は冷え切っていた。


「帰りたい……お母様、お兄様…… 寒いよ…… 」

 シェンリルはエルに話していたときのものより幼い口調で弱気な言葉を吐いた。


 今まで一人で思い切り遊べる、大好きな場所だった森がとても恐ろしく感じた。

 屋敷では自分がいないことは気づいているだろう。でも、ここまできてくれるだろうか。急にシェンリルの心は不安でいっぱいになった。


「……もしかしたら、誰も探しにきてくれないかもしれない」

 顔を膝頭に押し当て、目を閉じるともっと小さい頃に父親に言われたことを思い出す。


 ───シェンリル、こっそり悪いことをしても始神様は全部知っておられるからね。いつか悪い行いは自分にかえってくるんだよ。


 でも、しょうがなかったのだ。

 お兄様が本邸に住むことになったと教えてもらった時は本当に嬉しかった。


 褒めてもらいたくて、学園の勉強もたくさんした。辛くても習いごとだって頑張った。


 しかし、屋敷にやってきたお兄様の隣にはエルがいた。自分より少し大きいだろうと思われる子ども。お兄様がことさらにその子を気にかけているのは一目でわかった。


 我が目を疑ったのだ。飛びついて迎えようと思い、うわついていた心が行き場を失って宙に浮く。

 その日は誰にも気づかれないように自分の部屋へ戻った。


 それからメイドに二人の関係をそれとなく見てきて欲しいと頼んだ。しかし、報告のどれもが心を打ち砕くのに十分なものだった。


 名前はエル。マティアス様自身がエル様と呼び、面倒をみている様子。出自は詳細は不明だが、外国のとても高貴な生まれで、ウエストヴェルン家が引き取ることになったと説明があったという執事の報告。

 また感情の起伏を表すことはほとんどなく、読書や勉強、何もせずに外をながめて一日を過ごしている。その様子を見て無表情が怖いと思っていると、別に怒っていらっしゃるわけではないとマティアス様が教えてくださった。

 そう言われてみると、メイドに対する物腰も丁寧でおとなしく、優しい子供にも見える。


 シェンリルは悔しかった。マティアスの目に写っているのは自分ではなくエルとわかったから。

 妹よりどこぞの子供を大切にしているのが許せなかった。


 それなのに、その子供は悪びれた様子もなく話しかけてきた。暴言を吐いたせいでお兄様には怒られ、さらにエルへの怒りが増す。

 無視しても無視しても、無表情で声をかけてくるのだ。

 一体何を考えているのか。わからないが、その恐ろしく整った顔の裏で、確かにシェンリルの世界は侵食されていた。マティアスお兄様は騙されている。


 エルがお母様にも気に入られているのを間のあたりにした時、シェンリルの心は決まった。意地悪をして、家から出て行きたくさせようと。


 そして、その作戦はうまく行った。


 どこからか鳥の声がして、緊張でまた体を固くする。

 森のすべてが自分を受け入れず、すきあらば消してしまおうとしているような錯覚にとらわれる。本当なら今頃、炭火が爆ぜる音を聞きながら美味しい食事をとっているはずだったのだ。


 シェンリルはそこで大変なことに気がついた。

「あれ? ……私だけじゃ……ない?」

 今このような取り残してきたエルもまだ森にいるに違いない。太陽の下で遊んだことはありませんと言わんばかりの白い肌だった。高貴な生まれならば、外でこんな時間まで過ごしたことはないだろう。

 エルが不慣れな森で屋敷に帰れるはずがないのは一目瞭然だった。


 同じように寒いと思っているのだろうか。きっとさみしいと立ち止まって泣いているんだろう。


 エルをそんな状況に追い込んだのは全部自分だ。

 一度思いついてしまった最悪の想像はシェンリルの頭から離れない。自分のやってしまったことの重大さを感じ始めた。


 今こうして、誰にも見つけてもらえないのも悪いことをした自分に対する罰なのかもしれない。

 もう二度と帰れないんじゃないかと思ったシェンリルの頬に涙が流れた。


「ごめんなさい……もうしないからぁ」

 しゃくりあげながら、誰に向かってでもなくごめんなさいと口にする。


 自分の居場所を奪ったエルが嫌だ、エルばかりにかまうマティアスも嫌だ。

 エルに服を作るルクシェルも嫌だ。

 でも、ずっと、みんなが楽しそうにしているのにそんな風にしか考えられない自分が一番嫌だった。


 何でもない風に振舞っていた反動で、心の中で渦巻いていた感情が溢れ出す。


 それと同時にシェンリルの座っているところから波面のように火が地を這って周りに拡がった。近くの草や木に燃え移り、あたりはすぐに昼間のように明るくなって、中心の少女を照らし出す。

 無意識に魔法を使っていたことに気づき、シェンリルは慌てて止めようとした。


「あれ? あれ?」

 シェンリルは何度も何度も腕をふった。しかし火は消えることはなく、むしろ一層勢いを増したように思えた。シェンリルの声に焦りがにじむ。


「どうして消えないの!どうしよう! 誰か……誰か助けてよ」

 必死なシェンリルの思いとは裏腹に火はどんどんと広がっていく。


「もう帰りたいよぉ……」

 何度もかすれて小さくなった声で嘆いたとき、爆ぜる火の合間から枝を踏みしめる音が聞こえた。

 何かが近くにいる。自分を狙いにきているのだ。疲れきった体に鞭を打ち、腰を浮かせる。暗闇の中、恐怖で眼だけが左右に揺れた。


「ひっ……」

 足音は近づいてくる。すぐ近くまできたかと思うと、目の前の草がガサガサと揺れた。

 間に合わない。襲われるのを覚悟し、背中を向けてしゃがみ込み、目をかたくつむってその瞬間を待った。


 しかし、来ると思った痛みはやってこない。獣の唸り声なども聞こえず、火が爆ぜる音だけが響いている。


 何が起こっているのだろう。

 シェンリルは恐る恐る目を開けて、後ろを振り向いた。


「やっと、見つけた」

 見えたのは少しかがむようにして、こちらに手を差し伸べているエルの姿だった。自分が最後に見かけた時と違う服装なのではないかと錯覚するほど、ぼろぼろになって。


「え……」

 なんで、なんでとシェンリルはパニック状態になる。エルの顔をじっと見るだけで、動くことができなかった。


 怖い。そう思った途端、周りに拡がっていた火が中心に集まってくる。二人の周りを取り囲み、エルの足元やコートの近くで踊る。意思を持ったように暴走する炎はシェンリルすらも襲おうとしていた。


「帰ろう?」

 今度は困ったような声色で、エルは言う。


 エルの服は破れたり汚れたりしているだけではなく、所々焦げていた。火をくぐり抜けてここまでやってきたのだ。今もそんなエルの服に炎の先端が触れている。

 このままいけば、怪我をしてしまう。


 シェンリルは火には慣れているつもりだ。家族はもちろん、メイド、執事も日常的に火を使う。初めてだった、こんなに火が怖いと思ったのは。

 制御できない火は、二人を囲んで輪を狭めていく。

逃げなきゃいけないのは分かっているのに、シェンリルの体は恐怖で動かなかった。涙で目の前のエルの姿が滲んでいく。


 最初に動いたのはエルだった。

 突然コートのポケットに手を突っ込み、そのまま何も言わずにシェンリルに花を差し出した。


 握られていたのはしんなりと首をもたげる花だった。

エルはその花を悲しそうな目をしてじっと見つめると、指を三本たててシェンリルの前に出した。


「三秒だけ、目をつぶって」

 目を細め、落ち着いた声で話すエルのいう通りに、目を瞑る。


 心の中でゆっくりと1、2、3 と数える。数えながら心臓の音が落ち着いていくような気もした。


「なん……で……?」

「花、途中で全部落としちゃったんだ。ごめんね。代わりになるかはわかんないけど」


 溢れんばかりに花が盛られていた。あの時、シェンリルがエルに渡した籠に。しかし、その花には色がついていなかった。

 折れそうなほど細い茎に透明な花びらが何枚もついている。氷の花だ。キラキラと光を通し、シェンリルの前で輝いていた。


「すごい! きらきらしてる……」

 シェンリルはその美しさに目を奪われた。


「すぐ溶けちゃうと思うけれど、約束通り花は集められなかったからそのお詫びにあげる」

「いいの?」

シェンリルがエルの言葉に顔を輝かせると同時に、赤々と燃えていた炎も徐々に力を失って行った。


「帰ろう。マティアスもルクシェルさんも心配してるよ」

「はい……。あの、その、ごめんなさい」

 シェンリルは立ち上がり、恐る恐るエルに謝った。


「なんで謝るの? こっちこそ早く見つけてあげられなくてごめんね」

 ちっとも責めるような口調でないことにシェンリルは驚いた。シェンリルは自分がエルのことを迷子にさせようと思っていたことがばれていないのではないかと期待した。もしそうならば……と考えたところで、横を歩くエルの顔を盗み見る。


 前を向いていたエルだが、シェンリルの視線を感じたのか横を向いたため、目があった。


「どうしたの? 」

 消えゆく炎に照らされながら、こう言ったエルはゆっくりと口角を上げた。

「ひっ……!」

 喉の奥で声を飲み込み、思わずシェンリルは後ずさる。


 まだわずかにくすぶっていた炎に照らされたエルの顔を見てシェンリルは悟った。

全部わかっていたんだ。すべて気づいていた上での行動だった。生かすも殺すも、気分次第。自分は彼の手の上で転がされていただけ。今回はたまたま許しただけなのだ。二度目はない。

 シェンリルはすべてを一瞬で伝えるのに十分なほど恐ろしい、エルの笑みを見たのだ。どんな人の顔でも、下から光を当てれば怖くなる……そんなことには大事件で頭がいっぱいだったシェンリルには考えのつかないことだった。



  ♢♢♢♢♢



「乗って?」

 しゃがんで、こちらに背中を向けてくるエルに戸惑うシェンリル。

 合流できたのはいいが、帰る道もわからない。そんな中、たどり着いたのは森の中のおおきな湖だった。


「乗るんですか?」

 そう、と頷くエルの背中に覆いかぶさる。ヨロヨロとエルが立ち上がり、シェンリルをおんぶしたままおぼつかない足取りで歩き出した。


「あのー、降りた方がよろしいのでは?」

「全然大丈夫だから。籠は持っててくれる?」


 全然大丈夫という割には左右に体が揺れているし、歩みも遅い。しかし、エルの中にシェンリルを降ろすという選択肢はないようなので、代わりに籠を手をしっかりと握りしめた。先ほどとは打って変わってあまりにも頼りない姿だ。

エルという存在はシェンリルにはまだつかめそうにない。


 ヨタヨタとエルは進む。正直体は疲れきっているので、おぶってもらうのはあり難い。

 しばらくして、シェンリルはエルの進む方向がおかしいことに気がついた。


「エル様? そちらに進んだら落ちます! 湖ですよ!」

 もう足元に湖が迫っている。必死に声をかけるが、エルの反応はなかった。背負われているので、顔も見れない。


 落ちる! と覚悟したシェンリルだが、予想に反して体が投げ出されることはなかった。


「え? え?」

 先ほどから自分ばかり泣いたり驚いたりしてるなと思いながらも、驚きの声を隠せない。同世代の中でも、大人びているシェンリルはそんなことを思うのは初めてだったが、湖の上を歩いているのを目の当たりにしてびっくりしないはずはない。


「やっぱり、迷子になったときはさ……」

 エルの踏み出した足元から亀裂を入れながら湖が凍っていく。それは信じられない光景だったが、エルは全然関係ないことを口走り始めた。


 やがて湖の中央に辿り着く。その頃には湖の氷はすべて凍っていた。エルは言葉を失っているシェンリルをとんと降ろす。


「その場から動かないのが鉄則だけど」

 シェンリルはどういうつもりなのか分からず、じっとエルの話に耳を傾ける。


 エルが凍った水面を見たと思った瞬間だった。


「きゃああ!」

 シェンリルの体は物凄い勢いで上に押し上げられて行く。水は中心に集まって自分たちの立つ場所を上へ上へと持ち上げていたのだ。


 遠かった空がどんどん近くなる。



「それじゃあ、気づいてもらえなさそうだしね。高いところから見れば、マティアスたちも見つかっ……たね?」

 へたり込みながら下をみると、なるほど。確かに森じゅうに散らばったいたらしい松明の光が、四方八方から列をなしてこちらへ向かっているのが見えた。

 いなくなった自分たちを探すためにこんなに数を集めたのだろう。想像以上に大ごとになっていたのだ。


「これならすぐ気づいてもらえそうだね。良かった、良かった」

 嬉しそうに言うエルに、シェンリルはようやく聞きたいことを口にすることができた。


「これは、何なのですか? 水が凍って、持ち上がって!」

 興奮するシェンリル。


「魔法だよ。便利だよね。今まで飲み物作るぐらいにしか使い道がないと思ってたんだ。でも、これからは人探しにもつかえそうだから、迷子になっても安し……」

「なんですって!?」




「エル様! シェンリル!」


「いいですか! 魔法というものは始神がいらした時代から今まで伝わる神聖な力なんですよ。それを飲み物冷やすために使うなどということは…… 」


 マティアスをはじめとする捜索隊が湖に到着した時、魔法の使い方を間違えているとシェンリルがエルに噛み付くように話して聞かせている真っ最中であった。


「マティアスお兄様……」

 シェンリルもようやく口を閉じ、エルが助かったという顔で振り返った。


 しかし、今度はマティアスが怒り始める番だった。


「すごく心配したんですよ! 仕事の途中に報告を受けて、どれだけ探し回ったことか。どこかに誘拐されたのかと思って、もう少しで可能性のありそうな奴らを殺してまわるところでした! 一体何があったんですか? きちんと説明してもらいますよ!」

 余裕のなさが窺える口調でマティアスはまくし立てた。


「お兄様……あの、私が」

 シェンリルはすべてを話そうと思った。話し終わった時には軽蔑されるだろうとおもったけれど。


 しかし、シェンリルの言葉はずいと前に出てきたエルによって遮られる。エルはマティアスに向かい合って、話し始めた。


「マティアス、心配かけてごめん。僕がシェンリルちゃんを誘ったんだよ。森に行きたいってさ。でも、途中に迷子になっちゃって、日も暮れて…… 勝手に出て行ったのはすぐ帰ってこようと思ってたからなんだ」

「えっ……」

 戸惑いの声あげさせまいとしているかのようにまたすぐにエルは喋り始める。


「だから見つけてくれて本当に助かったんだ。シェンリルちゃんも探してくれたみんなに一緒にお礼言おう」


 後ろを振り向いて目線を送ってくるエルに気圧され、シェンリルは曖昧に頷いた。

 まだ話は終わっていませんよと言い残したマティアスが一瞬離れた隙に、シェンリルはエルに問いかけた。


「どういうことですか! なぜ嘘をっ」

 エルが嘘をつく必要はどこにもないのだ。お兄様に正直にいえば、それで話は終わる。


 感情を露わにしたシェンリルに、

 エルはしぃっと人指し指を口に当てて小さな声で言った。


「いいから。こうした方が怒られないと思うんだ。だから、僕の言う通りに今日のことは秘密にしておいて。お願い」

「意味がわか……」

 途中で、用事を終えたらしいマティアスがエルを呼んでいる声が聞こえてきた。

エルはシェンリルのポケットに手を突っ込むとマティアスのもとへ行ってしまった。


「ごめんなさい。でも、よく考えたら小さい頃一度も外で遊んだことなかったから、どうしても森に行ってみたかったんだ」

「うっ……確かにそれはそうですけど……確かに……」

 エルにそう言われてしまえば、マティアスは言い返すことができなかった。


 その様子をぼんやりと見ていると、いつも面倒を見てくれているメイドがやってきて、汚れたコートなどを交換してくれる。


「秘密にしてくれる代わりに、プレゼントがあるんだ。余り高くないものだから気に入らないかもしれないけど、良かったら使って。その花は溶けちゃうからね」

 シェンリルはエルが去り際に自分にだけ聞こえる声で言った言葉を頭の中で反芻していた。

 なので、マティアスに心配かけたのは悪いと思っているけど、早くご飯食べたいんだよね。お腹空いたし。と言って去って行ったエルの言葉も、心配しているメイドの言葉もすべて上の空で聞いていた。



 暖かいマントの下に隠れそうになる籠にそっと目を落とす。ポケットから取り出したピンクの花は暗闇の中で、キラキラと輝いていた。


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