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第三王子エルメル  作者: せい
初等部編
46/49

5-6 いつか王子様が(1)

 

凍りつくような寒さが和らぎ始めた頃、学園初等部は長い休みを迎えていた。

 大量の課題を持たされた生徒たちはそれぞれの家で春を迎える。

 エルは王都からウエストヴェルン家本邸に移動し、休みの後半を過ごしていた。


「暇だな」

 窓際の椅子に力なくもたれかけ、手の甲を額においた。閉じた目はじんわりと熱く、それでようやく目を酷使していたのだと気がつく。

 今、広い部屋にいるのはエルだけだ。


 マティアスはルクシェルさんに引きずるようにして連れていかれ、仕事を手伝っている。エドナは買い出しに行っているし、本邸までついてきたレオニートはデートとか言って、エドナのストーカーをしているところだろう。

 リチャードさんは神出鬼没で、居場所がわからない。それにリチャードさんに構ってと頼んだら、何をしてくれるんだろうか。気になるが、知りたくない。


 さっきまでいた机の上には何冊もの本が積み重ねられている。休みの課題に、それに使う資料、屋敷にあった参考書。課題はさっき終わった。頑張ったし、出来もまずまずだろう。


 はやく終わらせようと課題をやっていたのだが、いざ終わってしまうと他にやりたいことが見つけられなかった。先の予習をしてもいいが、できれば遊びたい。疲れた頭をこれ以上使いたくなかった。


 ……今までなにして時間つぶしていたんだっけ。

 携帯、テレビ、ネット、ゲーム、漫画。毎日やらなければならないものをないがしろにしてまでやっていたものがここには何もない。あっちでは毎日を追われるように生きて、暇な時間など全然なかった。この世界に来て、ぼーっと空を見ながら考えごとをする時間が増えたように思う。

 

「ほんと、暇……」

 この世界の娯楽は少ない。それでも、前にマティアスがカードゲームやボードゲームはあると言っていた。トランプとは違うだろうが、今度教えてもらおう。覚えてみんなで遊ぼうと誘ってみよう。


 色々と考え、ああこうやって俺はこちらに馴染んで行くんだなと思いながら柔らかな椅子に腰を沈めた。


 そこでドアをノックする音が聞こえた。マティアスが仕事から解放されたのかもしれない。慌ててだらしない座り方を直して、どうぞと返事をする。

「エル様、シェンリル様からお話があると伝言を承っております。もうじきこちらにいらしゃいますかと」

 本邸にいたときに見たことがあるメイドさんはそう教えてくれると一礼してすぐに出て行ってしまった。


 シェンリルちゃんがこの部屋にくる? あれからずっと俺を無視し続けているシェンリルちゃんが?

 告げられた言葉を何度か頭の中で反芻し、椅子から落ちるように立ち上がった。


「なんで? どうしよう。とと……とりあえず着替えなきゃ」

 今日は一日部屋にいる予定だった。だから今俺が着ているのは思いっきり部屋着だ。

 こっちにきてから異様に着替えの回数が多くなった。朝起きたら着替え、昼に着替え、夜に着替える。前に一度、今身につけているような服で出かけようとしたらマティアスとエドナに止められた。外出着はまた別らしい。


 そんな風習があるのに、部屋着でシェンリルちゃんを迎えるわけにはいかない。俺にはよくわからないが、すごく失礼なことかもしれないし。


 着替えよう。そう思って、隣の部屋に駆け込んだ。走りながらボタンをぶちぶちと外して、脱ぎ捨てる。普段は手伝ってもらい時間がかかる着替えも、久しぶりに誰もいない場所で行えば驚くほど早く終わった。服を点々と落としてたどり着いた先、普段は触らせてもらえない大きなクローゼットを開け放つ。


 中にはずらりとハンガーにかかった服が並んでいた。

「くそっ! どれならいいんだ?」

 服を見ても、どれが今の状況に適した服なのか判断できない。しかも最悪なことに背が低くてハンガーに手が届かなかった。


 マティアスだ。マティアスなら余裕で届く。こちらは身長に難ありなのに、神は彼に二物も三物も与えてしまった。

 やり場のない怒りを抑えて、どうすればいいか考える。いつシェンリルちゃんが来てもおかしくない。今の姿を見られたら、彼女に一生口を聞いてもらえないだろう。

 椅子を持ってくる時間も惜しいと思った俺は服の下の部分を鷲掴みにし、腕を思いっきり上げてジャンプする。うまくハンガーが外れたのはいいが、大量の服が顔にかぶさり、そのまま後ろに倒れこんだ。


「いてぇ、腰打ったな。服はこれか? いやこれ? どれも一緒だろうが。あーもう。これでいいや」

 痛む腰を摩り、絨毯の上に散らばった服を物色する。マティアスの名誉のために言っておくと、俺からみると似たような服でも決して同じではない。

 冬だからしっかりした生地のものを着ようと適当に手にとったやつに袖を通す。パリッと糊の効いたシャツのボタンを止め、カーディガンを羽織った。下は半ズボンしかとれなかったので、並べてあった茶色のブーツを履く。


 床の服を両手一杯に拾い上げると、ばさっとベッドの上に放り投げた。一枚一枚しまうことができないので、あとで自分で片付けよう。


「あとは……そうだ、部屋! 部屋が汚い!」

 バタバタと慌ただしくさっきまでいた部屋に戻った。なぜか今日に限って入って一番目の部屋で作業をしていたのだ。プリントやら本やらをかき集めてまたベッドの上におきにいく。


 その作業を何度か繰り返し、ようやく最後の本を片付けた時に扉がノックされた。


 できれば紅茶なんかも用意した方がよかったのかもしれない。そんなことを思いながら、シェンリルちゃんを迎えに部屋に戻っているときだった。


 焦って前しか向いていなかった。何者かに足を引っ張られ、前につんのめる。捕まるところが見つからない両手が踊り、ガクンと落ちた顔と絨毯の距離が近くなる。


 そう、ドアノブが回される音を聞きながら俺も部屋の中で回っていた。見事な一回転だ。

 なんて最悪なタイミングなんだ。無様にこけた姿で出迎えることになるのか。



 シェンリルちゃんの赤い髪が部屋を覗いた。

「失礼いたします。少しよろしいかし……ら?」

「どうぞ」

 震えた声を発した俺は床に倒れるでもなく、頭を打ちつけるのでもなく、椅子に座ってシェンリルちゃんに向かい合っていた。

 何を隠そう。運良く、回転した先には椅子があったのだ。そして、その後すぐに足に絡みついたコートを拾い上げていた。ファーがついたもこもこのコート。うっかり落としていたこれに引っかかって転がったんだなと思いつつも、必死に何もありませんでしたけどという顔をした。



「突然の訪問になってしまってごめんなさい。私、エル様に頼みたいことがあるんです」

「うん……かまわないよ。頼み事は何? 」

 手の中のコートを弄ぶ。初めてまともに口をきいてもらえた。俺より年下らしいが、随分しっかりした口調だなと思う。見た目は年相応だけど、大人びているのは貴族として生まれ、恵まれた生活の分周囲から求められていることも多いということだろうか。社交界というものも存在しているらしいし、屋敷には毎日シェンリルちゃんの習い事の先生が出入りしていた。


「これです」

 目の前に木のつるで編まれたような籠を差し出される。


「お兄様に差し上げるお花を森で摘みたいんです。手伝ってもらえません?」

「マティアスに?」

 唐突な話に瞬きをして問い返したが、シェンリルちゃんは何も言わずに、そっと俺に向かって籠を押し出すだけだった。


「今日も外は寒いです。まぁ、そのコートなら暖かいと思いますけど。それでは私はエントランスで待っておりますから」

 俺が持っているコートを一瞥したあとさっと身を翻して去って行くシェンリルちゃんの動きは余りにもスマートで、口を半開きにして見送ることしか出来なかった。


「えっ…… 」

 一人残された部屋で、籠とドアを交互に見やる。

 どうして、急に俺を誘ったんだろうか。歳が近いから? やっぱりマティアスのことが好きというのは本当なんだなと思いつつも、めげずに挨拶をしたことが報われたのかもしれないことは嬉しかった。


「待たせるのも悪いし、行くか」

 コートをばさりと広げて着ると、襟元についたファーがくすぐったいほどに頬を撫でる。

 マティアスに伝言はいるだろうか。

 シェンリルちゃんはきちんと防寒対策をしていたし、きっと誰かに俺と一緒に出かけていることを伝えているだろう。それならマティアスの耳にも入るはずだ。


 部屋を出る前、俺はしばしドアの前で立ち止まった。一度引き返すと、上から二番目の棚にそっと手を伸ばして、コートのポケットに手を突っ込む。


 そのまま俺は歩き出した。

 今日なら、できる気がする。


  ♢♢♢♢♢



「シェンリルちゃんは学園通ってるんだよね。次は三年生になるんだよね?」

「ええ」


「じゃあ、僕は今度五年生だから……二歳差かな」

「三歳差です」


「そうなんだ! 僕より年下なのに言葉遣いしっかりしてるね」

「このくらい当然です」


「そっかぁ……」

 ザクザクと落ち葉を踏みしめる音がやたらはっきりと耳に響く。さっきからずっとこんな会話というにはお粗末すぎる言葉のやり取りをしながら、森の奥へ進んでいた。


 まだ昼間だが、散っていない木の葉が光を遮って少し暗い。木の根に躓かないように、迷うことなく歩くシェンリルちゃんについて行く中、めげそうな自分を叱咤していた。

 そんなつもりはなかったにしても、マティアスは昔から俺の面倒を見てくれていたことは事実だし、お兄ちゃんを取られたと思われても仕方ない。でも、今日はこうやって誘ってくれた。きっと、仲良くなれる。


「私は欲しいのはあの花です」

 森のずっと奥で、ようやくシェンリルちゃんは立ち止まった。

「この赤い花?」

「ええ。これで籠一杯に」

 足元には花びらをいく枚もつけた赤い花が二輪咲いている。


「籠一杯かぁ……。あんまり一箇所に咲いていないから時間かかりそうだね」

 少し離れた所にポツンポツンと咲いているが、そこにも数輪しか見えない。籠二杯分となると結構な作業になりそうだ。

 シェンリルちゃんよりも沢山摘もう。そんなことを思いながら、見つけた花に手を伸ばした。僅かな抵抗があった後、ぷちんと茎が千切れる。

 横を見ると、シェンリルちゃんもせっせと花を集めていた。コートからはみ出たスカートが地面についてるのも気にならないようだ。森も慣れてたし、外で遊ぶのが好きなのかもしれない。意外な一面を見た気がした。


 籠にいれ、またフラフラと歩いて次の花を探す。

 周りに花が見つからなくなったら、シェンリルちゃんに声をかけて移動する。そして、またバラバラに地面に目を泳がす。

 それをただひたすら繰り返した。


 籠の三分の二ほどの花を摘み終わった頃だった。

「ねぇ、これって……」

 ずっと下を向いていたため痛む首を気にしながら、声をかけた。少し離れたところに見えると思っていたベージュのコートの後ろ姿は何処にも見えななった。


「シェンリルちゃん? シェンリルちゃん?」

 だんだんと声は大きくなり、焦りを帯びて行く。さっきまで慎重に歩いていた地面を踏みつけ、何度も同じところを回った。二人で別れた所を中心に段々と円を広げても見つからない。ずっとお互いの姿は見える位置にいたのに。


「いない……」

 空は赤く染まり、森は夕暮れを迎えようとしている。

 力が抜けた俺の手から赤い斑点のついたキノコがかさりと音を立てて地面に落ちた。



「俺のせいだ。俺がしっかりしてなかったから。どうしよう。どうしよう。どうしよう」

 影が長くなるにつれ、一歩一歩がはやくなっていく。歩いても歩いても、シェンリルちゃんに会えない。

 どうしようとうわ言のように繰り返す。それでも、状況は変わらない。俺が目を離したせいで、シェンリルちゃんを迷子にさせてしまったという事実が胸の鼓動を不自然に高めるだけだった。


「あ…… そうか。こんなに暗くなるのか」

 日が暮れた。森を照らし出していた存在が沈み、赤かった世界が暗闇に。ぽっかりと浮いたような感覚に陥ったのに驚いて、慌てて近くの幹へ手を伸ばした。

 思えば、こんな時間に外にいるのは初めてかもしれない。いつもならみんなで食事をしている時間だろうか。電球もお店のイルミネーションもない、森の奥の想像を超える暗さと、寒さに身を震わせた。


「シェンリルちゃん!」

 この闇の中、木の根が張り巡らされた森を歩くのは難しい。でも、前に進まない訳にもいかなかった。年上の自分の責任だ。遠くで響き渡る獣の遠吠えが聞こえ、前も後ろも分からない中、どんな気持ちでいるだろう。右手で木の肌を確かめつつ足を進めた。



  ♢♢♢♢♢



 闇に目が慣れて両足が痛みを訴えるようになっても、まだエルはシェンリルちゃんを見つけることが出来ていなかった。躓く度に地面についた手や足が汚れる。はじめは一々払っていた泥も、だいぶ前にその労力を歩くことに使いはじめたため、心身ともにボロボロになっている。

 悪い視界はエルの体力を削っていく。それでも籠を握りしめる手だけは離さなかった。


「シェンリル……ちゃん?」

 何度目になるかわからないほど同じ名前を叫んだ時、急に前が開け、頭上には淡い光を放つ月が見えた。


「ここは前にきたところか。この湖、見覚えがある」

 知っているところに出たというだけで心に余裕が生まれた。まるで吸い寄せられるように巨大な湖に近づく。


 籠を傍におくと、かくりと膝を折って湖を覗き込んだ。泣きそうな顔の自分がこちらを見ている。惨めな自分から目をそらしたい。逃げるように籠に顔を向けた。

 ……籠の中には数枚の花びらと二本の花しか残っていなかった。何度もこけて、その時にほとんど落ちてしまっていたのだ。


「はは。何やってるんだ、俺。全然ダメじゃん。迷子にさせちゃったあげく、肝心の花はなくしちゃうしさぁ……ああ、もう。ほんと何やってるんだよ……」

 乾いた笑い声はすぐに消えた。


 情けない。乱暴に花を掴むと、湖に向かって思い切り投げた。

 だが、あまりにも軽い花は遠くへは飛ばない。波紋を作りながら手前の水面に浮かんだ。


 やがて水中に潜り、エルが見ている中逆さまにゆっくりと落ちて行く。真っ暗な湖底へ。


 思わず手を伸ばして、花を掴んだ。くったりと頭をもたげ、茎から雫が落ちる。花を握りしめ、なぜだがホッとした。



 その時、湖が真っ赤に色づいた。

「山、火事?」

 顔をあげると、奥の森が燃えている。そこだけ昼間のように明るくなっていた。


 幻想的な風景に心奪われたのは一瞬で、すぐに籠を握りしめて、花を握りしめて立ちあがる。

───あそこにシェンリルちゃんがいるような気がする。


俺は迷わずに走り出した。


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