5-3 度胸試し
学園に通い始めて一週間ちょっと経ったある放課後のことだった。学校のある生活にも慣れ始め、声を交わす友達も少しずつ増えている。
「エル!一緒に帰ろう」
「うん」
いつもと同じようにレントと共に帰ろうとしていた。帰るといってもレントとは帰り道が異なるので、校門の前で別れてしまうことになるのだが。
「エルくん、少しお話があるので、前にきてもらってもいいですか?」
教室を出ようとしたところで、サリル先生に呼び止められた。
「はい。分かりました。レント、ごめん。ちょっと先行っててくれる?遅くなりそうだったら、先に帰っていいから」
先生に返事をしてから、隣のレントに謝る。レントは先生と俺を交互に見た後、ドア近くの誰かの机に荷物を降ろして言った。
「いや、俺はここで待つよ」
「ありがと」
クラスで友達は増えたものの、俺が行動を共にしている相手は大抵レントだった。何かテンポが合う。そんな風にしか言い表せないが、一緒にいるととても楽なのだ。
「エルくんの入学試験の結果を見せてもらったんだ。試験の点数は素晴らしく良かったんだけど、魔法の方の点数が分からなくて。提出する書類に書かなくてはいけないから、属性だけ教えてもらえないかな。お家から出してもらったプリントも空白だったんだよ」
「えっーと、僕は多分土です」
やっぱり点数ついてなかったのか……。土で通したい今ならそれでいいんだけど、あの時のことを思い出すと微妙な気持ちになる。先生に不信がられないように新しい属性を答えた。
「 多分……? そうですか、わかりました。まだ不確かなものでもかまわないので書いておきますね。それともう一つ。最近君を飼育係にして欲しいと言ってくる生徒が沢山いるんだ。みんな理由は言わないんだけど、適任だから係りに加えて欲しいって。どうだろう。君さえ嫌じゃなければやってみないかい? 」
「飼育係ですか……。ぜひやってみたいと思います」
やるのは全然変わらないが、沢山いたってどういうことだ。そんなに生き物が好きそうな顔してたのだろうか。そう考えると恥ずかしい。確かに俺は毛が生えた動物は好きだ。昔も飼育係をやっていた。しかし、実際俺が世話をしなきゃいけなかったのは金魚、ザリガニ、カマキリ、カエル。ヤゴにグッピー、蚕。うねうねと蠢いていた白い虫が繭を作り、中から出てきた時、俺は飼育係を辞任した。限界だった。
あの反省を生かして、俺はもう一度挑戦してみようと思った。この教室には水槽も虫かごも見当たらないから、昆虫の類を押し付けられることはないだろう。
「 悪いね。それで、今日早速活動があって…… 」
「 別に大丈夫ですけど…… 」
せっかく待っててくれたレントに申し訳ないなと思った。誰かの机に落書きをしているレントをチラチラと見ると、先生は事情を察したようだった。
「レントくんのことなら平気だよ。彼も飼育係だからね 」
「ちっ! ばれたか 」
俺たちから少し離れたところに座っていたレントがため息をついた。話はしっかり聞いていたらしい。まさかこいつ、係りの仕事をなかったことにして帰ろうとしてたのか。
このクラスでいる期間もあまり長くないし、君には係りを割り振る予定はなかったんだよと言う先生。別にいいんですというと、先生に褒められる。
「君みたいな子が入ってきてくれて嬉しいよ。僕は今から職員会議があるから、エルくんは連れて行ってもらえるかな? 飼育係のレントくんに」
そう言って、にっこりと笑って念押ししながら教室を出て行った先生に、隣のレントは小声で悪態をついていた。
♢♢♢♢♢
「 あー! きたきた!」
中庭にはすでに同じクラスの生徒が集まっており、俺たちを見て手を振っていた。それだけだと普通の飼育係みたいだが、見た目がどこかおかしい。
それはきっと、あたりに置かれた沢山の箱のせいだろう。真新しい木々を組んで作ってある箱が山のように積まれているのだ。
そして、その向こうには矮鶏くんがどっしりと座って微睡んでいる。
「待たせてごめん。何やればいい?」
何をすればいいかかわからなかったので、先に矮鶏くんを遠巻きに見ているクラスメイトの一人に話しかける。
「そうだねぇ。レントもエルも来たし! これの芯取ろうか!」
「芯?」
「あいつのご飯は果物だからね」
そう言って、その子は箱の蓋に手を掛けた。蓋をずらすと、中には果物がぎっしりと詰まっていた。
散らばっていた生徒が腕まくりをして集まってくる。作業を始める準備のようだ。俺も袖を汚さないように、みんなを見習って袖を数回折った。渡されたナイフと果物を手に取る。
みんなが黙々と果物と格闘している姿は飼育係というよりむしろ、調理自習をやっているかのようだった。
「終わったー!」
誰かが叫んだ。あたりには甘ったるい匂いが広がっている。互いに果汁で手や顔をベタベタになっているのを見て笑った。
足元にはくり抜かれた芯が幾つも転がり、その中には時々疲れ果ててぶっ倒れた子どもも混じっている。
大量の果実は全員で手分けをしても、相当な作業だった。初めは口を動かしながらやったから持ったものの、作業に手中するにつれて言葉少なになっていった。今は彼方此方からもう明日は何も持てない!という声が上がっている。
作業が終わったのを見計らったかのように、ヨロヨロしている俺たちにところに先生がやってきた。
「仕事が入って遅くなってしまった。そうか、終わったのか。みなご苦労」
声をかけながらこちらにやってくるを先生をもう一度見た。俺の入学試験の魔法のテストをしたやつだった。またあの時のことを思い出して、イライラしてくる。
しかしここで文句を言っても仕方がないので、気を紛らわせようとしていると隣の子に話しかけられた。
「他の先生の時だと一緒にやってくれるのに、あいつはいつも何かと理由をつけて遅れてくるんだよ。汚れたくないからわざと仕事入れてんの」
嫌われているといった言葉の通り、周りはまたかと言った顔で先生見ていた。当の本人はその視線に気づいているのかいないのか、一仕事終えたような満足げな表情を浮かべている。
「今から、鎖を外すの?」
思っていたより大きい声が出てしまい、隣の子に聞くだけのつもりが注目を集めてしまった。先生が俺の方を見て、バカにしたように笑った。
「君、そんなこと出来っこないよ」
この足枷は王宮から専門の騎士を派遣してもらっているんだからと言って、先生は無理無理と鼻を鳴らした。
専門家を呼ぶなんて、どれだけ複雑な鍵なんだろう。
「じゃあ、散歩は? ずっとあそこにいるんですか?」
「ああ、そうだ。餌だって遠くから投げていれば、勝手に食べる。王家から直々預かっている獣だから、芯をくり抜いたりとわざわざこんな面倒くさいことをしているだけだ」
次第にお喋りが止み、俺と先生の会話に皆の意識が集まる。
「遠くから、投げる……?」
「あんな動物には誰も近寄りたくないだろう!この間鎖を引きちぎって、暴れ」
「分かりました! もういいです」
当たり前だと言わんばかりに胸を張った、先生の言葉を遮った。
「そうか。それなら……」
次の指示を出そうとしたところで、先生の名前を遠くから呼ぶ声がした。
「なんだ! いいか、少し待っていろ」
「はぁい」
緊急の用事なのか、呼び声は何度も繰り返された。先生は舌打ちをして、渋々と去って行く。
その場には生徒だけが残った。
「あいつ、もっと広いところ歩きたくないのかな……。鎖がなかったら……」
気まずく重い雰囲気の中、俺は矮鶏くんを見ながらポツリと呟いた。前よりも、鎖の長さが短くなっていることは明らかだった。あれじゃあ、本当に全然動けないじゃないか。
「それはみんな思ってたけど、危なくて近寄れないんだよ。すごく暴れるし」
「でも、エルならできるんじゃない? この前のを見て、エルを推薦したってことはみんな考えていることは同じ。ようは誰も怪我しなきゃいいんだろ」
「でもどうやって!」
「別に先生なんていなくたって、鍵はあるし」
あっけらかんとしたレントの声がして、俺と同じように俯いていた子が同時に顔を向けた。
「レント、それ……」
もしやと思って、レントが手に持っているものを指差した。
「じゃーん! 先生のポケットからとっちゃった! あいつの腰、ガラ空き」
あははと楽しそうに笑って、レントが人差し指にかけてクルクルと鍵を回す。鍵同士が何度もぶつかり合って、金属音を立てた。
「すげー! さすが、レント」
「確かにエルになら出来るかも」
「でも、やっぱり危ないんじゃない? 怪我なんかしたら……」
「今まで誰も……なかったのに、俺らの代で……」
皆、口々に自分の意見を述べ始める。
それは賛成だったり反対だったりするようでいつまでも議論は収束を見せなかった。
それを見兼ねたレントが声を張り上げた。
「よーし、わかった! ここはエルに決めてもらおう。あいつの足枷を外して暴れないようにさせられるか。この場合餌と水を置いて、ついでに掃除もできる。それか先生が帰ってくるのをまって、餌を投げるか。あいつが監督の時はいつもそうだ。あの先生、怖くて転がす距離まで生徒を連れていけないんだよ」
一斉に俺に注目が集まる。視線だけで焦げてしまいそうだ。
「えっと……」
口を開くと、俺を見ているレントが緊張したように何度か瞬きをする。何故だか、俺の心臓まで鼓動を早くしている。
「鍵って、挿して回すだけ?」
レントの持っている鍵の形状を見て、思ったのだ。騎士団を呼ぶほど、複雑な鍵じゃないんじゃないかって。
「はぁ? 悩むところそこかよ」
俺以外の声が綺麗に重なって返ってきた。みんな
何かおかしいことをいっただろうか。
♢♢♢♢♢
金具が回る音がし、鍵がはずれる。
遠くで見守っていたクラスメイトのツバを飲み込む音が聞こえてきそうだった。呆れたよう説明された通り、本当に何の仕掛けもないただの鍵だった。
足枷を持って、取れたよと合図すると皆が飛び上がって喜んでいるのが分かった。
「よし、向こうにいってような 」
先生が戻ってくるまでの時間は限られているので、予定通りすぐに俺は矮鶏くんとその場所から離れた。
それと同時に一斉にブラシや果物を持った皆が、元々矮鶏くんがいた場所へと走る。
「暇だな~ 」
大人しくしている矮鶏くんに同じ場所に止まるように言って、手伝おうとしたが、全力で断られてしまったためやることがない。
近寄ったら、「 何でエルここにいるの!ほっんとに向こういってて。出来るだけ遠くに行ってて 」と言われてしまったのだ。
仕方なく遠くからみんなが楽しそうにキビキビと働いているのを眺めていた。
「餌でも一つもらってこようかな。お前、一人で待てるよな?」
頷く代わりにその場に座り込んだ矮鶏くんを確認し、箱の置いてある方へ向かった。
「あった、あった」
まだ箱に残されていた果実から、綺麗そうなのを選んでいたときだった。
「 ごっ…… ごめん!」
誰かが叫ぶ声がして、頭に水が降ってきた。雨じゃない、ホースの水だ。
周りに水を撒いていた時に誤って俺にかけてしまったらしい。
「 ごめん! 本当ごめん! 気づかなくて 」
ホースを放り投げて、謝りながら走り寄ってきた子を責める気にもなれない。
「 別にいいよ。気にしてないから 」
その子はまた謝って自分の仕事に戻って行った。俺ってそんなに存在感が薄いんだろうか。前にソラに言われたけど。
今回はフラフラしてたのがいけないってことかな。
矮鶏くんに癒してもらいに元に場所に帰ろう。果物を両手に持って、歩き出す。
「うっ…… 」
しかし、歩き出して数歩で問題が起こった。両耳に水が入ったのだ。実はさっきから片耳に入っていたのだが、もう片方もやられたらしい。ぼわんぼわんと耳の中が気持ち悪い。よりによって両耳になんて最悪だ。
そこで、向こうから男の子がずんずんと自分の方に向かってきているのが見えた。知らない顔だし、この子も飼育係なのかもしれない。俺も足を進め、彼の横を素通りしようとした。
「 おい!」
突然、乱暴に肩を掴まれる。どうも彼は俺に用があったらしい。
「 お前だな! 最近入って調子に乗っているエルとかいうやつは!」
ん……。何を言っているんだろう。耳の中でわしゃわしゃと水が動いて全然聞こえない。
エルというワードが聞こえた気がしたので、とりあえず頷いておいた。頭から水をかぶって両耳に水が入ったと初対面の人に言うのは恥ずかしかったし、もしかしたらなんとなく聞こえる単語で話を終わらせられるかもしれないと思ったのだ。それに人間、初めて会った相手には挨拶をすると相場が決まっている。
「うん。初めまして」
こう言っておけば間違いない。
「 たかが平民が調子に乗るなよ。怪鳥を手懐けたのだってマグレに決まってる 」
目の前の男の子は何か言いながらちらっととても遠くに座っている矮鶏くんを見た。
調子…… 鳥…… 手懐けた……。この単語をうまく文にしなければ。早くしないとと思う気持ちがさらに俺を焦らせた。
わかった。あのちらちらと矮鶏くんを気にしている感じ、君が最近仲良くなった鳥の調子はどう? と聞いているのか。もしかしたら彼は矮鶏くんと遊びたいのかもしれない。
しかし、俺は考え込みすぎていたらしい。俺の返事を待ちきれなくなった彼は先に話し始めてしまった。
「 無視するとはいい度胸だな。俺のこと誰だかわからないのか? 俺は高位貴族であるヴェレシナ家の!」
もうだめだ。何を言っているんだか全然わからない。早く耳から水を出したいし、ここは恥をしのんで正直に言おう。
「 悪いんだけど、何を言っているんだかわからない。今さ…… 」
「 な…… 」
男の子は俺の言葉を聞いて、プルプルと震えてた。想像以上に激しいリアクションに逆にこっちが動揺してしまう。
大変だ。これは耳が聞こえてない俺でも察することができた。彼はかなり怒っている。怒りながら泣くことってあると思う。まさにそんな感じだった。
忘れていたが、相手の子は初等部、小学生である。それに対して、こっちは本当なら高校生を卒業している年齢だ。一回りも歳が違う子供を泣かせるなんてまずい。
どうしようか考える。
そこで、一ついいことを思いついた。彼は矮鶏くんと遊びたいみたいだったし、これでなんとかなるかもしれない。
果物を握っていた手を差し出した。俺と彼の間に美味しそうな果物が現れる。
一緒に餌でもあげようかと誘おうと思ったのだ。
しかし彼はちっとも受け取ろうとしない。果物を差し出して促すと、顔を真っ赤にして俺を見た。照れているのかと思ったが、どうも様子が違う。
対応を間違えたか。
どうするべきか必死に考えをひねり出そうとしていた俺の目に入ったのは、矮鶏くんだった。
もうここは矮鶏くんを呼ぼう。
俺は彼に見えないように下げた手でこっそりと矮鶏くんに合図した。
( お願いだ! きてくれ )
必死な願いが通じたのか、矮鶏くんはすぐに気がついてこっちにやってきた。少年は俺と向かい合っているので、大好きな動物が今にも自分の背中を嘴でつつこうとしていることに気がつかない。
「 ぎゃああ!」
矮鶏くんが背後にいることに気がついた瞬間、彼は大きく口を開けて叫ぶと、逃げ出してしまった。それも驚くほど早いスピードで。
「 お前の家がどうなるか、覚悟しとけよ!」
そんな遠くで言ったら余計聞こえないよ。水を抜いたらもう一度話を聞きに行こうと思って、俺は去りゆく彼に笑顔で軽く手をふった。
でもそれは伝わらなかったようだ。遊びのお誘いを断られて機嫌を損ねてしまったのかもしれなかった。俺の顔を見るやいなや、走っていってしまったから。
会話の途中で、置いていかれた俺は耳の中の水を抜くことにした。彼との会話がこんなにうまくいかなかったのはそもそもこれのせいなのだから。
「 ちょっとつかまらせて 」
呼び寄せた矮鶏くんの体につかまり、頭を左右に傾けて何度かジャンプした。しばらくすると、耳がじんわりと熱くなった。
「ああ、スッキリした 」
「 エル~ 」
声がする方に目をやると、仕事が終わったらしいレントが走ってきている。
「 カールと何話してたんだ? あいつとお前、知り合いじゃないだろ?」
「うん。初めて話しかけられた」
彼は同学年のカールというのだとレントは教えてくれた。違うクラスだったから面識がなかったのだ。
「 あいつすごいわがままでさ。学園をやめさせられたやつがたくさんいるんだ。エル、何にも言われなかったか? 」
「ただ一緒に遊びたかったみたいだよ」
子どものいざこざんで学園に通えなくなるなんてことあるんだろうか。
「 は?あいつそんなキャラじゃなかったと思うけど。まぁ、大丈夫ならいいよ。入ったばっかなのにやめさせられるとか笑えないもんな 。あ、もうすぐ先生帰ってくるだろうから早く戻そうぜ」
「そうだね。ばれないようにこっそり鍵返さないと」
学園は楽しい。辞める気なんてさらさらない。心の中でそう呟くと、俺はさっさと歩き出したレントの後を追いかけた。
♢♢♢♢♢
その日の夜、ヴェレシナ本家の屋敷の一室。仕事をしていた小肥り男の元へ顔立ちのよく似た少年が走り込んで来た。顔立ちだけでなく、少々ふくよかな体は少年の食生活が充実していることを窺わせる。
「 父さん!」
「 なんだい、カール?」
「 エルって奴なんとかして! あいつヴェレシナ家のこと馬鹿にしたんだ!」
「 エル…… 初めて聞く名だね。何処の子だい?」
「知らないっ。それも調べて。あいつだけは、絶対に許さない」
何があったか聞く父親に、少年は顔を赤くして怒り始めた。
「俺には、獣の餌がお似合いだって! そのあと、獣を嗾けてきたんだ」
父親は学園に獣などいただろうかと思いながらも、子供に約束した。息子のいう獣が、王家が学園に預けた巨大な鳥のことだとは思い当たらなかった。
それも仕方がなかったかもしれない。遥か昔、“黄金時代”の生き物だと言われているその鳥は、騎士団も手を焼くほどだったために学園に隔離されていたのだ。一介の生徒のいうことを聞くはずがなかった。
「 わかった、わかった。すぐに調べさせるから今日はもう寝なさい 」
「 絶対だよ 」
少し落ち着きを取り戻した少年は、満足して帰って行く。父さんと呼ばれた男は目を細めて、跡取りであり息子が部屋を出て行くのを見届けると、すぐに指を鳴らし、指示を出した。
───エルという子どもの家を潰し、学園から追い出せと。




