5-2 紫炎の騎士様
落ち着いた家具で統一された部屋の中、学園に行く支度を終えて、じっとしているエルがいた。
「エル様、そろそろ出発のお時間です」
エル同様外出着に着替えたマティアスが声をかける。
「うん。……わかった」
浮かない顔で立ち上がったエルを見て、マティアスは困ったように問いかけた。
「どうかされたのですか? 具合が悪いのでしたら、学園に休みの連絡をいれさせましょう」
「違うよ。ただちょっと学園に行きたくないだけ」
ポツリとつぶやかれた主の言葉に、過保護な従者は動揺を隠せない。登校初日の昨日は嬉しそうに、正しくいうとあまり表情はは変わっていなかったがマティアスにはそう見えた、していたのに今日は明らかに気乗りしないでじっと俯いているではないか。
「何かあったのですか?ぜひおしゃってください。原因を今すぐ排除してまいります」
マティアスの頭の中に様々な可能性が浮かんでくる。
珍しい銀髪のことで何かトラブルが起きたのかもしれない。身分を隠すどころかどころか平民として編入しているので、どこかの貴族に目をつけられてもおかしくない。エルの希望でそうしたとはいえ、もっと目を光らせておくことは出来たのだ。
顔に出さないだけで、実は辛い思いをしていらっしゃったのかもしれないと考えて、マティアスは未熟な自分を責めた。
「行きたくないんだ、マティアスと一緒には」
「それでしたら、無理に行く必要はございま……もう一度おっしゃっていただいて構いませんか?」
マティアスは原因を排除する算段を立てながら自分の耳がおかしくなってしまったのかと、エルに聞き返す。
「今日からマティアスじゃなくて、エドナと一緒に行く」
言いにくかったことを言い、気分良く部屋を出て行こうとするエルの横で、マティアスは衝撃のあまり言葉を失っていた。
「お待ちください、な、なぜですか!」
しばらくして現実世界に戻ってきたらしいマティアスは鞄を肩にかけ、出かける準備を始めていたエルに叫んだ。
以前は昔とだいぶ性格の変わったマティアスに戸惑いを見せていたウエストヴェルンの侍女や執事も、今やいつものこととして自分たちの仕事を淡々と片付けている。
「だって昨日……」
ため息でもつきそうになりながら、エルはマティアスの方へ振り返った。
そして、理由を説明しようと口を開きながら昨日のことを思い出していた。
♢♢♢♢♢
休み時間に他のクラスメイトも話しかけてくれ、初日にしてはうまくいったんじゃないかと思っていたお昼休みの終わりの時間。エルは職員室で用事を済ませ、残り一時間の授業のために教室へ戻っていた。
「大変! 校門のとこに紫炎の騎士様がいらっしゃるって」
「どうしてかしら? とにかく見に行きましょう」
先ほどまでの静かだった廊下とは打って変わって騒がしい空間となっていた。興奮気味の高学年の女の子たちが何組もバタバタと横を走り抜けて行く。中には男子生徒も多く混じっていた。
すごく嬉しそうだったが、学園に有名人がきているんだろうかとエルは内心首を傾げて教室に入った。
席に着くと、すぐにレントが話しかけてきた。
「 なぁ、さっきから廊下で騒いでるのってなにか知ってる?」
「なんとかの騎士様が校門にいるってみんな言ってたけど 」
「 それほんとか?」
レントが俺の机に両手をついて、立ち上がりながら身を乗り出してきた。
「どうした? もう授業始まるし、隣のクラスから忘れ物は借りられないと思うよ」
さっきの時間、レントが忘れ物をして友達に借りていたことを思い出して言った。
「ちげーよ! なんでそんな冷静なんだよ。早く立てって! 俺らも見にいくぞ 」
「僕は別にいいよ 」
そんな恥ずかしい名前を付けられている男のアイドルに興味を感じなかったため、すぐに断った。
「 お前、知らないのか?」
どうやらこの国は知らない人がいないくらいの有名人みたいだ。何て答えようか困っているとレントが俺の腕を引っ張りながら熱く語り始めた。
「しえんの騎士様はなぁ、めちゃくちゃ強くて、大会でも余裕で優勝してるし! 王家の方々もいちもくおいてるんだよ 」
「 ふーん 」
レントの目がキラキラと輝いている。騎士様という人はよっぽどすごい人なんだろう。早く見に行きたい気持ちは分かるが、グイグイと腕を掴んで歩くのはやめて欲しい。
「 それになぁ、もちろんここの卒業生ですごく頭もいいんだ。戦いのときも冷静でかっこ良くて…… とにかくヤバイんだよ!なのに最近までずっと姿を消してたんだ。だから俺は直接見たことはないけど、本とか絵とか沢山出回ってるし。でも、なんで学園にいるんだろ?ああ、もしかして シェンリル様のためかな 」
レントは騎士様のファンらしい。しかし、これだけ学園が賑わっていることを考えるとレントだけではなく好きな人は多いようだ。
それよりも俺が考えていたのはシェンリルちゃんのことだった。今日は自分から話しかけたけどつんっと顔を背けられたし……。同じ家にいるのに会わないのは避けられているからだったのだとようやく気がついた。どうしたらいいんだろう。
「 着いたぞ。くそっ!もう沢山集まってて全然見えない 」
レントのいう通りすごい人だかりで、学園の生徒が全員外に出てきてしまったかのように思える。
「 こっちからは見えそうだよ」
俺は少し人が途切れたところを見つけてレントに言いながら、集団の中心を見て言葉を失った。見間違いかと思って、目を擦る。そしてもう一度そっと目を開けた。
「 どうした? 見えたのか?」
「 あ……うん……? 見えたけど、見えていない気がする」
「何わけわかんないこと言ってんだ!ちょっと代わって。本物じゃん! 本物のマティアス様だ。やっぱりかっこいいよな!」
俺を押しのけて『紫炎の騎士様』を見たレントは興奮して、俺の背中をバシバシと叩く。
「かっこいい……」
目の前の光景が信じられなくて、馬鹿みたいにレントのいうことを繰り返す。頭の中は同じ言葉がぐるぐると回っている。
一体、どういうことだ。マティアスが紫炎の騎士様?
「いつもクールだし 」
「クールか……」
一体今までの説明は誰のことを言っていたんだ? マティアスが格好いいことは認めるが、果たしてクールかと言われると、それは頷き難い。
「俺もあんな風になりたい 」
「……そっか」
本当に格好いいよな、そして強い。しかし、普段のマティアスは全然クールではないと思うんだ。結局俺はレントに何も言わないことにした。純粋な少年の夢をこんなところで壊してはいけないと思った。それよりも俺は恥ずかしし、厄介なことになる前にさっさとここを立ち去りたい。
「 授業始まるし、教室に帰ろう 」
「 そうだな。あ、校長がきた 」
レントの視線を追いかけると、中年のおじさんが汗をハンカチで拭きながら小太りの体を揺らして走ってきているのが見えた。
マティアスがいいと言ったから学園に入るにあたって校長に挨拶をしていないから初めて校長の顔を見たことになる。
「 シェンリル様も来たし、校長室に行っちゃうみたいだ 」
「 本当だね 」
校長は生徒たちの列を掻き分けてマティアスのいるところまで辿り着くと、今度は生徒を追い払ってシェンリルちゃんと共に校長室の方へ案内しだした。
でも、俺はマティアスがキョロキョロと首を回して何かを探しているような素ぶりをしていることが気になっていた。そして、さっきまで笑顔だったシェンリルちゃんの顔は遠くから見てもわかるくらい不機嫌になっていたことも。
それは自惚れすぎか。マティアスが自分のことを探しているかもだなんて。そう俺は自嘲して、背を向けようとした。その瞬間、マティアスもこっちに気づいたようで……。
「マティアス様が今、こっち見なかったか。」
違う方向を向いていたはずのレントが急に声をあげた。
「気のせいだよ」
「そうかな。でも今絶対……」
「相手はあのマティアス様だよ?」
まぁ、どのマティアス様かは分からないが適当に言ってみる。
「そうだよな。なんたって国内、いや世界屈指の大貴族ウエストヴェルン家のマティアス様が俺たちに気づくわけないか」
「そうそう」
納得したレントと一緒に廊下を歩きながら考える。ちなみに授業はとっくに始まってしまっている。まぁ、この様子だと教室に残っている生徒なんていないだろう。
別にマティアスと知り合いだと言っても良かった。マティアスがどんな英雄でも、こっちが恥ずかしくなる変な二つ名を持っていても、世間からの評価とは違う面を持っていても生まれた時からずっと一緒にいてくれた大切な存在なことには変わりない。
でも。でも、さっき目が会ったときに“迎えに参りました”と口パクした後、思いっきりウインクを飛ばしてきた時に思ったのだ。「知らない人のふりをしよう」と。
「というわけで、エドナ一緒に行こう」
「よろこんで」
マティアスが行くと学園が大騒ぎになるから、と簡単な説明をしてエドナと外に出ようとする。
「 お待ちください!帰りはお迎えに参っても?」
「 帰りもダメ 」
マティアスがいたら昨日と同じ惨事が繰り返される。おかげで俺は生徒がいない下校時刻ギリギリに職員室に用事があるふりをして、校長室にマティアスを迎えに行かなきゃいけなかったんだ。
「 そんな…… 」
最後の望みも絶たれ、絶望するマティアス。
「 いってきます 」
「 きちんとお送りしてきますから心配なさらないでください 」
そんな彼を置いて、笑顔で二人は出て行った。
「 マティアス、しょうがないぜ。高等部で派手にやっちゃって、有名なお前が悪い 」
落ち込む友人にレオニートは声をかけたが、それでもマティアスは何も言わずに倒れている。
「 俺なんか今日エドナに結婚を断られたんだから 」
今日もだろうと言いたい気持ちを押さえて、マティアスは立ち上がった。
思わぬ時間が空いてしまった。エルが帰ってくるまで何時間も待たなければけないかと思うと、憂鬱だった。
「 …… そうだ。料理をしよう 」
それならば主がいない寂しさを紛らわせるし、お役にも立てる。マティアスはそう考えたのだ。そう、ちょっと思いついただけだったのだ。
♢♢♢♢♢
帰りの会が終わり、生徒たちがパラパラと席を立って帰り始める。いつもならみんな家に帰るはずだと思うんだが、今日はなぜか男子生徒たちはわらわらと俺の席に集まってきた。
「 エル、今日暇か?」
そのうちの一人が話しかけてくる。
「 放課後なら大丈夫だよ 」
今日の予定は何も入っていない。
エドナさんは学園から離れた所に馬車を待たせてくれているらしい。それに今日は学園内を見て回ろうかと思っていたので、遅くなるかもしれないと伝えているから自由な時間はある。
「 じゃあさ、ちょっといいか 」
「 いいよ 」
鞄を肩に掛け、目的地も言わずに歩いて行くみんなについていく。心なしか顔がこわばっている子いるのは何でだろう。
そして、辿り着いたのはあの矮鶏くんのところだった。
「 この線からまっすぐ同時に走って、一番遠くまでいけた奴が勝ちだ 」
落ちていた太い枝を使って、横に長い線を書き終えたクラスメイトに言われた。
「 一番遠く?」
線の向こうには矮鶏くんが寝ている。そうか。クラスの男子全員で足の早い奴を決めようということか。
小学校での駆けっこの順位というのはとても大切だった気がする。頭がいい奴より運動神経がいい奴は周りから一目置かれる存在になり、運動会ではヒーローだ。女子の人気も高くなる。きっと新しいメンバーを加え、順番を決め直そうということなのだろう。
でも、どうしてもここでやることに合点がいかない。あんなに広い校庭があったのに。
「無理だと思ったら止まっていいから 」
「 うん 」
失礼な。確かに俺はあまり筋肉がついているようには見えないが、こんな短い距離を走れないほどひ弱じゃない。
「 みんな並ぶぞ 」
その声と共にみんながわらわらと思い思いのところに立ち始める。もちろんつま先は線の手前。
そうか!
俺も線の中央、走れば矮鶏くんにダイブできる位置に並んだ。一番空いていたというのもあるが、なぜここでやるかの理由が思い当たったからだ。
きっと一番乗りの子が矮鶏くんと戯れる権利を貰えるに違いない。それならば俺も負けていられない。必ず一番にあの白い羽中に飛び込んでみせる。
「 ちょっと待った!」
同じに中央の数人挟んだ場所にいたレントがストップをかけると俺のところにやって来た。
「 こんな真ん中でいいのか? 端っこに行った方がいい 」
「 ここでいい 」
俺の肩を掴んで説得しようとするレント。しかし、俺は屈しなかった。端っこより周りと競争しやすい真ん中の方がいいに決まっている。速い人と走った方がタイムははやくなるのは、前世で経験済みだ。それに……レントのこの目は俺と同じく優勝を狙っている目だ。
「 なら……無理だと思ったらすぐ止まれ 」
「 うん 」
駆けっこで誰も逆走しないと思うんだけど。
しかし、それだけをいうとレントは自分の場所に戻って行き、再びスタート位置に男子全員が並んだ。
絶対勝つ。あそこに飛び込む。
クラスの女の子の一人が、スタートの合図をしてくれるらしい。
「 よーい 」
声と同時に足を片方引いて構える。静かな中庭に砂をかく音だけが響いた。
「 ドン 」
その声と、矮鶏くんが体を起こして叫び始めたのは同時だったと思う。
あんなに俺のことを歓迎してくれてるんだ!
走り続けた。叫び声も地面を蹴る音もすべて無視して。俺はただ矮鶏くんを目指して足を進めた。
誰もいない。俺が一番だ。そう思ったときにようやく周囲の様子がおかしいことに気がついた。まだストップと言われれいないのに誰も近くを走っている気配がない。ゴールへ向かって足を踏み込む直前、好奇心に負けた俺は首を回した。
……本当に誰もいないじゃないか。
近くに人がいないどころか、全員逆走していた。逆走してないとたどり着けないほど遠くにいたのだ。なんというドッキリ。
俺は矮鶏くんの手前数mで走るのをやめた。
「 ~~~!」
みんなが懸命に口々に何か自分に叫んでいる。しかし、すぐそばにいる矮鶏くんの鳴き声とみんなが同時に話すせいで何を言っているんだか全然分からない。俺を指差している子もたくさんいた。
「 全然聞こえない!」
この声も聞こえてないと思うが、とりあえず立ち止まったまま言い返した。
「 ~~~!」
あっちも負けじと叫び、意味をなさない声は最高潮に達した。
体の後ろ側に何かふわふわしたものが擦り付けられている。
「 なんだ? ああ、矮鶏くんか 」
遊ぶのが待ちきれなくなって俺にアピールをしているらしい。
「 ちょっと待っててな 」
遊ぶ前にクラスの子たちと話さなければならない。そう言うと、矮鶏くんは俺の体を押すのをやめて大きな体を沈め、俺の足もとに座り込んだ。
「 で……?」
さっきまであんなにうるさかった中庭が、なぜか静まり返っている。さっきまで必死に声を上げていた子もぽかんと口を開けているばかりだ。
長い沈黙が場を支配する。
誰も何も言わないなか、校舎の方から大きな声が響いてきた。
「 何をしているんだ!」
それは俺が始めて見る先生の声だった。
「 逃げろ!」
「 先生だ 」
途端に中庭は大騒ぎになる。全員が荷物を抱えて出口へ向かって走り始めたのだ。
「 え!?」
みんな俺をおいて行くの?
どうも先生に捕まったらまずいらしい。俺も慌てて鞄の肩掛けの紐の部分を握りしめて追いかける。一番遠いのは俺なのだ。
全力で走ったおかげか、途中からなんとかみんなの中に紛れ込めた。
「 エル! お前すごいよ 」
校門を駆け抜ける直前、レントが息を切らしながら声をかけてくれた。
「 びっくりしたぜ!まさかあれを手懐けるなんて」
「転入早々食われてちゃうかと思ったもんな」
前を走っていた子もわざわざ後ろを向いて俺に何か言ってくる。
ただ、みんなは息を切らせて話しているので、きちんとは聞き取れなかった。ただ褒めてくれているのは伝わってくる。
「 でも、あれどうやったんだ?」
「 普通にしただけど 」
そんなに足が早いと褒められても困る。普通に走っただけなんだから。
汗をかき、息もきれているのに、俺の心はすっきりとしていた。途中ドッキリをしかけられたみたいだけど、クラスの一員になれた、そんな気がしていた。
♢♢♢♢♢
「 っていうことがあったんだよ 」
俺は今日の出来事を話しながら上機嫌でエドナと帰路についた。話しているとあっという間で屋敷についてしまう。
「 ただいま 」
「 お帰りなさいませ 」
屋敷ではマティアスが出迎えてくれた。しかし、様子がおかしい。
「 マティアス、どうしたの?」
「 何でもありません 」
俺が朝見た時より数倍やつれている。声にも元気がない。
「 なんで厨房がなくなってるの?」
そこでマティアスが立っている方向にあったはずの厨房がごっそりなくなっている。周りの壁も模様が分からないほど黒焦げだった。まるで局部的に大爆発があったかのようだ。
「 本当に何でもないんです。何も聞かないで下さい」
「 それならいいけど 」
マティアスに連れられて部屋に戻る。マティアス服も所々焼け焦げていることが気になった。
着替え終わったら、今日の話をマティアスにもしてあげよう。
うきうきとしながら、袖に腕を通した。




