4-3 買物と事実
「 いらっしゃい!」
「 これ、美味しいよ 」
頭上を様々な人の声が飛び交う。マティアスと一緒にやってきた王都の商店街はとても賑わっていた。食べ物の匂い、甘ったるい花のような匂い、全てが絶妙に混ざり合った街の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
ウエストヴェルン家の本邸にいた時の町にもたくさんの人がいたけど、ここはそれを上回る熱気だ。
「 気になるようでしたら、後でこちらにまた寄りましょう。先に必要なものを揃えなくては 」
よっぽどキョロキョロしていたに違いない。マティアスに苦笑しながら言われてしまった。
俺たちは商店街を抜け、どんどん前に進んで行く。次第に人も少なくなり、お店の一軒一軒が大きくなってきた気がする。決して寂れているわけではなく、通り全体が落ち着いていると言った方が正しいだろうか。
「 ここです 」
マティアスはあるお店の前で立ち止まった。店の構えからして、明らかに高級店だ。貴族御用達と看板に書いてありそうな。
扉を開けて入るとスペースを多くとり、ゆったりとした店内に色々な品物が置かれていた。店員さんがマティアスの顔を見て、すぐに店長を呼んでくるから待っていてくださいと椅子を進めたが、俺は店を見てまわることにした。
「 何か、お気に召すものがありましたか?」
ショーケースの中に清燗に似た龍のブローチを見つけ、じっと見ていると店員さんに声をかけられた。
「 あ…… はい…… 」
「 ゆっくりご覧になってくださいね 」
ニコニコと満面の笑みで言われる。営業スマイルなんだろうけど、教育が行き届いてるという感じだった。
一通り見終わって満足した俺はマティアスのところに戻る。マティアスは足を組んで優雅に座り、上品に紅茶を飲んでいた。俺の席の前にはピンク色のジュースがおいてある。毒々しい色に一瞬躊躇したが、椅子に座ってストローをくわえた。見た目に反して爽やかな味が口に広がる。うん、おいしい。これは何のジュースか調べて、うちのお店で出そう。
俺はマティアスにそっと耳打ちした。
「 そういえば、ずいぶん…… 影が多いね 」
一周する間に何回話しかけられたことか。店員に対して客の数が少なすぎるんだ。
きっと貴族は家にお店の人を呼ぶから、わざわざ足を運ばないのだと思う。
「 すみません 」
一周回った感想を言っただけなのに、マティアスは引きつったような顔をした後、すごく申し訳なさそうな顔で謝ってきた。
「 別にマティアスが悪いわけじゃない 」
本当にその通りだ。別に全然気にしてないのだから。マティアスは時々ずれた返答をしてくることがあるな。
「 おまたせしました。お久しぶりでございます、マティアス様。それに…… 」
「 エル様です 」
店の奥から店長と名乗る初老の男性が出てきた。挨拶を終えた後、店長がずらっと品物を並べ始めた。その中から欲しいものを選べばいいらしい。何を選べばいいのかわからいでいると、マティアスが選ぶのを手伝ってくれた。手に取って見ていいと言われたので、落とさないようにおそるおそる商品を裏返す。値段が書いてない……。びびった俺は隣を盗み見るが、顔色一つ変えずにマティアスは片っ端から買おうとしていた。
「 そんなにいらないよ 」
「そうですか? ああ、これ全て屋敷に届けて下さい 」
全然話聞いてない。金持ちの買い物って恐ろしい。結局、マティアスと店長が何やら話し込み始めてしまい、手持ち無沙汰になった俺は外に出てみることにした。
しばらく時間はかかりそうだし、あまり遠くにいかなければ大丈夫だろう。ちょっと歩いてまた戻ってくればいい。
重い扉を開け、ぶらぶらと道を歩き出す。
左右に伸びる細い道に入ってしばらくすると、急にお店が減り、人の影も見えなくなってしなった。
「本当にこれしかねぇのかよ!」
曲がり角を数回曲がったとき、物騒な男の怒鳴り声が耳に入ってきた。
気になった俺は物陰から何事かと覗いてみる。
「や……だ…… やだ……」
壁際に小さな女の子が一人。それを柄の悪くて大柄な男三人がその女の子を囲んでいる。
それは明らかにカツアゲの現場だった。
周りに人はいない。あの子を助けられるのは俺だけだ。どうする。
心臓が早鐘を打ち始めるた。
行くか? 勝てるか?
体格が違うのだ。力では完全に負ける。でも、この世界には魔法がある。相手次第だが、魔法なら不意打ちでいけるかもしれない。いける。あいつらが強かったらこんなところでカツアゲなんてしてない。
成功したらあの子を助けられるし、勝てなくても逃げる隙ぐらいは作れるだろう。負けたときは……そうだな。 清燗に乗って速攻で逃げよう。
男が女の子の胸ぐらを掴んで、壁に押しつけた。早くしないと…… まだ誰も俺に気がついてない。
とりあえず中くらいのサイズで清燗を呼んで…… でも、今の水筒を持っていなかった。核がないと、清燗を呼び出せない。手を水で濡らさないと魔法が発動しないのはそれが俺の魔法の発動条件だということだろう。
ここは裏道で、しりじりと後退しているうちにとんと背中をついた先は誰か家のようだった。
ふと自分の隣に樽があることに気がつく。
頻繁に開けられているのか簡単な蓋でしまっているだけだったので、そっと中を覗いて見た。
水だ。俺はついているらしい。雨水を貯めてある樽だった。
「お借りします」
家に向かって小声で断りをいれてから、左手を水を浸し、引き抜く。ぼたぼたと大粒の水が垂れ、地面に染み込んだ。
「清燗」
助けてくれ、と瞼の裏に生意気な龍の姿を思い浮かべる。
「呼んだ?」
すぐに聞き覚えのある声がした。とんでもなく重いものを引きずっているような音があたり一体に響いた。
「……清燗 」
確かに俺はお前を呼んだ。そんな大きな体で出てこられたら計画が台無しだ。そもそもどうして勝手に出てこれるようになっているんだ。言いたいことをすべてまとめてため息に込める。
曲がり角に隠れていたはずなのに、清燗の体の三分の二は完全に飛び出ていた。
「うわぁあ」
「なんだ!?」
男たちは清燗を見て騒いでいる。まぁ、当然だ。
途中はどうであれ、不意打ちには成功したらしい。これで女の子も逃げられるだろう。
「うるさい。あー、食べちゃおう」
ギャーギャーと喚き立てる男たちを向いて清燗がぼそっと恐ろしいことを口に出した。
「え……ちょ…… 」
後ろを向いて逃げ出す男たちに対して、大きく口を開けて飲み込もうとする清燗。
これは予想外な展開になってしまった。脅かして、尻尾でべしっとやろうかなぐらいにしか思ってなかったが、想像以上に清燗はインパクトがあったみたいだ。
もう今にも食べてしまいそうだ。清燗を止められない。
「 きっ…… 綺麗に食べろよ 」
違うだろ。
思わず口にした言葉に自分で突っ込みを入れた。
そこで、助けようと思った女の子が座り込んでこちらをじっと見つめていることに気がついた。
とっさの事で逃げられなかったのかもしれない。
「ねぇ、そこの君……」
「きゃー!」
俺が声をかけようとすると、女の子は恐怖にゆがんだ顔で叫び、荷物を投げ出して走り始めてしまった。呆然と背中が小さくなるのを見届け、曲がり角を曲がったのか姿が見えなくなったところで我に返った。
「 あれ?」
伸ばしかけて宙を切った手を引っ込める。逃げて行ってしまった。大丈夫か聞こうと思っただけなのに。
「 何事ですか!」
声をする方を見ると、女の子と入れ替わるようにして、マティアスが俺が来た道を走ってきていた。
「 よくわからない 」
「 お怪我は…… なさそうですね。こいつらはなんです?」
マティアスが見下ろしている先にはさっきの三人組が気絶して地面に横たわっていた。
「 女の子からお金を巻き上げようとしてたから、ちょっと脅かしたんだよ 」
「 こいつらは警備兵に引き渡しましょう。それにしても無理はなさらないで下さい 」
そう言うと、マティアスはしゃがんで男をじっと観察し始めた。
「 ……服が凍っています 」
「 寒そうだね 」
マティアスの言うとおり、男のうちの一人の服がガチガチになっていた。真夏ならともかく春先のこの季節は遠慮したいファッションだ。
「 エル様の手も凍っています 」
「 そうだね 」
マティアスの言うとおり、俺の手は凍っていた。手を濡らして魔法を使ったあとはいつもこうだ。なぜか魔法を使うのをやめても手の氷だけは溶けない。手を動かすと、パラパラと小さな破片が地面に落ちた。
「 一体どういうことでしょう 」
「 魔法を使っただけだよ 」
一体マティアスはどうしてしまったのだろう。気づいたことを一つ一つ口に出して。様子が変だ。
「 買い物は中止です。屋敷に戻ります 」
マティアスはしばらく黙ったあと、俺の腕を力強く掴んで早口で言い切った。
「 え、どうして?」
「 取り敢えず戻ります 」
きっぱりと返事を返され、商店街ではなく、屋敷へまっすぐ向かっている。
帰りに焼き鳥食べかったのにな……。
その時の俺は、この日、この8年間信じていたことを覆されることになるなんて思いもしなかったのだ。
♢♢♢♢♢
マティアスに連れられて辿り着いたのは屋敷ではなく、屋敷を囲む広大な森の中の湖のほとりだった。
そこで魔法を使ってみてくださいと言われて、適当に湖の水を凍らせて見せる。暖かくもない外で一日に二回も手を凍らせたくなかったので、池を利用させてもらった。
その証拠に巨大な湖に氷の島がプカプカと浮いている。
「 氷…… エル様、だからか…… だからだったんですね…… 」
「 どうしたの?」
マティアスはそれを見た瞬間驚いた顔をしたかと思えば、嬉しそうな顔をし、終いには一人で納得し始めてしまい、置いてけぼりにされた俺は尋ねた。
「 ずっと不思議だったのです。なぜエル様の髪の色について 」
「 この銀色?」
自分の髪を一房持ち上げながら堪えた。水面に反射する光のように太陽に当たった髪が煌めく。
全く、この髪で生き残るために生まれた時からどれだけ頑張らなきゃいけなかったか。
「 エル様はとてつもなくお強い。それが逆に他の色をすべて打ち消してしまった。貴族の中では薄い色素は弱者と見なす風潮がありますが、銀色の髪は氷結能力の色だったんですね 」
明るい顔のマティアスとは対象的に俺の顔色は優れない。
何ということだ。
生まれてこの方こんなに驚いたことがあっただろうか。
マティアスの強いって言葉がお世辞にしても最弱ってことはなさそうだった。大げさに言うのを差し引いて、まぁ良くて普通ぐらいだろう。
様々な思いや考えが泡のように浮かんでは消えて行く。
俺が最弱でないなら、喫茶店の選択肢が広がるな。ああ、でもそこまで弱くないなら喫茶店もやる必要はないのか。
急に選択肢が開けても、何も思いつかない。混乱してきた。
俺はどうしたいのか? 今度は学校をきちんと卒業したい。じゃあ、それが叶ったらその先は?
異世界に生まれ直して、八年。長いようで短く、短いようで長い。様々な経験を重ねた歳月。二度目はどう生きる?
「エル様、ご気分が優れないのですか?」
考え込み、難しい顔をしていたらしい俺をマティアスが心配そうな顔で見ている。
「何でもないよ」
俺ははっと我に返り、笑って答えた。
なりたいもの。別に今すぐ死ぬわけじゃない。これから考えていけばいい。
喫茶店が最後の選択肢だったとしても、俺は人々に一息つける空間を提供できる仕事に魅力を感じていた。
ゆっくり考えていこう。もし、もっとなりたいものが見つかればそれになるために頑張ろう。
「帰ろうか」
そういうと、マティアスは安心した顔をした。




