3-8 母親と形見
「 エル様、ベッドでお休みになったらどうですか? 」
エドナさんにそっと肩を叩かれた。
薄暗くなった部屋で勉強していたはずなのにどうやらウトウトしてしまっていたらしい。 もうすっかり部屋は暗くなっていた。
「 うん。寝ようかな 」
眠たい目をこすって返事をした。
ウエストヴェルン家に来てもう一ヶ月弱。朝早く起きて調理場に行って、ご飯食べて、レオニートやマティアスたまにリチャードさんと遊んで、毎日充実した時間が過ぎていく。ただ、レオニートにはもう勉強しなくていいと言われてしまった。そんなに見込みはないのかと凹んだが今は地道に一人で勉強して地道に学力の向上につとめている。
「 明日はお早いですし 」
そうだ。明日も洗い物をしないと……。
なにかしたいからやっているというのもあるけど、見習いの人が一生懸命やっているのに手際が悪くて怒られているのを毎日見ていたら手伝わなければと思うようになってしまった。
洗い物も手慣れてきて、結構楽しいしね。もちろんこっそりと料理の様子も見学させてもらってる。
「 懐かしいです。エル様のお母様も私が夜中に参ると、よく机に突っ伏して寝ておられました 」
ゴソゴソとベットから顔を出すと、エドナが微笑んでいた。
「 お母さん? 」
この世界でのお母さんの話を聞くのは初めてだ。その言葉がエドナの口から出たことに驚いた。
「 私、エル様のお母様の侍女をやらせていただいていたんです 」
知らなかった。だから俺の世話をしてくれてたんだな。
「 どんな方だった? 」
「 そうですね。いつも周りに笑顔が溢れているようなとっても明るい方でした。驚かせることと喜ばせることが大好きな。陛下もそんなお母様のことを愛しておられました。それはもうこちらが見ていて恥ずかしくなるくらいでした。でも、エル様をお産みになられるには少々お身体が弱かったのです 」
「 そう…だったんだ…… 」
お母さんは敗戦して処刑されたか、戦争でなくなったんだとばかり思っていた。それはお父さんの方で、俺を産んだせいで亡くなってたのか。つまり俺を産まなければ……
「 それはわかっておられたんです。それでも産むと譲られなかった。エル様のこと、産まれる前から愛しておられたんですよ 」
「 うん。ありがと 」
考えていたことが全部顔に出ていたんだろうか。
「 そういえば、エル様にずっとお渡してしようと思っていたものがあるんです 」
エドナがポケットから大切そうに出してきた箱を俺の手にのせた。
白い箱を開けると、中に入っていたのはネックレス。
「 エル様のお母様が最期に下さったんです。もう要らないからと言って 」
「 もう要らない? 」
そこは“これを私だと思って大切にして"とか言って渡しそうなものだけど。
「 私は他のものを頂いていたんです。このネックレス、以前お城を抜け出した時に街でお買い物されたもので、ご自分のお金で買ってらしたんですよね 」
「 そんなに欲しかったのかな? 」
そう聞き返しながらシャラリと小さな音をさせながら持ち上げてみる。普通のネックレスだ。少なくとも俺から見たら。
「 陛下からたくさんの贈り物を頂いてましてから、アクセサリーは数えきれないほどお持ちでした。それをお求めになっているとき、プレゼントとおっしゃっていたのです。結局、渡すことはないだろうとご自分で包装を開けられましたが 」
「 お父さんへのプレゼントじゃないってことだね 」
言われてみると、男物のネックレスだ。いったい誰に渡したかったんだろう?
「 そうです。お手紙を一生懸命お書きになっていたこともありました。どなたかは存じ上げませんが、連絡をお取りになりたい方がいらっしゃったようです。もう今となっては何も分かりません。エル様が持っていらしたらお喜びになると思います 」
「 大事にする。お休み、エドナ 」
「 お休みなさいませ 」
「 あ、待って 」
部屋を出て行こうとするエドナを引き止めた。
「 なんでしょうか? 」
「 お母さんのこと、大好きでいてくれてありがとう 」
俺を産んで亡くなった人。謝りたくてもお礼を言いたくても、もう会うことはない。ただ“お母さん”の話をしている時のエドナの顔を見ていたら少し救われた。今でもこんなにしたってくれている人がいるなんて。
エドナが出て行った後、もう一度起き上がってネックレスを灯りの元へかざす。
───A
小さく小さく削ってある文字。さっき触っていて気がついた。光の具合によって見えなかったからエドナは気づかなかったのかもしれない。
自分の名前か、誰かの名前の頭文字か。それともなにか意味があるのか。
浮気相手がいたなんてオチはやめてくれよ。
「 考えてもわからないか 」
もう寝よう。
ここに産んでくれてありがとう、ネックレスにそう呟いて。




