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第三王子エルメル  作者: せい
ウエストヴェルン家編
26/49

3-4 授業と不幸

 


 エルが迷子になった日の朝、食堂。

 昨日の惨状はすっかり息を潜め、開け放たれたいくつもの窓から差し込む朝日が部屋を照らしている。


 ……本当に酷い目にあった。

 目の下に隈を作り、見るからにやつれているレオニートは昨晩のことを思い出して食事の配膳をしながら小さく息を吐いた。


 いつからだろう。気がつけばルクシェル様は何かあるたびに自分の息子であるマティアスよりも俺を呼ぶようになっていた。別にウエストヴェルン家の親子仲が悪かった訳じゃない。俺の母親とルクシェル様は異常に仲が良く、俺もマティアスも互いに母親が二人いるように思えるほどだった。

 子供の頃、一度聞いたことがある。着せ替え人形のように服を着せられながら「 なんで僕なの?」と。そうしたら彼女は口元を扇子で隠し、笑いながら教えてくれた。

「 だって、レオニート。マティアスよりも貴方の方が面白くなくて? 」

 そうなのだ。俺はマティアスが冷めた子供だったとばっちりを食らっていただけなのだ。


 許せん! マティめ……!

 これだけじゃない。いつも一緒にいたからこそ降りかかってきた数々の災難を思い出し、思わず手の中のナイフを握りしめてしまう。


 何時の間にか食事を終えたルクシェル様が静かにスプーンを置いてエル坊に話しかけた。

「 エルちゃん、色々なマナーを学んだ方がよろしいかと思って、先生を頼んでおきました 」

 マナー……先生…… なんだかとっても聞き覚えがある。

 しかし、この言葉に反応したのはマティアスの方が早かった。


「 マナーなら自分がっ……! 」

 顔を見なくても焦っているのが声でわかる。

「 そう? あなたもシュリから教えてもらったのだからそちらの方がよいと思ったの。それにもう頼んでしまったわ。ごめんなさい。今日から…… 」

 少しも悪いと思ってない様子で嬉しそうに笑うルクシェル様。


「 とりあえず今日は俺が勉強を教える約束だったんです!なぁ? 」

 初日に母さんの授業はキツイ。

 エル坊に同意を求めると、突然話しかけられたことに戸惑いながらも俺に向かって頷く。そりゃあ、今日勉強するとは一言も言ってなかった訳だから驚いても当然だ。


「 そうなの? しょうがないわね、お勉強は明日にしましょ 」

 全く考慮してもらえなかったらしい。

 彼女が決めたことはもう覆らない。もう俺にできることは応援することだけだ。


 やっぱり誰にも知られないようにしなければ。

 ───自分の初恋の人がこの人だったなんて。



  ♢♢♢♢♢



「 いい? 母さん、エル坊はまだ昨日ここに来たばかりだから午前中で終わらせて 」

「 もちろん分かってるわ。 さっきからどうしてそんなに確認するの? 母さん悲しい 」

「 だって…… 」

「 母さん、悲しいな 」

「 ああ、ごめんごめん 」

 こりゃだめだ。母さんに関しては諦ることにし、先に座っているマティアスの隣に座る。


「 大丈夫そうか? 」

 すぐにマティアスはテーブルに身を乗り出し、母さんに聞こえないぐらいの小さな声で尋ねてくる。

「 大丈夫だと思うのか? 」

 逆にこっちが聞きたい。

「 思わない 」

 そうだろうな。思うんだとしたら、今俺の目の前にいる男はマティアス・フォン・ウエストヴェルンじゃない。


 母さんのレッスンが始まった。ここは先日からエル坊の部屋の一つになった場所だ。俺たちは邪魔にならないように部屋の隅で様子を見ている。


「 そういえばさ…… 」

 俺が話しかけるとマティアスが母さん達から目を離す。今あっちは歩き方の練習中だ。

「 なんだ? 」

「 エル坊の部屋入って思ったんだけど、なんかあったのか? 」

 さっき気づいたのだが、いくつもの家具が黒焦げになっていた。ここにきてから父さんに頼まれて確認した時にはどれも普通だったはずだ。

 しかし、マティアスは何のことを言っているのか分からないという顔をしている。

「 魔法の練習でもしたのか? 」

「 ああ。ちょっと驚いた弾みで。悪い 」

「 別にいいけど…… 」

 新しい家具の代金はウエストヴェルン家が払うんだし。俺は注文をするだけだ。折角だからエル坊のために背の低い家具に買い換えようか。あいつは背が伸びない気がする。今だって小さいし。

 それにしてもマティアスが魔法の制御ができないなんて珍しい。魔法が上手いか下手かというのはいかに自分の魔術を完璧に操るかにもよるのだ。もちろん、こいつにそれができないはずがない。一体何があったんだろう。まぁ想像できないこともないが。


 そうだ。母さん、もうお昼だよ。



  ♢♢♢♢♢



「 おい、レオニート!」

 マティアスの声だ。なんだ? 人が折角……


「 レオニート! 」

 うるさいな


「 レオニート!エドナが 」

「 どうした!? 」

 聞き捨てならない言葉に返事をすると、マティアスが呆れた顔で自分を見ていた。

「 寝てたぞ 」

 確かに。マティアスと喋ってしばらくしてからの意識がない。

 窓を見るとすでに太陽は沈んでいる。予想通りだ。目の前ではエル坊が食事のマナーを教えられていた。


「 エル様が頑張っているんだから、お前も頑張れ 」

「 はーい 」

 俺たちが特になにもすることないのにここにいる理由。それがこれだった。母さんはとても温厚だ。それは普段も、授業でも。でも一つだけ欠点があるのだ。

 時間を忘れる。この時間まで決めているのにいつまでたってもレッスンを終わらせてくれない。しかもレッスンは意外と体力も使う。

 俺たちは二人一緒に受けさせられた。辛いのは自分だけじゃないという一心で乗り切った。でも今回はエル坊一人。辛すぎる……。 だから俺たちが応援しようというわけだ。

 というか、今考えればあそこまでのマナーは俺には必要なかったはずだ。きっとマティアスに付き合わされたんだ。

 レッスンと言えば、昔は母さんのレッスンとルクシェル様の着せ替え部屋のどちらかを選ばないといけないならどちらを選ぶかで何度マティアスと喧嘩したなぁ……



「 急に思い出したんだが 」

 なにやらマティアスが難しそうな顔で話し始めた。

「 なんでお前、今日の朝ナイフとフォークとスプーンを全滅させてたんだ? 」

 なんのことだろうか。今度は俺が考え込む番になってしまった。


 朝。そうだ! 今日の朝は!

「お前のせいだよ! 」

 急に忘れかけていた朝の恨みを思い出し、大声を出してしまう。

 そのせいで母さんに睨まれてしまった。全く、自分はもう何時間も延長していることを棚にあげて。

 俺の声には気がつくのに、目の前で生徒が死にかけていることには気がつかないのか。

 エル坊、お前は悪くない。次は絶対に勉強の時間を勝ち取ってやるからな。


 よし、時間はたっぷりある。今日は隣で涼しげな顔をして座っている男に思う存分文句を言えそうだ。




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