3-2 執事と洋服
遅くなりました。すいません。
途中の記憶はほとんどなくても、俺はまっすぐ道を歩いていたらしい。気がつけば門は遥か後方に遠ざかり、お屋敷の扉の前まできていた。
その二つの扉の前にはピシッと背筋を伸ばし、かっこよくスーツを着こなした一人の男性が立ちはだかっている。さっきはいなかったよな?
「いらっしゃいませ、エル様。お帰りなさいませ、マティアス坊っちゃま 」
「 父さっ……んっ 」
レオニートがひぃっと悲鳴のような声をあげた。
父さん?そう聞いて、この人はレオニートのお父さんなのだと分かる。
「 よろしくお願いします 」
俺は挨拶をして、もう一度よく男の人を見た。
確かにレオニートに顔は似ている。特に目の形なんてそっくりだった。でも、雰囲気は全然違う。レオニートはスーツのような服を着ているはずなのに、なんだかだらしないような、チャラチャラしたお兄さんって感じ。お父さんは…… どっからどうみても執事だ。うん。そうとしか言い表せない。
「 私にそのようなお言葉は結構ですよ、エル様。私はウエストヴェルン家、家令を務めさせていただいております。リチャードと申します。さあ、どうぞ中へ。奥様がお待ちです。ああ、レオニート、少し話しましょう 」
丁寧に俺に話してくれたあと、リチャードさんはレオニートに声をかけた。振り向くとレオニートは後ろで小さくなりガタガタ震えている。
どうしたんだろうか。
「レオニート」
もう一度名前を呼んで、その人はレオニートの腕をがっしりと掴んだ。
「私は少し失礼いたします、お前は一緒に来なさい」
にっこりと笑って言ってくれるが、後ろではレオニートが助けて助けてと口を動かして、俺に助けを求めている。どうすることもできないので、レオニートのことは放っていくことにした。
リチャードさんに森の方へ引きずられ、すぐに叫び声が聞こえた気がしたけど、気のせいだろう。
言葉を合図とするかのようにドアが二人掛かりで開けられていく。
「エル様、すみません」
小さい声でマティアスが隣でポツリと呟いたのが聞こえた。でも、何を謝っているのか分からない。
「 何が…… 」
「あらあらあらあら 」
その言葉は女性の声によって遮られる。
エドナじゃない、知らない声だ。前を向くと、ふわふわしたレースが目に入った。幾重にも重ねられた黒い色の布は、ドレスだ。上を向くと、扇子を仰ぐ女の人と目が合った。
背が高い。マティアスの方が高いといっても、女性にしては大柄な人だと思った。すらっとしているが、迫力がある美人だ。俺が小さいから尚更かもしれないが。
「あらあら」
俺は上から下まで見られているのを感じながら、どうすることもできずに立ち尽くす。
「リチャードー! 」
飛び上がらんばかりに驚いた。 突然、綺麗な“貴婦人”が大声をあげたからだ。ドレスも豪華で、顔もすごい美人。うちわを持ってふふふと笑う、俺のイメージが崩れていく。
しかし、驚くのはまだ早かった。
「 何でしょう、奥様。毎回申し上げてますが、叫ばれなくとも私聞こえております 」
「 あら、ごめんなさい 」
瞬間移動したのか。
森の方へ行って姿を消したはずのリチャードさんが、汗ひとつかかずに女の人と喋っている。名前を呼ばれた瞬間現れた気がするんだけど、そんな訳ないよな。魔法か!魔法なのか?
「 どうかされましたか 」
突然微笑みながら言われ、慌てて首を横に振る。
「 リチャード、あなたなら? 」
動揺している俺は放っておかれ、ゆっくりと扇子を仰ぎながら会話を続ける二人。
「 そうですね…… 」
意味がわからないまま今度はリチャードさんに見られる。
「 黒、または紺をを基調をした上着と短めのズボン。今流行りの襟が大きめのタイプがよろしいでしょう。デザインは少し柔らかめで。靴は黒のエナメルのブーツ。今のお洋服はものはサイズがあっていらっしゃいません 」
「 そうね。私も創作意欲を刺激されたわ。もちろん 」
「 はい。全員準備は終わり、いつもの部屋に控えております。仮眠も十分です。北から最高級の生地一式を揃えました 」
二人の会話は流れるように続く。
「 さすがね。リチャード。では、行きましょう 」
女の人に腕を引かれ、ずんずん中へ引っ張られる。さっきのレオニートみたいだ。よくわからないが、俺の服がダサいと言われたことがわかった。マティアスがくれたものを着てただけなんだけど。そんな変かな……?普通だよな。でも俺、ファッションのことに関しては自信ないから……
とりあえず、掴まれた腕が痛い。歩幅が合わず、すでに俺は足を動かすことを諦めた。綺麗な天井を見つめながら引きずられている。
荷物のように。
♢♢♢♢♢
「 もうだめ……だ…… 」
何度もこけそうなりながら、ヨロヨロと進む。俺はベッドまでたどり着くと大きな音を立てて倒れこんだ。高いんだろう。沈み込みそうなほど柔らかいベッドだ。
それにしても、本当に疲れた。あのまま、沢山の女の人のいる部屋に連れていかれ、身体中をメジャーではかられ、布を当てられ、何度も服を着替えさせられ。
みんな盛り上がってて誰も俺の話聞いてくれなかった。デザインを描いた紙が投げられて宙を舞ってたもんな。
予想はしてたけど、あの貴婦人がマティアスのお母さんの、ルクシェルさんだってことだけはわかった。
あれからエドナは一緒に盛り上がってるし、マティアスも助けにきてくれないし……ひどい。レオニートはいいや。ごめん、見捨てちゃって。
瞼が重い。もう一秒だって起きていられない気がする。疲れちゃった。寝ていいよね?
明日から…… どうするか色々考えな……きゃ……
♢♢♢♢♢
「 エル様、夕食の準備が出来ております 」
部屋の中からは何も物音がしない。
「 エル様……? 」
廊下に一番近い部屋で倒れているエル様の姿が見えた。血の気が引いていく。
襲われたのか!?
慌てて駆け寄って、どうもそうではないことに気がつく。
寝ている。
どうしてこんな来客用のソファでお休みになられているのだろうか。奥にちゃんとベッドがあるはずだが。それに服が試着用のものになっている。
ともかくエル様が無事だったことに胸を撫で下ろす。王宮での一件があってから心配なのだ。自分の主人は無茶をする方らしいということがよくわかった。
無理に起こさない方がいいだろう。音を立てないように部屋の奥にしまってある毛布を小さな体にかけた。
部屋の温度を調節し、夕食の席に戻る。
パーティーを開くときは国内外の貴族がダンスを楽しむダンスホールともなる食堂では母様がテーブルについて自分たちを待っていた。
「 あら、エルちゃんはどうしたの? 」
「 お疲れのようで、お休みになられてしまってました 」
「 そう、それなら仕方ないわね。エルちゃんとお話するの、楽しみにしてたのだけれど…… 」
悲しそうに目を伏せる母様を見ながら自分も席につく。本当に楽しみにしていたらしい。母様には申し訳ないが、あの部屋に連れていかれて無事だった男性を見たことがないので仕方が無いと思う。俺もレオも兄様もあそこで何度も地獄を見た。まぁ母様は父様を見ても全く創作意欲が湧かないらしく、父様だけは無事だけれど。
「 明日からいくらでもお話しできますからね 」
母様を慰め、メイドに食事を始めるよう目線を送る。それにしても意外だ。母様はいつも自信に満ち溢れていて、こんな風な感情の出し方はあまりしない人だ。エル様がそうとう気に入ったんだろう。
「 ……を…… って…… 」
「 どうかなさいましたか? 」
一品目が来たというのに、母様はまだ顔を上げない。
「 ……を 」
「 どう……? 」
「 リチャード!お酒を! 」
母様がそう叫んだ瞬間、目の前にはお酒を持った執事を携えたリチャードが待機していた。
「 奥様。叫ばなくて結構です 」
「 母様……? 」
「 お酒を!ついでにレオニートも呼びなさい! 」
そう言っている母様の横には次々とワインとグラスが並べられて行く。レオニートもやって来た。
完全に日が暮れ、真夜中。
混乱している自分にリチャードが教えてくれた。
「 奥様は坊っちゃん達がお生まれになってからお酒をやめておられたのですが、最近またお酒を嗜まれるようになったのです 」
学園を卒業をしてからは王都にいたから知らなかった。
でも信じられない。
あれは……嗜んでいるのか?確かに母様はいつもと変わらずワイングラスを右手に優雅にお酒を飲んでいる。その姿は社交界の華と呼ばれるのに相応しく艶やかで。
例え、周りに潰したメイドや執事が倒れていても。
「 飲んでいる? 」
「 ええ、奥様 」
「 一緒に飲みましょ。みんなどうして寝てしまうのかしら。レオニートももう飲めないみたいなの 」
「 しかし、奥様。マティアス様はまだあまりお召しになってないようですよ 」
リチャードの言葉に母様が笑みを浮かべ、手招きする。
「 あらそう。良かった。ちょっとこっちへいらっしゃい。私、あなたの小さなご主人様にあのような服を選んでいたことについてお話したいわ 」
「 マティアス様、ごゆっくり 」
リチャードがワインをついでくれた。
ああ、間違いない。今の言葉。この表情。
やっぱり、こいつはレオニートの父親だ。




