3-1 本邸と貴族
舗装されていない道路になったのか、急に馬車が揺れ始めた。お尻は前回ほど痛くない。事件で出来た怪我は脇腹以外完治し、気分もいい。馬車に慣れたからか、それとも…… 。
隣でそわそわしている男、マティアスの友人、レオニートがぱくぱくと口を開く。
「 あ……あの~、しゅっ趣味は? 」
「 え? 趣味ですか? 」
エドナが不思議そうに聞き返す。
それを聞いて顔を真っ赤にするレオニート。
「 いや、やっぱり趣味はいいです。何だっていいです。それより俺とつっ…つつ… つきあ 」
「 エドナ、こいつは無視していい 」
「 はぁ 」
エドナはマティアスの言葉に頷いた。まだレオニートは何か言いたげにしているが、マティアスに阻まれていた。
そうだ。馬車に乗っているのが自分だけじゃないからか。
救出されてから紹介されたレオニートとようやく名前を知ることができたメイドさん、エドナと俺は馬車に乗っていた。
意識朦朧としていた俺を救い出し、家にきてもいいと言ってくれたマティアスには言葉で言い表せないほど感謝している。
俺が実は王子だったと聞かされた時は驚いたが、同時に納得することもできた。
拷問はやはり、最初に俺の頭を打ち付けた男の誤解だった。結局責任をとって罪を与えられたらしいが、滅んだ国の王子として軟禁されていたんだと分かれば、俺が顔も知られず、王宮にいて、あんな目にあった理由も説明できる。
しかし、いいこともあった。
今回の事件で俺が魔法もろくに使えない奴だということが判明し、人質としての価値がなくなったらしい。
王様は自由にしていいと言っていると言われ、迷わずここを出ようと思った。外は危険かもしれないが、王宮ははもっと危険だ。またあんな目にあったら次こそ死んでしまう。
名前を身分を捨てて、今より安全な生活を送りたかった。
俺は馬車に体を預けながら、腕を組んでいるマティアスを盗み見る。
マティアスが家に住まわせてくれると言ってくれたのは正直、有難かった。家も職も見つかるという保証はないのだ。
住む場所さえ貸してもらえればだいぶ楽になる。
カーテンの隙間から、緑の多い風景が後ろへ流れていくのが見えた。
ここから出れると思ったときは本当に嬉しくて、思わず笑ってしまったぐらいだ。マティアスは部屋を出る瞬間だったから、気づかれてはいないと思うけれど。
マティアスの家に行くのには馬車で五日ほどかかるらしい。今日はその小旅行の一日目。
「 お屋敷にはマティアスのお母様がいるんだよね? 」
口調が少し子供っぽくなってるのは、久しぶりに人としゃべるようになって子供のしゃべり方を思い出したというか、口調が体に引きずられてきたのだ。
魔法に夢中になってたせいで王子だったってことにも気づかなかった訳だし、今度はちゃんと情報収集しないとね。
「 はい。母は残って、我が家が代々治めている領地管理をしています。父と兄は王宮に行くことが多いため、王都の屋敷を拠点に。妹は学園入試に向けて、少し前に王都の屋敷に住み始めました」
「学園? 」
「学園だ。俺たちも行ったよな 」
「 あっ…… ああ 」
「 学園は行かなければいかなくちゃいけないもの? 」
この世界にも学校があるのかと驚く。
「 いや、そんなことはない。王都にあるのは初等部だけだが、高等部まで行けばいい仕事につける。成績優秀なら簡単に奨学金はもらえるが、やっぱり貴族が多いな。エルの歳だと、もう入学しているな 」
レオニートが説明をしてくれる。
「 そうか…… 」
学校、ちょっと行きたいなって思ったけど。義務教育じゃないなら行けないかな。精神的には違っても同年代の友達はやっぱり欲しかった。
今度こそ最後まで学校通ってみたかったなぁ……。
でも、今は子供で親もいないし、魔法がある世界なんだ。この前の事件で、魔物には対抗できる奴がいるのはわかったけど、人間の方はどうなんだろう?
「 エル様は学園にお通いになりたいのですか? 」
エドナがエルに聞く。
「 いや…… そんなことない 」
そう言って外へ目をやる。
馬車の中の三人はこっそりと顔を見合わせた。
表情にも出さなかったが、エル様は学園に行きたいんだろうというのが分かったからだ。
「 途中入学も試験は難しいですが、できないことはありません!何年か勉強して、お通いになったらどうですか? 」
「 いいの? 」
「 もちろんです! 」
「はい!俺、勉強教える! 」
レオニートが急に張り切り始めた。
「 俺、先生ってやってみたかったんだよなぁ……。いっつもマティアスに教えてもらってばっかだったから…… 」
何か辛いことを思い出してしまったのか、遠い目になっている。
「 マティアス様は頭がよろしいんですね 」
エドナの一言がレオニートにとどめを刺したらしい。なにか虚ろな目で何かを呟いている。
そのやりとりを聞きながら、俺はまた後ろへ流れて行く風景を眺めていた。
馬車は進む。目指すはウエストヴェルン家の本邸。
♢♢♢♢♢
ゴゴゴ……と地鳴りのような音を立てて目の前の巨大な扉が開く。
「 お帰りなさいませ! 」
扉の奥には……想像を絶する豪邸。いや、宮殿?その後ろには裏山とはすでに呼べない、森。
そして、扉からお屋敷までへの長い道の両側にずらりとならんだ人たちが一斉に頭をさげていた。全員ぴったり同じ角度で。もう……なんていうかすごい。
ここでようやくマティアスが言っていたのは俺を納得させるための嘘ではなかったのだと知った。
この人たちはここに仕えている使用人さんなんだろう。数えきれないほどいる。
びっくりして、固まってしまっていた。先に進もうとしているマティアスが後ろ振り返って自分を見ていたことに気づき、遅れないように慌てて後を追う。
通り過ぎた後ろの人たちがどんどん頭をあげていくのがわかる。
堂々と歩くマティアス、後ろにいるレオニートとエドナ。驚いているのは俺だけだ。
なんで気づかなかったんだろう。マティアスは貴族なのだ。生まれながらにして身分関係があり、それが当たり前のように受け入れられている世界。別に日本がみんな平等だったわけじゃない。偉い人だって沢山いたし、メイドさんだっていただろう。
それでも感じた。ここは違う、自分の知っている世界とは。
どうしてだろう。言葉が違う。文字が違う。顔立ちが違う。動物も植物も服も食事も違う。異世界だなんてずっと前からわかってる。
どんな治療だってやった。はじめは親が躊躇したほど副作用の強い薬は、しだいに迷うことなく投与されるようになり、終わりが近づくにつれ量が増えていった。俺の体は無事なところの方が少なくて、もうあれ以上はどうやっても生きられなかった。
頑張った。だから、最期も死ぬのを受け入れられると思った。でも、ダメだったのだ。
お屋敷に向かって一歩一歩足を進める。
そう。生きたいと思った叫びを誰か聞き届けてくれたのだろうか。願いは叶った。あの時夢見た健康な体。元気だった昔より体力もある。
やろうと思えば、なんだってできる。
それなのに、どうして。どうして、こんなに悲しいんだ。
違う世界に生まれた。
記憶を持ったまま生き返る、命をもらった代償としてそれは少なすぎるくらいだろう。自分が一番よく分かっていた。
この世界で、自分は一人。一生同じものを見て、前世の知識が元になった、俺と似た思考回路を持つ相手は現れないということだ。今更言葉にしなくても、そんなこと当たり前だと知っている。
痛む胸が気のせいなのかどうかは考えないようにした。




