2-11 安堵と恐怖
水翠宮。最も活気に溢れていてもおかしくない宮の裏寂れた一角にあるエルメルの自室はとても静かだった。
押しつぶされそうな沈黙の中で、マティアスはもう何日もベッドの横から動こうとはしなかった。
「エルメル様、申し訳ございません! 自分のせいで、こんな……こんなことになってしまって。申し訳ございません。早くお目覚めになって下さい」
彼の主は救出された後から、まだ一度も目覚めてはいなかった。
騎士団の建物を爆破し、エドナとレオニートの協力でそのまま誰の目にも触れないようにここまで連れてきた。
我を忘れてエルメルを抱え走り、ようやくたどり着いた私室で、エルメルをベッドに横たえたときの絶望をマティアスはこの先忘れることはないだろう。
その小さな体には、見ているのも痛々しいほどの傷が無数に散らばっていた。
早く傷の手当をしなければと絶望で震える手で触れたのは、擦り切れ所々どす黒く染まった布切れ。それが、最後にエルメルに会った日に自分が選んだ服の成れの果てだと気がついた時にはマティアスは体の力が抜け、崩れ落ちていた。
「彼女の言った通りならそろそろ目を覚ましておかしくないはずなのに……」
マティアスは西日が差し込んでいることに気づき、立ち上がって窓の前に立った。誰が手入れしているのかも分からない庭が見える。
マティアスにはカーテンを閉めながら、最初に医師がきたときのことを思い返し始めた。
レオニート経由で伝えられたのか、エルメルの元へ派遣されたのは王族の体調管理を任されている医師であった。
医師が部屋にやってきたとき、マティアスは非常に驚いた。考えてみれば、当たり前のことだ。実の息子が死にかけているのだから。しかし、今までの王の対応はそれほどまでに冷たいものだったのだ。
エルメルを診察した医師は女性で、ベッドの横で何も出来ずにオロオロしているマティアスにこう言った。
普通なら死んでいてもおかしくないほど酷い状態です、と。
マティアスはその時になってようやく自分の愚かさを知った。結局は何の覚悟も出来ていなかったのだ。
瀕死のエルメルを見て、マティアスは思った。
きっと、この方は許されない暴力に黙って耐えていたんだろう。自分が助けなかったから、こんなことになったんだ。
その考えを読み取ったのか、それとも気づかぬうちにマティアスが口に出していたのか、医師は包帯を巻きながら首を横に振った。
「それは違うと思います。手首と足首を見てください」
言われるままに、マティアスはエルメルの手首を取った。縄の跡が赤くつき、皮膚が擦り切れている。
痛そうだ、とマティアスは顔を歪めた。
「これは、彼が必死に逃げようと、助かろうと暴れたからできた怪我です。喉も一体どれだけ叫んだのだろうと思うほどに腫れていました。黙って耐えていた? そんなことはありません。彼はずっと戦っていましたよ」
医師の話を聞いて、マティアスは無意識に手を握りしめていた。
ずっと叫んでいた? ずっともがいていた?
いつも人形のように座っている、じっと本を見ている主の姿しか知らないマティアスには全く想像出来なかった。
「普通ならもう助からない状態ですと言いましたが、今命があるのは彼の異常なまでの回復力によるものです。安静にしていればいずれ目を覚ますでしょう。その頃までには多少なりとも傷も良くなるはずです。ただし、この脇腹の深い傷は痕が残ってしまうと思われます」
医師は診察と治療を終えて、そう告げた。
そして、マティアスに包帯の変え方など看病の方法について話した。
「それでは、私はこれで。これから毎日様子を見に顔を出しますが、何かあったらすぐに連絡してください」
出て行こうとする医師に、ありがとうと力の抜けた声で答えた。実に的確で素早い治療だったと思う。だが、その時のマティアスには感謝を十分に伝える気力もなかった。
感情が混ざり合い、おかしくなりそうだった。黙っているのもつらくて、叫びだしてしまいそうだった。
すぐにドアを開けて出て行くと思った医師が戻ってきたので、マティアスは不思議に思ってエルメルから目を上げた。
彼女は一瞬躊躇して、口を開いたのがわかった。
「これは……医師ではなく、二児の母親としての意見です。過ぎることを申し上げますが、お許しください」
そう言われれば、医師は確かに子供がいるような歳の女性であった。こうやって複雑な立場のエルメルを診てほしいと言われるほど、信頼がある医師なのだろう。
マティアスは頷いて、彼女の次の言葉を待った。
「子供はたとえ血が繋がっていなくとも、自分のことを本当に受け入れてくれる存在には心を許すものです。子供は敏感です、自分に向けられた感情に……特に賢い子なら尚更」
それだけを言うと、彼女は一礼して出て行ってしまった。
その日から何日も経った。死んでしまったように眠り続けているエルメルの横で、マティアスはずっと言葉の意味を考えていた。
エルメル様の何もかもが分からない。
王に命じられ、殺そうと計画まで立てた相手。
本当は最後まで迷っていた。エルメル様を連れ出し、あのままどこか遠くへ逃げてしまおうと考え、実は資金もすべて用意していた。もちろんそのことは誰にも言っていなかった。
そうやって殺したくないと思う一方、ぽっかりと心が抜けてしまったような王子が怖かった。自分とは何か違う存在のようで。
一方、エルメルは自分の存在を認めてくれていたとは到底思えなかった。
マティアスはエルメルに会う前に、“出来損ないの子 ” だと聞かされていた。だから、何があっても普通の子供とは違うから仕方ないのだと諦めていたのだ。
でも、実際はどうだろう。
抜け殻だと思っていた王子は本当は話すことができ、魔法も使うことができた。
すでに事件から数日経っていたので、同行した騎士アロイスから話を聞いたエドナから、エルメルが魔法を使って残りの魔物を殺したことを知っている。
「自分はとんだ勘違いをしていた、ということですか」
包帯を変え終わり、マティアスは目を伏せてひとり言をいう。
今日もエルメル様は目覚めない。エドナにいつもと同じ伝言をしようと、腰を浮かせた時だった。
「うっ……」
衣擦れの音に掻き消されてしまいそうなほど小さな呻き声がした。
マティアスは慌てて、ベッドへ駆け寄る。
「エルメル様っ!?」
身を乗り出して、エルメルの顔を覗き込んだ。
うっすらとだが、目を開けていた。
「エルメル様、よかったです。お目覚めになったんですね!」
意識が戻ったことは嬉しい。ただ目が覚めれば、今度は怪我の痛みに苦しめられることになる。マティアスはそれが心配だった。
エルメルは焦点の合わない瞳を左右に揺らして、ゆっくりと口を開く。
「……怪我、だいじょう、ぶ?」
乾いた声で、エルメルが囁いた。マティアスは耳を寄せて、なんとか聞き取る。
「痛みますか? 医師によると、安静にしていれば治るそうですよ。すぐに、お水と薬を持ってきますね」
慌てて席を立とうとするマティアスをエルメルは引き止めた。
「ちが……う。せなかの」
背中の傷が痛むのだろうか? 傷はむしろお腹の方に多かったはずだ、とマティアスは暫く悩んで、ようやく気がついた。
「もしかして、私の怪我のことをおっしゃっているのですか?」
エルメルはマティアスの言葉にこくこくと頷いた。
「かなり良くなっております。普通に動き回ることもできますよ」
「……よかった」
エルメルは弱々しく笑った。いや、その表情はほとんど変化していなかったが、マティアスにはエルメルの声が柔らかくなり、どこか安心したように思えた。
ご自身がこんな大怪我されているのに、自分の怪我を心配してくれたことにマティアスは驚いていた。
(なんてお優しいんだろう!)
今まで人形のようだったのに、きちんと喋れて言葉を理解していたり普通に意思疎通ができていることに対する疑問はどこかへ遠くへ吹っ飛んでしまい、唯々主の優しさに感動していた。
感動で硬直しているマティアスをよそに、エルメルはベッドのヘッドボードにもたれかかろうと試みていた。しかし、体を起こそうとした瞬間にくぐもったうめき声を漏らしてしまい、その苦しそうな声はマティアスを我に返らせた。
「ご無理をなさらないで下さい! まだ横になっていないといけません」
寝かせようとするマティアスに、エルメルは嫌だと首を振る。結局先に折れたのはマティアスで、エルメルは手伝われながら何個も枕を重ねた場所に背を預けることとなった。
「夢、じゃない。本当に助かったのか……。マティアスさんが助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
エルメルは自分の手をマジマジと見て、ほっと安心したように息を吐くと、マティアスの方へ向き直ってぎこちなく頭を下げた。
マティアスは慌てて、エルメルを止める。
「頭を下げられるようなことではありません。自分がしっかりしていなかったばかりに、エルメル様をこんな目に合わせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
頭を下げたマティアスは固く目を瞑り、エルメルの言葉を待った。お前は従者失格という言葉を。
これは自分の責任だ。エルメルの看病をしながら、主の身を守れないなど、従者として最悪だと自分を責め続けていた。
もうそばにはいられない。
今後何らかの理由をつけて、国内外へエルメルの存在を明らかにするだろう。王位を継ぐことは無理でも、この国の王族として然るべき責任を果たしていくに違いない。
マティアスは手に汗が広がり、鼓動が早くなっていくのを感じた。
緊張ではなかった、マティアスの感情を支配していたのは絶望だった。
エルメル様が成長した、その未来にも周りには自分の姿はないと考えるだけで、息が苦しくなってくる。
マティアスはすっかりエルメルという存在を失いかけて始めて、いつの間にかかけがえのない相手になっていたのだと知った。
外界から切り離されてしまったかのように静かな部屋。窓際の椅子に腰掛け、読んでいるのかわからない本を、じっと眺める主。
不気味なほどに整った顔に、決して感情を表さないエルメルを見ながら、何を考えているのだろうと思いを巡らせる。持ち込んだ仕事を始めると、時折エルメルがページを捲った音がする。
春は気持ちの良い風が部屋に吹き込み、夏は虫の声が、秋は庭から僅かに見える草花が枯れ始め、冬は暖炉の中で薪が爆ぜる。
一年が巡っても、エルメルとマティアスの行動は変わらない。ただ、互いに思い思いの行動をするだけ。
何の面白みもないと思った、あの日々はマティアスの日常だった。
怖い、何を考えているのかわからないと思ったことはあっても、数年を過ごしたエルメルはマティアスの中で主となっていたのだった。
「それは…… 」
エルメルが口を開き、マティアスは手に力を込めた。
エルメルは、マティアスが想像していたよりもずっと澄んだ声をしていた。
「それは……俺も一緒です。庇って怪我をさせてしまって、ごめんなさい」
マティアスは予想外の反応に、顔を上げた。
エルメルはさっきよりも深々と頭を下げている。声にこそ出さないが、脇腹を抑えているところを見ると、体を動かして痛むのだろう。
「あれは当然のことをしたまでです。気になさる必要はありません。エルメル様! 自分に一度だけ、もう一度だけ従者として仕えるチャンスをいただけないでしょうか。 今度こそエルメル様をお守りさせて下さい。お願いします。あとマティアスと呼び捨てにしてください」
エルメルの姿を見ているうちに、マティアスはこのまま別れたくないという感情が湧き上がってきた。
言葉を失い、キョトンとしている(気がする)エルメルに、マティアスはお願いしますと迫る。
「此方こそ、よろしくお願いします……?」
エルメルが少し身を引いて困ったように言った。
王への報告。王子としてやっていけるかどうかの見定め。
もうやめさせて欲しいと申し出よう。自分は王の従者ではない、目の前の方に忠誠を誓ったのだ。
マティアスが本当の意味で、第三王子付き第一従者となった瞬間だった。
♢♢♢♢♢
「エルメル様、もう頭を下げるのはおやめになって下さいね」
エドナが持ってきた食事をエルメルに渡しながら、マティアスは言った。
食事といっても、しばらくまともなものを口にしていなかったエルメルのために、胃に優しいものを用意していた。連絡するとエドナが驚くほどすぐに食事と水を持ってやってきたのは、彼女もずっと回復を信じて、いつ呼ばれてもいいように備えてきたからに違いない。
大きな病気などもしたことはないマティアスは、初めて見る病人食を見て戸惑ったが、エルメルは特に抵抗もなく嚥下していたのでよしとした。
「なんで?」
心底不思議そうにエルメルは聞き返す。
「身分ある方はそうそうそのような姿を見せるものではないのです。特にエルメル様は王子なのですから、立場という……」
水をコップに注ぎながら、マティアスは視界の端にうつるエルメルの動きが止まったことに気がついて顔を上げた。
「お、お……王子?」
「はい。王子、です」
「えっと、うそ……でしょ、う?」
瞳を不安気に揺らして聞いてくるエルメルに、マティアスはきっぱりとした口調で告げた。
「エルメル様は紛う方なき王子でございます」
スプーンがベッドの上を転がり、音を立てて床の上へ落ちた。
マティアスはどうしてエルメルがこんな反応をしたのか分からず、困ってしまった。
もしかして、怪我の所為でなにか体に支障をきたしているのだろうか。それとも、記憶に障害でも……?
マティアスは一旦場を仕切り直そうと、いずれ伝えようと思っていたことを話すことにした。
「王からは、『今回のことは悪かった。体が回復するまでこの部屋でゆっくりと休養するように』と仰せつかっております。その後は、エルメル様の自由にしてよい、とも。何か希望があれば聞き届けてくださるそうです。ですから、今はゆっくり休んでください」
そう言って、マティアスは食事を下げ、エルメルに寝るように促す。
場所を移さずに、しばらくはこの部屋を使おうとマティアスは考えていた。
ここは狭いが、誰も来ないという点は好都合だ。エルメルを王子として国民に紹介するにあたって、今までの境遇をありのまま説明するわけにはいかない。時間をかけて、考える必要があった。
その後はこの宮の中心に部屋を移すことになるはずだ。ここよりも何倍も広く、警備がしっかりしていて、一年中花が咲き乱れる庭が見える場所へ。
「本当に、何でもいいのかな?」
「ええ、どんなことでも」
マティアスが『エルメル様は王子の資格あり』と報告したとき、王は顔をあげず、そうかと一言呟いただけであった。
指示はその後、当主である父から伝えられた。
今回のことをどう思っているのか分からないが、エルメルに非がないのは事実。マティアスはある程度のわがままならば聞き届けられるだろうと考えている。
もう一つ宮を作るとか、どこかの土地が欲しいとか。
エルメルの言葉で、何か欲しいものがあるのだろうと予想する。思い返してみると、マティアスはおもちゃなどをエルメルの部屋に持ってきたことはなかった。
それどころか、この部屋には何もない。いつからあるのか分からないほど古ぼけ埃をかぶった本と、家具だけ。殺風景という言葉がこれほど似合う部屋はないような気がした。
なぜ今まで気が回らなかったのだろうと反省する。
レオニートに頼んで、色々なおもちゃを手配してもらおうと心の中で計画を立てた。
「じゃあ、王子をやめます。今日限り。そう伝えてもらえる?」
「はい、かしこまり……。おおお、王子を? え?」
マティアスははいはいと頷いてから、我が耳を疑った。
エルメルは王子をやめると言った。大きな責任も伴うが、ようやく認められた恵まれた立場を捨てるという意味がマティアスには理解できない。
「それで、それからどうなさるおつもりなので……?」
悪ふざけなのかもしれないと考えたマティアスは恐る恐るエルメルに問いかける。
「とりあえず町に出て、住む場所を探して働いて、それから……」
「ちょっと待って下さい! それは本気なのですか?」
真剣に考え始めてしまったエルメルを止めて、マティアスは自分を落ち着かせようとした。
「うん、本気」
王子といっても小さな子供だ。適当に言いくるめて、寝かしつけてしまえばいい。
普通ならそう思うのだろうが、エルメルの目を見たら、そうは考えられなくなってしまった。曲げない意思を感じたのだ。
「結果はどうなるか分かりませんが、確かにエルメル様の御意志、お伝えします。ただし、市井で暮らすのはおやめ下さい。よろしければ代わりに、我がウエストヴェルン家の本邸へいらっしゃいませんか? もちろん私もエドナもお供させていただきます」
「でも、急にお邪魔したら悪いから……」
エルメルが断ろうとする素振りを見せた。
「ご安心ください。現在本邸の方には母しかおりませんゆえ、手は余っております」
「いや、部屋とか開けてもらうのも迷惑になるし……」
「ウエストヴェルン家は仮にも、王家からマーキスの名を拝命している貴族でございます。その名に見合うだけの屋敷を構えているつもりです。空いている部屋なら幾らでも、エルメル様のご希望の部屋を必ずご用意してみせます」
アリメルティ国西部一帯を取り仕切るウエストヴェルン家の本邸。庭という名の広大な森と湖を持つ屋敷は、エルメルの傷を癒すのにもピッタリなように思えた。
「じゃ、じゃあよろしくお願いしようかな……」
エルメルはマティアスの気迫に押されて、コクコクと首を縦にふった。
「了解いたしました。それでは、これから連絡等をしてきます。もう夜も更けてまいりましたので、お休み下さい」
エルメルが自分の屋敷にくるかもしれない。ただそれだけなのに、マティアスの気分は弾んでいた。
「マティアス!」
部屋を出て行こうとするマティアスは、エルメルに呼び止められて振り返った。
「どうかいたしましたか?」
「これからはエルメルじゃなくて……エルって呼んでよ」
王子としての名前を捨てたい。絶大な影響力を持つ家名も捨てて、ただの “エル” に。
つまりはそういうことか。マティアスは王家を出たいという覚悟を知った。
しかし、そこでふと不思議な点に気がついた。
普通なら、この大国の王家の血筋を引くものが長期的に外で暮らすなんてことはあり得ないことだ。学園を卒業するまでは王宮内で過ごし、考え方によっては非常に不自由な生活を強いられるだろう。
しかし、エルメル様は違う。目の前の立場を捨てて、誰にも知られることなく、自由な生活を手に入れようとしている。
つまりは、今までの王子が誰も辿ったことのない道を行こうとしている。
そういう星に生まれついた方なのか。不思議な運命だ。
そこまで考えて、マティアスは部屋を照らし出していたランプを消そうとした。
その直前、エルメルの小さな独り言が聞こえた。
「……ようやく外に出られるなぁ。本当に長かった、ずっと……」
マティアスは思わずエルメルの表情を盗み見る。
暗くなる前一瞬見えた、エルメルの狂気を孕んだ表情。無表情の中に垣間見えた、まるでこの世の全てを破壊してしまいそうな恐ろしい激情。
たった一瞬の出来事だが、マティアスの脳裏に強烈に焼き付いた。
逃げるようにエルメルの私室から飛び出たマティアスは、胸に手を当てて考えた。
あれがまだ幼い子供がする表情だろうか。
まるで、こうなることを長いこと待っていたかのような台詞。
( もしかして、エルメル様はこうなることを知っていた……?)
マティアスは根本から考えを改めてみる。
もし、あの無能なプリンス・ドールからエルメル様の計画通りだとしたら? 周りに魔法の使えない王子だと思わせて。
そんなはずはない。赤子の時から演技をしていたということになる。演技は完璧で、誰にも見破ることはできず、事件は起こった。
マティアスは浮かんだ可能性を否定しようとして、恐ろしい事実に気がついてしまった。
イェデンの監視に気がついたのはお生まれになってから一年も経っていないころだった。
一日中猛毒のミルクを横にして、口をつけなかったのは、メイドの思惑を知っていたからではないか?
従者である自分にも話しかけなかったのは、王の密命を受けていると分かっていたから?
『……ようやく外に出られるなぁ。本当に長かった、ずっと……』
エルメルの言葉が何度も頭を回って、離れない。
マティアスは背筋が凍りつくのを感じた。




