2-5 神様と横転
神様降臨
主人公視点に戻っています
その日も昨日までとなにも変わらない日だった。
どの体勢が一番臀部に負担がかからないか実験をする。初日の反省を生かして、誰も見てないのをいいことに俺は膝立ちで過ごしてみたりといろいろやっていた。
その日はお尻を座席につけないということを一番に考えて座席で土下座の体勢で過ごしていた。
はじめの頃に比べて馬車の揺れも少しは収まったし、その日の体勢が意外と良く、これからはこれでいこうかと検討している時だった。
突然馬車が大きく揺れ、俺は鼻を座席に強打した。想像できると思う。土下座の態勢は顔が座席のすぐそばにあるから、跳ね上がった身体の重さがかかって鼻一点にきたのだ。
痛みで涙が滲む。鼻を押さえて顔をあげて、一人で必死に耐えていた。
やっと鼻がジンジンするというところまで痛みが収まった時、本気で鼻が曲がったんじゃないかと心配して、ピカピカに磨かれた金具に顔をうつす。
……これが俺の顔か。
金色の金具にはあどけない顔をした子供がこちらを覗き込んでいる。鏡を見ない生活をしていたので、久し振りに見る顔は前より成長していた。きっとかっこいい、のだろう。地球では。
しかし、ずっとマティアスさんの顔を見続けた俺は自分の顔がいいのかは分からない。ああ、このことを考えるのはやめたほうが良さそうだな。悲しくなってくる。
ため息をついていると、今度は突然馬車がグルングルンと横転し始めた。
俺もどうすることもできず、一緒に回転する。その途中で自分の爪で顔を引っ掻いてしまった。反射的に鼻を抑えていた手がぶれてしまったのだ。
なんだ!?
俺はパニックになる。
慌てて馬車から出ようとした時に、マティアスさんの言葉を思い出した。
━━━「 決して外にお出になりませんよう 」
もしかして、まだ外に出てはいけないのだろうか?
こんなことなら、馬車がぐにゃんぐにゃんになったときはどうすればいいのか聞いておくべきだった。それとも、これは普通のことなんだろうか?きてくれてありがとう的な歓迎のしるしとか、もしかしたら馬車を転がすことで俺が本当にマスターになれるのか試しているのかもしれない。おそるべし、異世界。
でも……実は顔を見ている時、叫び声が聞こえた。あの時は鼻が痛かったし聞き間違いかと思ったけど
やっぱりなんか起こったんだという確信が生まれる。
止めていた手を再び動かし、壊れた馬車の残骸を押しのけて外に這い出る。外に出た部分から雨に濡れ、体が少しずつ冷たくなっていった。
ようやく足が馬車の残骸から抜けたところで、俺は顔を上げた。雨が降っていて視界が悪い。
こっちに走ってくるマティアスさんに気づく。
なぜそんなに急いでいるのかわからなくて、彼の動く視線の先を追った。そこにいたのは俺のそばの映画やアニメでみたことのあるような醜悪な魔物。
逃げなきゃとわかっているのに、それから、その魔物から目を離せなかった。恐怖で足がすくんでいるのだ。
残像を残しながら目の前にせまってくる鋭い爪。
「 危ないっ! 」
そう叫ばれたのと同時にどさっとなにかがぶつかった衝撃で倒れ、俺の視界は雲の覆われた空でいっぱいになっていた。
まさか!? その時には嫌な予感が俺の胸を占めていた。 上にのっている人の身体がびくりと痙攣したのがわかり、慌てて上半身を起こす。
「 エルメル様が……無事で…… よかった…… 」
弱々しい声が俺の耳に届く。いつも凛々しく響いていた声が。
一緒に起き上がるはずのマティアスさんがずり落ちたので、咄嗟に背中をおさえた。
ぬるりと手をぬめった。冷えた指先に伝わる熱。
真っ赤に染まった俺の右手。
それが何を意味するか、考えなくてもわかった。俺がよく知っているものだ。
同時にマティアスさんの言葉について考える。
"エルメル”
それがここでの俺の名なのか。聞き慣れないものでも、初めて名を呼ばれて実感する。夢ではない、確かにここにいて、目の前のことは現実なんだと。
どうしてだ! なんで…… 俺を…… 庇ったんだ!!
真っ赤な手を力強く握りしめると血が一滴、ぽたりと落ちて、溶け合うように水たまりに消えていった。
6年前体験した“死”がまたやってきている。今度は俺の代わりに違う人の元へ。
だめだ!
身体が熱くなる。
彼を死なせたくない。死んだらだめだ。
死んだら何もなくなる。違うな。家族や友達に深い傷跡を残して消えるんだ。俺はそれを知ってしまった。
彼にだっているはず。今の俺にはもういない家族が、恋人が、友人が。俺はマティアスさんの名字も年齢も知らない。
でも、代わりに彼を見てきた。
俺なんかを庇って死んじゃダメなんだ!!
はやく病院に連れていかないと!
そのためには、お前が、じゃまだ
かっとなった頭ではへなちょこ魔法でこいつにかなわないから、逃げようなどという考えは頭に浮かばなかった。
血の巡りが活発になり、身体が燃えるように熱くなる。
「 無理… で… す… おやめくだ…… エル…… 」
マティアスさんがとめてくれても、このままじゃ引き下がれない。彼を見捨てるなんて絶対に出来ない。
幸い、今日は雨の日だ。
ああ…… 本当に熱い……
♢♢♢♢♢♢
俺のアドレナリンが魔法にどう影響したのかわからないが、今目の前にいる魔物はあっさりと倒すことができた。やっぱり雨の日はやりやすい。
マティアスさんの様子を確認する。
背中をざっくり切られているのはわかったが、あいにく俺には医療知識がない。無知なことがもどかしかった。
近くに兵隊さん?のような人がいる。こんな森で偶然通りかかったわけではないだろう。俺は一度も外に出てなかったから会わなかっただけで、一緒に旅をしていた人に違いない。
「 怪我の…… 」
治療はできますか。と聞こうとしたときだった。兵隊さんなら軍でそういう訓練も受けているはずだ。しかし、彼は俺の言葉を聞く前に叫び出してしまった。
「 うわあああぁぁあ 」
腰を抜かして、俺のはるか頭上を指さしている。
彼の驚き方からすると、やっぱりアレは……
「 うぁわああああぁ 」
魔物だったんだ。
俺がマティアスさんを揺らさないようにそっと後ろを振り返ると、そこには体中一面にベタベタとはりついた眼球をすべて氷に刺された魔物がいた。
もちろん俺の氷だ。
さっきいるのはわかっていたんだが、攻撃していいのかわからなくてそのままにしておいた。
眼という弱点を明らかにさらけ出している分さっきのやつより弱そうだったし…… あまりに大きいから、山の神様かなんかかもって思ったんだ。ああいうのいるよね?自分の縄張りで騒いでるから確認しにきたとか。
でも、さっきの人の叫び声は明らかに恐怖しか含まれてなかったし、なんか嫌な予感がしたからとりあえず氷の槍を後ろに向かって飛ばしまくった。的大きいし、絶対当たるだろって思って。
こんなにみんな命中するとは思わなかったけど。
問題が解決したところで、今度こそマティアスさんの怪我を!そう思って、兵隊さんに声をかける。
「 あの…… 」
「 今すぐ手当いたしますっ! 」
俺が声をかけただけで彼は腰を抜かしたまま地面をつかんで後ろへ下がっていき、なんとか立ち上がると、馬車の残骸へ向かって走り出していく。どうも治療の道具をとりにいってくれているみたいだが、なんだか魔物を見たときと俺の顔を見たときの態度が似ていたことが気になった。
俺の目って二つしかないよな?
それともそんな怖い顔して頼んだのかな? 不安になってつい顔を触って確認してしまった。