ドキッ?! ピンク髪だらけの動物園
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「布が……足りない」
支配人だという男に渡された衣装を手に、わたしは途方に暮れていた。
契約書にサインを済ませたわたしは、このまま今日から働けという支配人に更衣室に放り込まれたのだ。
とんでもなく切り込みが深い、ハイレグのレオタード。
捻挫必至の10センチピンヒール。
ほとんど素肌を隠す気のない、網目模様のストッキング。
極めつけはウサ耳カチューシャと、まん丸の尻尾。
「……クソッ! バニーガールかよ!」
あんな非人道的な契約を結ばせておいて、布面積の少ないバニーにいったい何をさせようというのか。
嫌な予感しかしない。
だからと言って、ここで呪詛の言葉を吐き続けていてもどうにもならない。わたしは渋々衣装に袖を通すと、両手で頬を叩いて気合を入れてから戦場へ向かった。
契約書の恐ろしさのわりに、仕事内容は普通だった。
ほんのりと薄暗い会場の上に、魔法仕掛けのシャンデリアが煌めく。ふかふかの絨毯は、気をつけないとピンヒールが引っ掛かりそう。
供される酒や料理。カードゲームや玉突きの台。座って酒を嗜む人。ちょっとした賭け事を楽しむ人。
仕立ての良い衣装に身を包んだ男女が笑いさざめく中を、シャンパングラスを載せたトレイを片手に縫うように歩いていく。
話しかけてくる酔客と中身のない会話をしたり。
尻尾を引っ張ろうとする客をするりと躱したり。
食堂で培った人あしらいで十分対応できそうだ。心配するほどのこともなかったかもしれない。
あの契約書を見たときから張り詰めていた心がじわりと緩んでいくのを感じた。
見る限り、従業員はほとんどがピンク髪だ。ピ課税のせいで食い詰めた者が多いせいだろうか。
女性は露出度の高い衣装、男性は蝶ネクタイだが、皆それぞれ猫耳、犬耳、鳥の羽など、動物を思わせるアイテムを身に着けている。
……動物園みたい。わたしたちに人権はないって言われてるみたいで、なんか気分悪い。
(この裕福そうな人たちには給付して、わたしたちから徴税するなんて、絶対におかしい)
尻尾と合わせて笑顔を振りまきながら、わたしは心の中で毒づいた。
ドリンクを補充しにバックヤードへ戻ると、何人かの従業員が厨房の隅にしゃがみこんでいた。
「……なにしてるの?」
声をかけると、羊の角を付けた給仕の女の子が手招きした。
隣にしゃがみこむと、口の中に何かを放り込まれた。
瞬間、濃厚な肉の旨味が口いっぱいに広がる。
「……うま! とろける~」
思わず目を閉じて味わってしまう。肉の品質はもちろん、ソースとの相性が抜群だ。わたしは心のレシピメモにソースの味を刻み込んだ。
「ローストビーフ。の、端っこ。お客様に出せないやつ。ナイショね」
わたしは人差し指で唇を押さえるポーズをした彼女と、見つめ合ってにっこり微笑んだ。
ローストビーフのおかげで少し気分を持ち直したわたしは、上機嫌でフロアを練り歩いた。
ピンヒールのつま先がじんじん痛むけれど、セクシーポーズをする振りをして重心を逃がすコツもつかんできた。
わたしのトレイのグラスに手を伸ばすお客様がいたので、恭しく差し出した。好々爺然とした老人だ。
視線が絡み合った瞬間、わたしの視界は怒りで赤く染まった。
わたしは、こいつを知っている。
「……バニーか。いいじゃないか」
無遠慮に触れようとしてくるのを、「うさぎちゃんはお触り禁止ですよう」と、茶目っ気たっぷりなオーバーリアクションで躱す。
ぶりっこポーズでうふふと笑っている間も、心臓がバクバクと高鳴っている。
お客さんが忘れて行った新聞の見出し。笑顔で握手を交わす男たちの姿絵。
──ピ課税担当大臣、ヴィルヘルム・ド・グラナート。
すべてこの男のせいだ。重税に喘いでいるのも、グレーな仕事に手を染めたのも。
(転んだふりして赤ワインでもぶっかけてやらなきゃ気が済まないわ)
わたしは踵を返して男たちの後を追った。
男たちはだいぶ酔っているのか、あちこちにぶつかりながら奥へ進んでいく。
遊ぶ台を探しているわけじゃない。しっかりと目的地がある人の歩き方だ。
酒のせいで大きくなっている話し声に耳を欹てながら、不審がられないようじりじりと距離を詰めていく。
「しかし、ピ課税なんてよく思いついたものだ」連れの男が言った。
「正直、予想以上だったな」グラナートが満足げに応じる。
「こいつらも災難だったな。べつに課税されるのは何色でもよかったのに。必要なのはただ、“国民の過半が、自分には関係ないと思い込むこと”だけ」
連れの男は酒を飲み干すと、床にグラスを放り捨てた。ふかふかの絨毯に落ちたそれは、犬耳のボーイに速やかに回収される。
「あいつらは俺よりうまくやっている。だから虐げてもいい。そう教えてやれば、あとは蒙昧な大衆どもが勝手に『虐げてもいい理由』を作り上げてくれるってわけだ」
わたしの血が、沸騰した。
「暗愚な大多数どもに目を逸らさせ、できた空洞……そこに溜まる蜜には、我々が啜ることのできる旨味が、たっぷり」
(……こいつら……。許せない)
素晴らしいジョークでも思いついたように笑う男たちに飛びかかろうと踏み出した瞬間。
背後から大きな手で肩を掴まれた。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!
次回、「他言無用」 明日21時更新予定です。




