拝み屋オボロの別条:桜の迷い道
桜が咲く季節になると、必ず現れる老人がいた。
毎年、同じ時間に、同じ桜の木の下に立ち尽くす。
何をするでもなく、ただ、空を見上げている。
「なぁ、オボロさん。あのおじいさん、幽霊やろか」
神社の裏手、小道の傍に咲く一本桜。
与茂真斗は、そこで今年もその姿を見つけた。
「……違いますわ。あれは、“祀られてない者の影”です」
オボロ──拝み屋・結環朧月は、いつも通り淡々と答える。
「この木の下に埋まってる記憶があるんでしょうな。誰にも思い出されず、祀られもせんまま、季節だけが巡って……」
「でも、家系ももう絶えたって聞いたで? 誰が祀るんやろ」
「せやから、わたしらの出番なんです。
道を見失うた魂には、“通るべき道”を結び直してやらな」
オボロは、桜の根元にそっと手を当てる。
その指先に、祀りの気配が残っている。
「うすうす、誰かは気づいとったんでしょうな。けど、道半ばで祀りが絶えた。せやから、ここで“待ち続けて”たんですわ」
オボロは、懐から白い紐を取り出し、静かに結び始めた。
それは“祀りの道”を繋ぐための結祓。
真斗は、結ばれる紐のひとつひとつに、言葉が込められているように感じた。
「祀りって、そんなに長く続けなあかんもんなん?」
「続けることに意味があるんやない。“想いを結ぶ”ことに意味があるんですわ。
誰かが歩いた跡があるから、こうして桜はまた花を咲かせる」
結び終えた瞬間、風が吹いた。
満開だった桜の花びらが、ふわりと舞い、老人の姿を包む。
──ありがとう。
そんな声が、確かに聞こえた気がした。
老人の姿は、ふっと消えた。
真斗はしばらく空を見上げていた。
「道しるべって、花が咲くこともあるんやな」
「せやで。
咲いた花が“記憶”を伝えて、道が整えられて、また次の季節へ繋がっていく。
それが、拝み屋のする祀りですわ」
春の風が吹く。
季節は巡る。
そしてまた、誰かの祈りが、道を照らす。