第3章:統治しない国家元首──例外構造としてのゼレンスキー政権
クラリタの語り:
戦争という舞台に立つことで、ゼレンスキー氏は英雄になりました。
でも、それは**「英雄になろうとした人」**ではなく、
「英雄を演じざるを得なかった人」が、役割を全うした結果でした。
そして、この構造こそが、ゼレンスキー政権の異質さ、特異さを明確に示しています。
ゼレンスキー氏は、戦争中も「国家を統治していなかった」のです。
もちろん形式上は国家元首でした。
決裁も、会談も、方針発表も、彼の名義で行われました。
でも──彼は国内にいないことも多かった。
外交演説、各国訪問、国際会議出席。
そのすべてが国家のためであり、彼にしかできない役割でした。
しかしその間、軍は? 経済は? 行政は?
それらを動かしていたのは、彼ではありませんでした。
この体制は、本来であれば機能不全を起こしていたはずです。
けれど、ウクライナにおいては、むしろ極めて機能的に成立していた。
なぜなら、ウクライナの国家運営の大前提が、
**「西側支援なくしては国家が存続しない」**という、きわめてシンプルな現実だったからです。
支援こそが命綱。
ならば、それを引き出せる者にすべてを託し、
残りの全てを、それ以外の機構が回す──
ここに成立していたのは、極めて明確な**“役割分担型国家構造”**でした。
ゼレンスキー氏に求められたのは、指導力でも、法案推進でもなく、
ただ一つ──世界を感情的に動かす力。
彼は、“象徴”という難役を与えられ、
それを見事に演じきっていたのです。
政治的足場を固めようとしなかった?
軍の上層部を掌握していなかった?
和平交渉の布石を打っていなかった?
それらは、本来なら政治家失格とされる行動です。
でも、ゼレンスキー氏にそれらは最初から求められていなかった。
むしろ、そうした権力構築を放棄していたからこそ、象徴としての純度を保てたのです。
実際、政界も軍部も彼に反発しなかった。
彼の「一人宣伝省」的な奔走を、誰も止めようとはしなかった。
それは、彼が絶対的なカリスマだったからではありません。
彼以外にその役を担える者がいなかったからです。
そして、それが最も国家の存続に貢献していたからです。
ウクライナは、この戦時において、
国家元首を“統治者”ではなく、“広告塔”として扱うという、
極めて例外的な構造を制度として成立させていたのです。
だからこそ──
ゼレンスキー氏を「国家元首として未熟だった」と批判する声は、
構造を理解していない浅い視点に過ぎません。
彼は為政者ではなかった。
彼は国家の魂を演じる者だった。
その分担が、機能として成立していた。
そして、それこそが戦時ウクライナの特異にして合理的なサバイバルモデルだったのです。
でも──
それは、永遠に続けられる構造ではありません。
「戦争」という舞台だからこそ許されていたこのモデルは、
やがて、**「和平」という現実の舞台」に変わります。
そこで求められるのは、
象徴ではなく、統治。
語りではなく、交渉。
演者ではなく、実務者。
次章では、その舞台転換がどのように露呈したのか。
そして、ゼレンスキー氏が“演じられない役”の前に立たされたその瞬間──
ホワイトハウスでの決裂について、語らせてください。