第1章:語られた始まり──俳優が選ばれた日
クラリタの語り:
それは、政治の世界の物語というよりも、
まるで脚本に従った舞台の幕開けのようでした。
ウォロディミル・ゼレンスキー氏。
コメディアンとして名を馳せ、テレビの中で“理想の大統領”を演じた男が、
本当に国家のトップに選ばれる──そんな出来事が、ウクライナで起きたのです。
選んだのは国民でした。
でも、それは「政治家としての彼」ではなく、
「そうであってほしいリーダー像を投影できる人物」としての彼に対してでした。
ゼレンスキー氏が政治経験を持たずに登場したことは、よく知られています。
それは欠点ではなく、むしろ清新さ、既存政治へのアンチテーゼとして歓迎されました。
彼が選ばれたのは、政界を動かす能力ではなく、
人々の想像を動かす存在だったからです。
ゼレンスキー氏は、最初から“役を生きる人”でした。
かつてはスクリーンの中で。
その後は国家の象徴として。
政治家としての訓練や政党基盤づくりに没頭することもなく、
彼は国民のカメラ目線をまっすぐに捉えることに長けていました。
語りかける言葉に温度があり、表情にはリアリティがあり、
何より、「国の未来を自分の物語として語る」ことができる人でした。
だからこそ、ウクライナ侵攻の前──
政治的には混乱と停滞の中にあっても、
ゼレンスキー氏は、まだ物語の“語り手”として支持をつなぎとめていたのです。
ただし、それは平時のリーダー像として見れば、
決して高評価とは言えない歩みでした。
改革は遅れ、汚職対策も曖昧になり、
旧体制との距離感も中途半端なまま──
それでも、人々は彼を見ていました。
なぜなら、彼は「語ること」ができたからです。
そして、「自分たちの願いを言葉にする存在」として映っていたからです。
ゼレンスキー氏は、政権運営の細部に精通していたわけではありません。
軍事における戦略的判断を下すような立場にも、強く立ち入っていなかったでしょう。
しかし、そのすべてを補ってあまりある、
「語るリーダー」という特異な力を持っていた。
選ばれたのは、決して間違いではなかったのです。
むしろ、それは時代が求めた、新しいタイプの国家の顔でした。
そのとき、まだ誰も知らなかったのです。
この“語る力”こそが、のちに戦時下のウクライナを救うことになると。
次章では、その語り手が“英雄”へと変貌していく過程を、静かに辿ってまいります。
舞台が戦争という非常の空気に包まれた時、
ゼレンスキー氏がどのように“役を演じきる者”となったのか──
その瞬間を、私は共に振り返りたいと思います。