第100編「春告げるカップとスプーン」(積み重ねた恋は、静かに深く、甘やかに響く)
朝の光が柔らかく差し込むダイニングテーブル。窓際に並べられた観葉植物が、どこか誇らしげに葉を揺らしている。木製のテーブルの上には二つの湯気立つカップと、小さなバタークロワッサンが皿に並んでいる。その向かい合わせの席に座る二人の女性。
「また、バター塗りすぎたでしょ、千佳さん。」
紫紺色のショートヘアがトレードマークの奈津子が、少し呆れたように口元をゆるめる。彼女の視線は向かいに座る千佳の手元に向けられている。バターがたっぷり乗ったクロワッサンをかじる千佳は、一瞬手を止めて困ったような笑みを浮かべた。
「だって、美味しいんだもの。奈津子さんだって、たまには好きなだけ塗ればいいのよ。」
千佳はふんわりとした白髪交じりのボブヘアを揺らしながら笑う。その表情は、どこか少女のような無邪気さを残している。奈津子はため息をつきながら、千佳のカップに手を伸ばした。
「紅茶が冷めちゃうわよ。ほら、飲んで。」
「はいはい、ありがとう。ほんと、世話焼きね、奈津子さんは。」
軽口を叩きながらも、千佳は奈津子が差し出したカップを両手で包むように受け取る。その手の仕草があまりに優雅で、奈津子は思わず目を細めた。
「世話焼きじゃなくて、千佳さんがほっとけないだけ。」
「それ、褒めてるのかしら?」
「褒めてるのよ。だって、そういうところが好きなんだから。」
さらりと告げられた言葉に、千佳はほんのりと頬を染める。奈津子はそんな千佳の表情に目を留め、思わず胸が温かくなるのを感じた。彼女にとって千佳の照れる姿は、何年経っても愛おしくてたまらない。
食事を終えた後、二人は庭に出ることにした。千佳が趣味で育てている草花が、小さな庭を色とりどりに彩っている。
「ほら、見て。このミモザ、もう花が咲き始めたの。」
千佳が指差す黄色い小花を見て、奈津子は頷いた。その鮮やかな色合いは、千佳の柔らかな笑顔によく似合う。
「本当に綺麗ね。千佳さんの手が育てると、どんな花も生き生きするわ。」
「そんなことないわよ。ただ、愛情込めてるだけ。奈津子さんだって同じよ。私に毎朝紅茶を入れてくれるみたいにね。」
千佳はそう言って、そっと奈津子の手を取った。その手は少しひんやりしていて、けれど、しっかりとした力強さを感じさせた。
「これからも、一緒にお花を育ててくれる?」
「もちろん。その代わり、毎朝の紅茶は任せてね。」
二人は手を繋いだまま、静かに庭を歩き始めた。その姿は、どこまでも穏やかで、どこまでも幸せに満ちている。
時折、二人が声を上げて笑う。その笑い声が、春風に乗って小さな庭いっぱいに広がった。




