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第9編「雨音に紛れる声」(言葉は雨に消えるけれど、想いは残る……永遠に……)

 「ねえ、愛って何だと思う?」

 雨が降りしきるバス停で、彼女は突然そう言った。


 傘もささず、濡れた髪を気にもせず、彼女は遠くの空を見上げている。その声にはまるで、答えを知っている人間がわざと問いを投げかけているような響きがあった。


 私は彼女を見つめながら、小さく笑った。

 「そんなの、自分で見つけるものでしょ。」


 「じゃあ、私はまだ見つけてないのかな。」

 そう呟いて、彼女は手のひらを雨の中に差し出した。その仕草があまりにも自然で、私は一瞬、言葉を失った。


---


 彼女の名前はゆう。私がこの街に引っ越してきた初日に出会った。

 雨の日だった。私は傘を持たず、ずぶ濡れで歩道橋を歩いていた。そのとき、悠が後ろから声をかけてきた。


 「傘、使う?」

 振り向くと、彼女は笑っていた。傘を差し出すその手が、どうしてかとても温かそうに見えた。


 「でも、君はどうするの?」

 私が尋ねると、悠は肩をすくめた。

 「いいよ。雨なんて、すぐ止むんだから。」


 そのときから、私は悠に惹かれていたのかもしれない。彼女の言葉には、どこか人を引き寄せる力があった。


---


 「ねえ、あおい。」

 ある日、悠が私を呼び止めた。

 「人間って、どうして嘘をつくんだと思う?」


 まただ。悠はいつも突然、答えに困るような質問をしてくる。

 「嘘をつくのは……怖いから、かな。」

 私はそう答えた。でも、悠は首を横に振った。


 「違うよ。本当は、守りたいものがあるからだよ。」


 その言葉に、私は何も言えなくなった。悠は、私には見えない何かをいつも見ている気がした。そして、その何かに手が届かないからこそ、こんな言葉を紡ぎ出すのだと思った。


---


 ある夜、私たちは並んで歩いていた。月のない夜で、街灯が細い影を作っている。


 「ねえ、悠。君が守りたいものって、何なの?」

 私が聞くと、悠はしばらく黙っていた。そして、ふと立ち止まり、こちらを振り返った。


 「……君だよ、葵。」

 その言葉に、胸が締め付けられるような思いがした。


 「でも、それって変だよね。」

 悠は自嘲気味に笑った。

 「私、誰かを守れるほど強くないのにさ。」


 「強さなんて関係ないよ。」

 私は即座にそう返した。

 「大切に思う気持ちがあれば、それだけで十分なんだよ。」


 悠はその言葉に少しだけ目を丸くして、やがて笑った。その笑顔が、どこか悲しげに見えたのは気のせいではなかった。


---


 雨の日がまたやってきた。

 いつものバス停で、悠は何も言わず私の隣に座った。しばらくの間、二人でただ雨音を聞いていた。


 「葵、私ね……。」

 彼女が何かを言いかけたとき、私はふと彼女の手を握った。


 「何も言わなくていいよ。」

 その一言に、悠は驚いたように目を見開いた。


 「……どうして?」

 「君の言葉じゃなくても、私は君をちゃんと分かってるから。」


 悠は黙り込んだ。そして、雨の中でそっと微笑んだ。


 「ありがとう。」

 その声が、雨音に紛れて消えていく。


---


 あの日からしばらくして、悠は街を去った。理由も何も告げられなかった。ただ一枚の手紙がポストに残されていた。


 **「葵、私はいつか戻るよ。そのときも、君はここにいてくれる?」**


 私はそれを読み、静かに頷いた。悠がいない街の空気はどこか冷たかったけれど、彼女の言葉だけは私の中で生き続けていた。


---


 彼女が消えたバス停で、私は今日も雨音を聞いている。悠が話していた数々の問いが、今も私の胸を巡る。でも、一つだけ分かることがある。


 「悠、私はここにいるよ。」

 その言葉が、夜の雨に溶けて消えていく。


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