第811編「ブート・トゥ・ラブ」(起動音が鳴るたび、私たちは恋に落ちる)
カチッ——
**Apple IIe** の電源スイッチを入れると、軽快なフロッピードライブのシーク音が響いた。
——ガガッ、ガガッ、キュイーン……
「うん、今日も完璧」
雪音は満足げに頷き、画面に映し出された **ProDOS** のプロンプトを眺めた。彼女の愛機 Apple IIe は、1983年に登場した名機。8ビットの **MOS 6502** プロセッサを搭載し、グリーンモニターに映るテキストの美しさは、彼女にとって何よりの癒やしだった。
隣では、恋人の杏奈が **Amiga 1200** のキーボードを優雅に叩いている。
「やっぱり **Workbench** の GUI は最高ね」
Apple IIe とは対照的に、Amiga は **Motorola 68020** を搭載し、32ビットアーキテクチャに移行した先進的なマシン。滑らかな **HAM モード** のグラフィック、マルチタスク機能、豊かなサウンドシステム——すべてが、Apple IIe とは異なる哲学を持っていた。
雪音は、ちらりと杏奈の Amiga の画面を覗き込む。
「何してるの?」
「デモシーンのリプレイ。ほら、**グレツキの交響曲** を MOD で鳴らしてるの」
スピーカーから流れてくるのは、魂を揺さぶるような荘厳な旋律。**Paula チップ** の 4チャンネルサウンドが、Apple IIe の単音ビープとはまったく異なる次元の表現力を持っていることを思い知らせる。
「またデモシーン?」
「好きなんだから仕方ないでしょ。Amiga の **Copper** と **Blitter** がどれだけ偉大か、もっと知るべきよ」
杏奈が得意げに笑う。
「Apple IIe だって、プリミティブな美学があるんだから」
雪音は **Integer BASIC** を素早くタイプし、シンプルなコードを書いた。
------------------
10 PRINT "I LOVE YOU, ANNA."
20 GOTO 10
------------------
Enter キーを叩くと、スクリーンいっぱいに「I LOVE YOU, ANNA.」の文字が流れ続ける。
杏奈は吹き出した。
「何よこれ、可愛いじゃない」
「確かにApple IIe には、Amigaみたいな派手な機能はない。でも、その分、伝えたいことがまっすぐに届くの」
「ふーん……」
杏奈は Amiga のマウスを握り、雪音の方をじっと見つめた。
「なら、私も返事を書くわね」
彼女は **Deluxe Paint IV** を立ち上げると、Apple IIe のモニターを見ながら、グラフィックで「I LOVE YOU, YUKINE.」と描いた。フォントは流れるように美しく、アンチエイリアスがかかったような滑らかなカーブを持っている。
それを見た雪音は、くすっと笑った。
「私たち、ずいぶん違うものを愛してるね」
「でも、どっちも素敵でしょ?」
「うん……あなたの Amiga も、ちょっとだけ好きになれそう」
2台のレトロコンピュータが並ぶデスクで、ふたりの時間は静かに流れていった。
——まるで、それぞれの起動音が響き合うように。




