第809編「リズムと鼓動、そして愛」(あなたの音で、私の心は踊る)
暗闇を切り裂くように、4分の4拍子のキックが鳴った。
——ドン、ドン、ドン、ドン。
続けて、軽快なハイハットが刻まれる。
——チッ、チッ、チッ、チッ。
朱音は手元の **Roland TR-808** を撫でるように操作しながら、リズムパターンを組んでいく。その横で、真白は腕を組んで不満げに眉を寄せた。
「やっぱり、808はちょっと派手すぎるのよね」
「は?」
朱音は目を丸くする。
「このアナログの太いキックが最高なのに? 80年代のエレクトロも、90年代のアシッドも、みんなこの音に夢中だったんだよ? しかもベースラインの代わりに使えるくらい低音が深い!」
「それが主張しすぎなのよ。私の **Donca Matic** の音と合わせるなら、もっとタイトなリズムがいいの」
そう言いながら、真白は自分の膝に載せた **KORG Donca Matic Mini Pops** を指でなぞった。ドラムマシンの黎明期、1960年代に登場したこの機種は、リズムボックスとしてジャズやオルガン伴奏に使われた歴史がある。
朱音は呆れたように笑う。
「真白の音作り、やっぱりレトロすぎるよ。ドンカマティックはアナログだけど、発振方式が808とは全然違うし、そもそもリズムパターンが固定でしょ?」
「だからこそいいの。あらかじめ決められたリズムに身を委ねるのって、ある意味で電子の神秘だと思わない?」
「いや、私は自由にプログラムできる方が好き」
朱音は再び808のボタンを叩く。瞬時にパターンが変わり、跳ねるようなシンコペーションが加わった。
「ほら、キックをちょっと前にずらして、スネアにリバーブを足せば、もっとグルーヴが出る」
「ふうん……」
真白は腕を組んだまま、じっと朱音の顔を見つめる。
「な、なに?」
「朱音が、こんなに真剣な顔して音を作るの、好き」
「……ちょっと、急にそういうこと言うのやめてよ」
朱音は視線を逸らしながら、808のツマミをいじる。バスドラムのディケイを伸ばし、ディープなサブベースのような鳴りに変えた。
真白はクスリと笑い、ドンカマティックのボタンを押す。
「でも、私のリズムだって負けてないわよ」
ポコポコと、乾いたリズムが鳴る。ボンゴのようなタム、タイトなクラベス、そしてどこか温もりのあるカウベル。
——ポコッ、ポコッ、パッ、パッ。
それは、朱音の組んだリズムとはまったく違う、より有機的で牧歌的なグルーヴだった。
朱音は思わず息を呑む。
「……真白、それ、いいかも」
「でしょ?」
真白は得意げに笑い、朱音の肩にもたれかかる。
「……私たちの好きな音は違う。でも、混ぜたら面白いかもね」
朱音はそっと真白の髪を撫でた。
「そうだね。808の低音に、ドンカマのトリッキーなパーカッションを乗せたら……新しい何かが生まれるかも」
「うん。じゃあ、一緒に音を作ろう」
夜のスタジオに、ふたつのリズムが溶け合う。
——まるで、ふたりの心がひとつになるように。




