第34編「雨のあと、ふたりの居場所」(雨が結んだふたりの居場所、それは小さなアパートの中に)
その日、私は雨に濡れた子犬を拾うつもりで、雨に濡れた女の子を拾ってしまった。
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会社からの帰り道、私は最寄り駅を出て家へ向かう途中だった。どしゃ降りの雨に嫌気が差し、急ぎ足でアパートへ向かう途中、路地裏でうずくまっている何かを見つけた。初めは猫か犬だと思った。
でも、近づいてみると、それは人間だった。小柄な女の子が、ずぶ濡れのまま体育座りをして震えていたのだ。髪が顔に貼り付いていて、その表情はよく見えない。
「ねえ、大丈夫?」
私は無意識に声をかけていた。彼女は一瞬だけ顔を上げたが、すぐに視線を落とした。その瞳は驚くほど大きく、ガラス玉のように冷たく輝いていた。
「……寒い。」
それだけ言った彼女に、私はどうしていいか分からなくなった。普通なら警察を呼ぶべきだろう。でも、この雨の中、あまりに頼りなく震えている彼女をそのまま放っておくこともできなかった。
「……うち、来る?」
私は自分でも驚くほど軽い口調でそう言っていた。彼女は少し迷ったようだったが、やがて無言で立ち上がり、私の後についてきた。
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アパートに戻り、彼女にタオルを渡してお風呂を使うよう促した。私が台所で適当にお湯を沸かしていると、しばらくして浴室のドアが開き、バスローブ姿の彼女がリビングに現れた。
「……ありがとう。」
それが、彼女から最初に聞いた感謝の言葉だった。
「ご飯は食べた?」
彼女は首を振る。その仕草が、妙に子供っぽくて切なかった。私は冷蔵庫をあさり、簡単なパスタを作った。
「これしかないけど……まあ、温かいから食べて。」
彼女は小さく頷き、フォークを握った。その手が細くて、折れそうなほどだったのが印象に残った。
「そういえば、名前は?」
食べ終わった後、私は彼女に聞いた。
「……ユイ。」
「ユイちゃんか。私はカナ、篠原カナ。まあ、適当に寛いで。」
その時は、それ以上のことを聞こうと思わなかった。
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ユイがうちに住みつくようになったのは、それから自然な流れだった。彼女がどこから来たのか、どうしてあんなところにいたのかを聞いても、「話したくない」と言うだけだった。でも、私には追い出す理由がなかったし、なぜか追い出す気にもなれなかった。
ユイは少しずつ心を開いていった。私が仕事から帰ると、キッチンで夕飯の準備を手伝ってくれたり、部屋の掃除をしてくれたりするようになった。特に話好きというわけでもないけれど、二人でソファに座って静かにテレビを見ている時間は、なぜか心地よかった。
ある日、ユイがぽつりと呟いた。
「ここ、居心地いいね。」
「そう? 狭いし古いけど。」
「でも、暖かい。」
その言葉に、私は少しだけ胸が締め付けられた。
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ある夜、晩酌をしていると、ユイが不意に尋ねてきた。
「どうして、あの時私を拾ってくれたの?」
「どうしてって……うーん、犬を拾うみたいな感覚だったかも。」
「犬?」
「そう、なんか捨てられてた子犬みたいだったからさ。見過ごせなかったんだと思う。」
ユイはくすりと笑った。その笑顔を見たのは、これが初めてだった。
「じゃあ、私ってカナさんのペット?」
「ちょっと、それ失礼じゃない?」
「でも、なんだかそれも悪くないかも。」
そう言って微笑むユイに、私は不思議な愛しさを感じた。
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日々が過ぎていく中で、私は自分の気持ちに気づき始めていた。ユイに対するこの感情が、単なる親切心や友情ではないことに。
そしてある夜、思い切って口にしてしまった。
「ユイ……私、君のことが好きかも。」
ユイは驚いたように目を丸くしたが、すぐにふっと笑った。
「うん、知ってたよ。」
「えっ?」
「ずっと感じてた。でも、言ってくれるのを待ってた。」
彼女のその言葉に、私は胸がいっぱいになった。
静かに流れる時間の中、私たちは互いに手を取り合った。雨の中で拾った小さな縁が、こんな形で私の心を満たすものになるなんて、想像もしていなかった。




