第33編「月光の檻」(愛が凍える檻を越えて、君の微笑みは永遠に揺れる)
あの日、全寮制の女子校「白銀女学院」に転校してきた少女が、私の心を攫った。
彼女の名前は、水守ソフィア。銀糸のように艶やかな髪を持ち、少し青ざめた肌が月光を映すようだった。その瞳は、夜明け前の湖のように澄みきっているが、どこか悲しげな色を宿していた。
ソフィアは寮の部屋で私と同室になることになった。私――汀アリサは、この学院での生活にも慣れ、特に目立たない生徒として過ごしていたが、彼女が来てから私の平穏は変わった。
初めて言葉を交わしたのは、夜中のことだった。月光が窓から差し込み、薄暗い部屋を青白く照らしていた。
「眠れないの?」
ベッドの上で読書をしていた私に、ソフィアが声をかけた。彼女の声はひどく静かで、まるで湖底から響いてくるようだった。
「ええ……昔から夜更かしする癖があって。」
私は本を閉じ、彼女の方を見た。ソフィアは窓辺に腰掛け、夜空をじっと見上げていた。
「……月が嫌いなの。」
「どうして?」
彼女は答えなかった。ただ、月光に照らされる横顔があまりに美しく、私は何も言えなくなった。
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ソフィアはどこか人を寄せ付けない雰囲気を纏っていたが、不思議と誰もが彼女を気にせずにはいられなかった。彼女の持つ独特の空気は、周囲の生徒たちを惹きつけ、同時に遠ざけていた。そして、その空気に最も近づいたのは私だった。
ある日、ソフィアが「秘密の場所」に私を連れて行ってくれると言った。学院の裏手にある古い温室。長い間放置されていたその場所は、ガラス越しに陽の光が差し込む中、雑草と共に色とりどりの花々が咲き乱れていた。
「ここは、私だけの庭なの。」
彼女はそう言いながら、色あせたベンチに腰掛けた。
「綺麗……ここでずっと暮らしていたいくらい。」
私がそう言うと、ソフィアは微笑んだ。だが、その微笑みはどこか影を落としていた。
その日の夕暮れ、温室で語り合った。彼女は過去の話をぽつりぽつりと語り始めた。
「私、あの家から逃げてきたの。」
「あの家?」
彼女はしばらく黙っていたが、続けた。
「家族から逃げたの。……愛されたことなんて一度もないから。」
その言葉に、私は息を呑んだ。
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それから数日、私は気づけば彼女のそばにいることが多くなった。けれど、ソフィアの胸の内には、何か解けない氷のようなものがあった。それを知りたいと願う一方で、触れるのが怖いとも思った。
ある夜、彼女は突然私にこう言った。
「ねえ、アリサ。あなたは、私のことが好き?」
その質問に、私は言葉を失った。
「……え?」
「私のことが好きなら、ここにいて。」
彼女の瞳は、まるで全てを見透かすかのように私を捉えていた。私は頷く以外にできることがなかった。
その日から、私たちの間に確かに何かが生まれた。それは、言葉にしないまま続いていた関係だった。けれど、ある日、ソフィアは突然学校を去った。理由は誰にも告げられなかった。
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彼女がいなくなった温室に一人で足を運ぶと、彼女が育てていた花がまだ揺れていた。
「……ソフィア。」
私はその場に座り込んで泣いた。彼女がどこに行ったのか、何を思っていたのか、今でも分からない。けれど、あの温室の花を見るたびに、私の胸には彼女の微笑みが蘇る。
彼女は月光の檻の中で生きていたのだ。そして、私はそれを解き放つことができなかった。でも、今も思う。彼女がいつかまた、この花々の中に戻ってくるのではないか、と――。




