第19編「花瓶の中で死んだ魚」(理不尽の中で交わる手、それが唯一の真実)
彼女と私は、同じ名前だった。綾と綾。これ以上ないほど似た者同士で、これ以上ないほど異なる者同士だった。私たちは無人駅のプラットフォームで出会い、世界がひっくり返る音を聞いた。あるいは、それは電車が通り過ぎる音だったかもしれない。
その日、空は赤かった。どうして赤いのかは誰にも説明できなかったけれど、すべての人が当たり前のようにそれを受け入れていた。赤い空の下、綾は私に向かってこう言った。
「ねえ、この町、私たちしかいないのよ。」
事実、町は空っぽだった。人影はなく、店の扉は閉ざされ、風が紙くずを追いかけているだけだった。私はその異様さに気付かず、ただ綾と並んで歩き始めた。
「どうして私たちしかいないの?」
私は綾に聞いた。彼女は立ち止まり、まるで子どもに言い聞かせるような声で答えた。
「私たちが、この町を作ったから。」
私たちがこの町を作った? 意味がわからなかった。けれど、それ以上の説明を求める気力もなかった。綾の言葉は、砂糖菓子のように甘く、触れたそばから溶けてしまう。
町の中央に、一つだけ花屋があった。ガラス越しに並ぶ花々は、どれも枯れていた。青いバラ、黒いカーネーション、そして名前のない白い花。その奥に、花瓶の中で死んだ魚が浮かんでいた。
「この花瓶、欲しい?」
綾が唐突に言った。私は何も言えなかった。なぜ花瓶の中に魚がいるのか、どうして彼女がそれを欲しがるのか、何も理解できなかった。
「答えなさいよ。」
綾の声が強くなった。彼女は私の肩を掴み、その手が震えているのを私は感じた。答えなければならない。だが、私は何を答えればいいのかわからなかった。
「じゃあ、私が決めるわ。」
綾はそう言って花瓶を手に取り、中の魚を一気に飲み込んだ。彼女の喉がごくりと動き、その後、静かな沈黙が訪れた。
それから町の様子が少しずつ変わり始めた。空は赤から紫に変わり、建物は煙のように溶け出した。私は恐怖を感じたが、綾は平然としていた。
「これが私たちの選択の結果よ。」
「選択って、何を選んだの?」
私は叫んだ。だが、綾は答えなかった。ただじっと私を見つめ、その瞳の中に私自身の姿が映っているのを見た。その瞬間、私は悟った。綾は私で、私は綾だったのだと。
私たちは同じ存在でありながら、互いに相反する何かを抱えていた。愛だったのか、憎しみだったのか、それすらもはっきりしなかった。ただ、私たちはこの町で永遠に彷徨い続ける運命だった。
町が完全に消えたとき、私たちはただ空中に浮かんでいた。下も上もない空間で、綾がぽつりと言った。
「ねえ、次はどこに行く?」
その問いに、私はどう答えたのか覚えていない。ただ、目の前の彼女の手を握りしめた。手のひらの感触だけが確かなものだった。




