第13編「月明かりの畔で」(日本の四季と共に紡ぐ、二人だけのささやかだけれども確かな愛の物語)
日本のとある片田舎、四方を山と田畑に囲まれた小さな集落――その静かな土地に、一組の百合カップルが暮らしていた。篠原千波と東雲佳乃。彼女たちは二年前にこの町に移り住み、古民家を借りて自分たちの暮らしを作り上げていた。
古民家は木造で、築百年を超えているという話だった。広い縁側と庭には季節ごとに野の花が咲き、近くを流れる川のせせらぎが静かな日々を奏でている。都会では決して味わえない、この素朴で温かな日々が、二人にとっての特別な宝物だった。
ある夏の夕暮れ、千波は庭先の畑でナスやトマトを収穫していた。暮れなずむ空が茜色に染まり、遠くの山影が深い青に沈む。日中の暑さも少し和らぎ、川辺を吹き抜ける風が肌に心地よい。
「佳乃、今日の夕飯、天ぷらにしない?」
千波は、縁側に座って新聞紙を広げている佳乃に声をかけた。佳乃は本を読んでいた手を止め、にっこり笑う。
「いいね。ナスの天ぷら、大好き。」
二人はキッチンに並び、手際よく料理を進めた。佳乃が衣を混ぜ、千波が油を熱する。時折交わす会話が、キッチンの窓から見える夕暮れの風景と溶け合って、なんとも言えない幸せな空気を生み出していた。
夕食後、二人は縁側に腰を下ろし、庭を眺めながら冷たい麦茶を飲んだ。辺りはすっかり暗くなり、月が山の稜線から顔を覗かせている。夏の夜の虫たちの声が響き渡り、静けさの中に生命の息吹が感じられる。
「こうやって、静かに夜を迎えられるの、いいよね。」
千波がつぶやくと、佳乃はうなずいてそっと千波の肩に頭を預けた。
「うん。毎日が同じように見えて、少しずつ違うのがいい。」
千波はその言葉に、何か心が温かくなるのを感じた。佳乃と一緒に暮らし始めてから、彼女の言葉や仕草が、都会での忙しい日々では気付かなかった「小さな幸せ」を教えてくれたのだ。
秋が訪れると、庭の柿の木がたわわに実った。佳乃はその実をせっせと収穫し、台所でジャムを作った。甘い香りが家中に広がり、冷え始めた空気にぬくもりを与える。
「佳乃、これも食べてみて!」
千波が縁側で剥いた柿を一切れ差し出すと、佳乃は嬉しそうに口に運んだ。
「甘い!今年の柿、すごく美味しいね。」
二人で笑い合いながら柿を頬張るその姿は、まるで長年連れ添った夫婦のようだった。
冬になると、庭先に雪が降り積もった。朝、二人で薪ストーブをつけると、暖かい炎がパチパチと音を立てる。その音を聞きながら、佳乃は千波に手編みのマフラーを渡した。
「これ、今年の冬用。気に入ってくれるといいな。」
「ありがとう、佳乃!」
千波はその場でマフラーを首に巻き、嬉しそうに笑った。その笑顔に佳乃は少し照れくさそうに微笑む。雪景色に囲まれた家の中で、二人だけの世界がそこにあった。
春が巡り、庭の桜が咲き始めると、二人は花見の準備をした。小さなシートに手作りのお弁当を広げ、桜の木の下で昼を楽しむ。その美しい光景に、言葉は必要なかった。ただそこにいるだけで、十分だった。
二人の暮らしは穏やかで、変化に乏しいかもしれない。けれど、その静かな日々の中に、確かに幸せがあった。それは、都会では見落としてしまうような、小さな喜びの積み重ねだ。
夕暮れ時、千波はふと佳乃の方を向いて言った。
「ここに来てよかったね。」
佳乃は微笑み、そっと千波の手を握った。
「うん。あなたと一緒なら、どこでも幸せだけどね。」
日が沈み、また夜が訪れる。山の稜線に月が昇り、川のせせらぎが夜を包み込む。その片田舎の家に、二人の静かで温かな暮らしは、これからも続いていくのだろう。




