表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/1259

第1編「君が触れるこの世界」(完璧する彼女に、わたしは……)

 高校二年の春、私はこの世界の法則がひとつ崩れる音を聞いた。

 それは、間宮千尋まみやちひろが私に微笑んだ瞬間だった。


 教室の隅で本を読んでいた私に向けられた笑顔。奇跡のように美しく、恐ろしく、そして圧倒的だった。彼女はその日、クラスの誰にも同じような笑顔を見せたのだろうが、私の胸に刻まれたのは彼女だけだった。


 ──変だ、と感じた。


 千尋は、完璧すぎる。

 彼女の声は滑らかで、誰にでも同じ調子で響く。話す言葉には棘も熱もない。それなのに、彼女の存在が生み出す「場」の中にいると、誰もが安心し、魅了されてしまう。私も例外ではなかった。彼女を見つめるたびに胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


 でも、そんなことはどうでもよかったのかもしれない。だって私は、間宮千尋に恋をしてしまったのだから。


 その日から、私の世界はすべてが歪み始めた。黒板に書かれた文字の意味が曖昧になり、授業中の先生の声が遠く響く。クラスメイトの顔も名前も、背景のモザイクに溶けていく。


 千尋だけが、鮮明だった。


 ある日、私は勇気を出して、彼女に話しかけた。

 「間宮さん、今日の放課後、少し話せる?」

 驚いたように目を見開いた彼女が、微笑む。その瞬間、私の時間が止まる。


 「うん、いいよ。どこで待ち合わせる?」

 心臓が飛び跳ねそうになるのを必死で抑えながら、校舎裏のベンチを指定した。


 放課後。私は校舎裏のベンチで、息を殺して彼女を待った。

 空は紫に染まり、風が髪を撫でる。千尋は、約束の時間ぴったりに現れた。


 「待たせちゃったかな?」

 「ううん、全然……。」


 心臓の音がやけに大きく聞こえる。彼女は隣に座り、こちらを見つめていた。その目はまるで、すべてを見透かしているかのようだった。


 「で、話ってなに?」

 喉が乾く。何を話したかったのか、自分でも分からなくなってしまう。けれど、彼女の前では言葉を選んでいられなかった。


 「間宮さんって、どんな世界に生きてるの?」

 自分でも意味の分からない言葉が口をついて出た。けれど、千尋は驚きもせず、微笑んだまま答えた。


 「私の世界?」

 「そう。間宮さんが見てる世界って、どんな感じ?」


 彼女は少しだけ黙り込んだ。そして、不意に小さく笑った。


 「変わってるね、あなた。」

 その言葉に、なぜか胸が温かくなる。彼女は空を見上げたまま、静かに話し始めた。


 「私が見てる世界はね……たぶん、普通だと思う。けど、最近少しだけ変わったんだ。」

 「変わった?」

 彼女は私に目を向ける。その瞳には、かすかな揺らぎがあった。


 「あなたが現れてから、色が増えたの。」

 私の呼吸が止まる。彼女の言葉の意味を咀嚼する前に、彼女の指がそっと私の手に触れた。


 その瞬間、世界が崩壊した。


 空は紫から黄金へと変わり、風が虹色の粒子となって舞う。私たちを囲むすべてが色と音を帯び、無限の広がりを持つ。彼女の手が私の手に触れる、それだけで世界はこうも変わるのか。


 「……ねえ、あなたも変わったでしょ?」

 耳元で囁かれるその声に、私は頷くことしかできなかった。


 そう、この瞬間、私たちは同じ世界を見ていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ