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夜明けのノール  作者: 吉井ナオアキ
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 中央大陸の小国タストリアは、大帝国マールに飲み込まれようとしていた。


 すべての人間が魔力を持って生まれるこの世界において、魔術師(魔法を使える者)の数は国力と軍事力に直結する。他国では三人に一人が魔術師になり得る魔力量を持つとされているにも関わらず、タストリアは数億人に一人の割合でしか魔術師が誕生しなかった。それも、ここ数年の話ではない。タストリア系の民が住み着いた1000年前から、彼らは魔術師に足る魔力を持ち得なかった。

 それを、世界中の人々は“呪い”と呼んだ。


 その呪いこそが、すべての始まりであり、夜明けでもあると知らずに。



「ほら、見てみてみなさい。この国は随分と豊かになった」



 以前見たときよりも肥えた男はわたしの髪を掴み上げた。棒のような手足につけられた枷が耳障りな音を立て、ひんやりとした室内に響いては消えていく。

 塔の上から見える街は確かに、昔よりも活気づいていて、畑も水路も枯れていなかった。


 わたしの胸に埋め込まれた魔鉱石は、わたしの魔力を吸い取るための装置だ。その魔力は汲み上げられた水のように国土全域に広がり、花を咲かせ、作物を実らせ、大地を豊かにしていく。


 しかし、小さな国とはいえ、一国をまるまる包み込む魔力を作り出し、吸い取られていくわたしの身体は死にかけの病人のように瘦せ細っていた。一人で起き上がることもままならないこの身体で、未だに生きながらえているのが不思議で仕方なかった。



「王族や教会の力は弱者救済のためにある──そう、我が国の法では定められています。しかし王女様は、強力な力を意図的に、わざと、隠していらっしゃった」

「……違う」

「いいえ。隠していたのです。国王陛下も、王妃殿下も、王太子殿下も、あなた様の力を隠していた」

「違う……違うわ」

「この国のために力を使わぬから、こうなったのですよ」



 男は、ミハイルという名の大司教だった。


 嗜虐的に笑ったミハイルはわたしを床に叩きつけると、わたしの腹を蹴り上げた。その衝撃によって、乾いた口内に気持ちの悪い酸っぱさが広がる。


 日常的に暴力を振るわれすぎて、痛みを痛みとして受け付けられない。激痛と息の詰まるような閉塞感に慣れてからは、わたしは冷たい石床の上にうずくまり、容赦のない暴力がこの身体を通り過ぎてゆくのを待つようになった。大抵の場合は数分ほどで意識を失うが、考え事をしたくないわたしにとって誰かからの暴力は好都合でもあった。


 気を失っているあいだ、夢に見るのは両親と兄のことだ。


 彼らは、この国を愛し、民を愛した人々だった。己が生まれ育ったこの国を──タストリアを、より良くしようと奔走し、懸命に尽くした人々だった。


 いずれ、タストリアの春には花が咲き、夏には河川や湖に水がみなぎる。秋には様々な作物が実り、冬には家々に暖かい火が灯る。そうなることを心から願い、疑わなかった彼らは、ミハイルとその手下たちに殺されてしまった。


 神はいつも試練をお与えになる。わたしの最愛の人たちが、いったい何をしたのだろう。なぜ、何も知らずに守られていただけのわたしだけが生き残ってしまったのだろう。



「王女様に死なれては困りますから」



 暴力は不意に終わった。ミハイルはわずかに息切れしている。わたしは目だけを動かし、血走った瞳を()めつけた。わたしが反抗的な態度を取れば、司教派の奴らは激昂して、わたしを罵る。しかしミハイルは機嫌がいいらしく、口汚い言葉を口にするでもなくわたしを見下ろした。



「もうじき、王家の裏切りを国民に知らしめようと思いましてね」

「なんですって?」

「王家は、魔術師の存在を秘匿し、実に十六年の月日にも渡って国国民を騙し続けた。タストリアを豊かにする機会はいくらでもあったにもかかわらず、私利私欲のために魔術師である王女を独占し続けた──」

「そんなの、おかしいわ!! お父様とお母様は、お前たちにわたしが利用されないように……!!」



 お父様とお母様は、わたしの力が司教派に渡るのを恐れていただけだ。民を欺き、私腹を肥やそうとしたことなど一度もない。

 この男は、わたしの大切な人々の命を奪っただけではなく、尊厳までも踏みにじり、あの人たちが愛した民からの信頼をも奪おうとしている。国王が崩御したばかりで国全体が不安定な状況にある今、大国マールの侵攻を恐れる民たちに、さらなる絶望を与えようとしている。


 わたしの力を利用するだけであれば、わたしの力を利用して民を守るのであれば、まだよかった。

 力は弱者救済のためにあるのだと言ったのは、お前ではないか。


 お父様とお母様、そしてお兄様が殺される正当な理由なんてきっとなかったのだ。こいつらは、自分たちの地位と権力を高めるために反逆したのだ。



「許さない……」



 もう、何も感じないと思っていた心が悲鳴を上げた。ガラスは、小さな亀裂がやがて大きなひびとなり、やがては呆気なく壊れてしまう。

 そんな風に、心も壊れるのだろう。耐え難い怒りと悲しみがあふれ、嚙み締めた唇に血が滲む。わたしの家族が受けた痛みを、悲しみを、怒りを、味わわせてやらなければ気が済まない。


 胸に埋め込まれた魔鉱石が砕けた。ミハイルが何かを叫んでいる。けれどわたしには何も聞こえなくて、何も理解できなかった。

 なんだっていい。わたしがどうなってもいい。ミハイルも、わたしの家族を殺した奴らも、地獄の業火に燃やし尽くされてしまえばいい。


 もし、時を戻せるのなら。もし、神がわたしの復讐をお許しになってくださるのなら。わたしは、無知で愚かな王女のままではいないだろう。





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