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エッセイアラカルト

韻踏みは日常

作者: 降井田むさし

韻を踏みながら、韻について書いてゆく。そんなやつをやる。




日常的に、韻を踏んでしまうことはないか。


ずっとずっとずっと。


大概の人が、そうだと思ってた。


だいたい、いつも僕は、踏んでしまう。


それが、普通だと思っていた。




無意識に、韻を踏んでしまうことはないかい。


降りしきる雨のように、ザーザーと韻が降ってくるんだ。


因果応報というやつか。


よく分からずに、因果応報という言葉を使ってしまった。


おう、ほう!と意味を確認して、納得してから、使うべきだった。




ずっと、韻を踏んでいる。


入り組んでいる、そんな韻が好物だ。


とにかく、ずっと韻を踏んでいる。


でも、ノートに書くみたいに、スラスラとは行かない。


それに、あまり上手くない韻を踏む。


フムフムと思われることは、少ない。


つ、つらい。そう思うことも少ない。




僕は会話でも、韻を踏んでしまう。


ラッパーかよ、ラッパーかよ。


そう、つっこむ人もいるかもしれない。


前世がラッパーだったー。


そんなことはない、そんなのおこがましい。


僕は底辺だ、それが正しい。


この魂は、ただの趣味の中にいる。


それに、喋りながらでは出てこない。




すごいと思う。


即興で、バトルなんて。


即興で、捗る脳はない。


ノーはいいたくないけど、バトルは無理だ。


緊張で、脳が止まるだろう。


バトルの海にいるとしたなら。


パドルが止まってしまう。


そんな、人間だから。




ラッパーは、韻踏みが日常。


いつでも、やってしまう日常みたい。


一畳あれば、遊べるのが韻だ。


一秒二秒、で思い浮んだときは。


気持ちよさに、浸れるよ。




中毒性が、あるのが韻だ。


それでいいんだ。


中毒が、重度の超ド級になってもいい。


見つけるのが、楽しすぎるから。


楽しければ、呑まれてもいい。


止まれって思わない。


走る人は、ランナーズハイになる。


韻を踏む人は、インナーズハイだ。


みんな使いな、韻をどんどん。


そう思っている。




いつでもできる、どこでもできる。


道具がなくても、できる。


どう偶然に出会えるか。


どう偶然に出会い、韻が重なり合うか。


そこも、重要なことだ。




その偶然に出会っとき、空前の喜びがある。


顔がほころび、もっと長い韻を見つけたくなる。


企むと、失敗する。


失敗をいっぱいするから、気軽にやる方がいい。


イキがるのも、僕には合ってない。


だから、自分の中だけで小さく、韻の大会を開催する。


喝采はいらない。


発散できればいいから。




韻踏みって、インフィニティー。


韻踏みって、インフィニティー。


韻踏みって、インフィニティー。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こういう文章ニヤけちゃいます。 韻踏みって、インフィニティー。最高のパンチラインでした。
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