2.超絶ぼっちな僕、佐々木さんとお昼ご飯を食べる【挿絵有】
授業中の教室というのはとても好きだ。とにかく静かだから。響くのは黒板へのチョークの音と先生の退屈な声だけ。僕はあくびを堪えながら、教科書に目を向けて授業を聞いてるふりをする。
ちらりと横を見ると、隣の席には美少女が座っている。艶やかな黒髪に整った横顔。佐々木さんである。佐々木さんはその整った顔立ちから男子生徒にすこぶる人気だ。なんとこのクラスの男子は僕を除いて全員彼女に告白をしてしまったのだという。信じがたいが本当らしい。
訳あって僕はそんな佐々木さんと連絡先を交換した。とはいえそんなに甘酸っぱい関係でもないので、たまにやり取りを数回する程度だ。
そんな事を考えて佐々木さんを見ていたら、どうやら彼女は僕の視線に気づいたらしい。こっちを無表情のまま見返してきたので、僕はさらりとその視線を受け流して教科書に視線を戻した。
「起立。礼、着席」
チャイムが鳴って授業が終わった。さて昼休みの時間だ。今日は何パンを買おうかな。
この学校の一階にある購買にはパンが売っている。僕は今日、弁当を持ってきていないので、そこでパンを買うのだ。
席から立ち上がり、教室から出ようとすると、隣の佐々木さんも同じタイミングで席を立ち上がった。僕は彼女を避けて教室から出ようと目論んだが、彼女はどうやら僕に用があるらしく、話しかけてきた。
「ねえ九条君。何故私から逃げようとしたのかしら」
「それはとてつもない誤解だよ佐々木さん。僕は今から購買にパンを買いに行くんだ」
僕がそう答えると、周りのクラスメイトたちが一瞬で僕たちの方に注意を向けた。ああ、やれやれ。こうなるからあまり教室で佐々木さんと話したくはないのだ。
「なぁあれなんであいつが佐々木さんと話しているんだ?」
「ていうかあいつ誰だっけ。あんなやつクラスにいたか?」
「俺名前知ってるよ。確か田島さ」
「田島……あいつ佐々木さんと何の関係が」
そんなような事をクラスメイトが話している。全く、ヒソヒソ話すならせめて僕の聞こえない大きさでやって欲しいものだ。それと僕の名前は田島ではないのだが。そもそもそんなやつこのクラスにはいないだろう。何故皆いもしない田島という名を受け入れているんだ。
「あら、すっかり人気者みたいね。タンザニア君」
「それは東アフリカの国名だし僕は九条だよ佐々木さん」
「知っているわ。冗談を言ったのよ、面白かったかしら」
そんな無表情のまま冗談を言われても、僕は何のリアクションも返せないよ。
さて、そろそろこの状態からさっさと抜け出さないといい加減クラスメイトたちに絡まれそうだ。
「それで、僕に何の用だい」
「私があなたに用があると思うなんて、おこがましいわよ九条君」
「話が進まないから端的に言ってくれないか」
「全く。趣がない人ね。まぁいいわ。私と一緒に購買に行って欲しいのだけれど」
「別に一人で行けばいいじゃないか」
「私の誘いを断るなんて、正気かしら」
佐々木さんがそう言うと、近くで聞いていた男子たちがこぞって手を挙げて佐々木さんとの購買行きを立候補したが、
「あなた達には聞いていないの」
という佐々木さんの一声で彼らは押し黙った。
彼らの怨念めいた視線を背中にヒリヒリと感じるのだが、僕はこの先学校生活を送っていけるのだろうか。とても不安だ。
「私は購買に行った事がないのよ。案内して欲しいの」
そういえば、佐々木さんはいつも弁当を食べていたな。急に購買に興味が出たのだろうか。
「やれやれ。一歩も引く気がないようだね。わかったよ。じゃあ行こうか。ここにいたら僕も誰かから刺されてしまいそうだ」
僕は後ろから視線を感じたまま教室を後にした。廊下を歩いているだけでも、何やら生徒たちの目線を感じる。もちろん僕への、ではなく佐々木さんへのものだが。
「それで? なんで急に購買なんかに行く気になったのさ。君はいつも弁当じゃなかったかな」
「あら、九条君は私の食事をいつも見ているのね。いやらしいわ」
「おや、そう来たか。僕はいつでも君の案内なんて断ってもいいんだけどね」
僕がさらりと言うと、佐々木さんは僕を一瞬だけちらりと見て、また前に視線を戻した。
「冗談よ。実はこの前本を読んでいたら、主人公が友達と昼食を食べるシーンがあったのよ」
「あれ、官能小説にもそんな日常的な場面があるものなんだね」
「私がいつも官能小説を読んでると思わないで欲しいわ。その小説では友達と一緒に購買で買って食べていたの。それであなたには私との昼食をお願いしたいのよ」
「なるほど。君は僕に死ねというのかね」
今の状態ですらクラスの男子が僕に嫉妬しているというのに、お昼ご飯なんかを一緒に食べた暁にはどうなることやら。
「あなたは死んでもいいわ、私が生きるもの」
「笑えばいいと思うよとは言えないな……わかったよ、一緒にお昼を食べようか」
やれやれ、佐々木さんは何故こんなにも『友達』にこだわっているのだろうか。本当の友達だなんて……いるとは限らないのにね。
「それで、九条君。購買のパンは何があるのかしら。私はメロンパンを所望したいのだけれど」
「随分と可愛い好みだね。でも残念ながらこの学校のメロンパンは一番人気なんだ。いつもすぐに売れ切れちゃうから諦めたほうがいいよ」
購買は休み時間が始まるや否やダッシュで皆が駆けつける。購買では過酷なポジション争いが起こっていて、だいたい屈強な体育会系の男たちがいつも人気のパンを掻っ攫っていくのだ。
「あらそうなの。残念だわ。まぁなら他のパンを買うからいいわ。あなたは何を買うのかしら」
「僕は『ウインナーオーロラ南蛮チーズパン』かな」
「ウインナーオーロラ……何?」
「ウインナーオーロラ南蛮チーズパンだよ」
「何なのかしらそれは。全部詰め込んだような名前ね」
「全部詰め込んでるからね。いつも残ってるから買ってるんだ」
「ふうん。ま、候補には入れておくわ」
そうこう話しているうちに、階段を降りて目当ての購買までやってきた。既に円柱状の購買部を囲むようにして生徒たちが群がっている。
「思ったよりも苛烈なのね」
「あの中に入り込む勇気はある?」
「あんな中に入ってしまったら、あの飢えた狼たちはどさくさに紛れて私の肉体を触るに違いないわ。それはもう容赦なく」
「そればっかりは勘違いとは言いづらいな。わかった、じゃあ僕が取ってくるよ。何がいい?」
「安心しなさい。あなただけに任せるようなことはしないわ。私は自分のものは自分で調達します」
「そんな事言ったってどうするつもり……え」
それは、信じ難い光景だった。何と佐々木さんは戦争中の購買部の中へ細身の体で入ろうとしたのだ。
そして、佐々木さんが入ろうとしていることに気づいた男子生徒が、周りの男子に声をかけてその辺りにスペースを作る。その流れは伝染していき、なんと一番前のレジカウンターまでスペースが出来てしまったのだ。
おそらくモーセが海を割った時というのもこんな感じだったのだろうと僕はしみじみ感動した。
佐々木さんは悠々とパンを二つ買ってくると、僕を見て勝ち誇ったようにメロンパンを見せびらかした。
「九条君。簡単に手に入ったわよ。メロンパン」
「どうやらそうみたいだね。世界は残酷だ」
「違うわ。世界が私に甘すぎるのよ」
全く。この人はその言葉を誇張しているわけではないのが恐ろしい。
僕は行列が過ぎ去るのを待ってから余っていたウインナーオーロラ南蛮チーズパンとあんぱんを手に入れた。さて手に入れたのはいいがどこで食べようかな。
「小説だと、屋上で食べていたわ」
「屋上なんて空いてるのかな。基本的に空いてないと思うんだけれど」
「行ってみましょう」
この学校は3階まである。3階より上は屋上だ。僕たちは屋上に向かったが、案の定屋上に続く扉は鍵が閉まっていた。
「おや、君たち何をしてるのかな?」
階段下から話しかけてきたのは、一人の女子生徒だった。見たことはない。ただ凜としていて背筋が伸びている綺麗な人だった。
「屋上が解放されているのは金曜日だけだよ。出直すことだね」
それだけ言って、彼女は去っていった。親切な人もいたもんだ。
「ほら、やっぱり閉まってるって」
「どうやらそうみたいね。残念だけど、屋上はまたの機会にしましょう。なので、教室で食べましょう」
「いや、それは最もしてはいけない選択肢だと思うよ」
「他人の目なんて無視なさい。どうせ何もしてこないわ。さぁ行きましょう」
結局僕らは教室で食べることになった。隣同士の席をくっつけて、向かい合うようにしてパンを食べ始める。当たり前だが周りの生徒たちは僕たちを凝視している。
こんな状況でいつも通り食えというのはかなり無茶なんじゃないだろうか。
「それにしても九条君。あなたは何故、今日はお弁当じゃないのかしら」
「何故とは?」
「あら、だっていつもお弁当じゃない」
「へぇ。佐々木さんはいつも僕の食事を見ているのか。いやらしいな全く」
ふふ、どうだ。してやったりって感じだ。
僕がそういうと、佐々木さんは長いまつ毛とともにパチパチとまばたきをした。少し呆気にとられたようだ。
「一本取られたわね。それで、理由はなんなの?」
「別に。僕のお弁当は妹が作ってくれているんだけれど、今日は妹がお休みでね。持ってないんだ」
「あら九条君には妹さんがいたの。どんな子なのか興味があるわ」
妹は、少しばかり変わっている。それを今伝えたところで長いし面倒だし意味はないだろうから言わないけれど。
「普通の妹さ。どこにでもいる」
「ふうん、まぁいいけれど。それにしても、人気なだけあってこのメロンパン美味しいわ」
「へぇ。そうなのか」
「あら、あなたは知らないの?」
「僕は手に入れたことがないからね。味なんか知らないさ」
「それは勿体無いわね」
そう言った後、佐々木さんは何かを思案するように顎に手を当てた。何やら嫌な予感がするな。
「そういえば本には友達に食べ物を分け与えるシーンもあったわね」
「分け与えるって……そんなサバイバルの時みたいな言い方をするなよ」
「私のメロンパンをあなたに少し分けてあげるわ」
そういうと、彼女はメロンパンを手でちぎって僕に渡してきた。男子からの視線を感じる。気にしちゃ駄目だろうけど、胃に悪い。
「ありがとう」
とりあえず僕はそれだけ言って、パンを口に放り込んだ。表面はサクサクしていて中はもっちりしている。とても美味しい。思わずもう一口食べたくなって、本能的に佐々木さんを見てしまった。すると見透かされたように、
「もうあげないわよ。おあずけ」
そう言われた。僕は徐々に飼いならされてるようなきがするんだけれど、気のせいだろうか。
仕方ないので僕は自分のウインナーオーロラ南蛮チーズパンを食べるのを再開させようとしたが、佐々木さんの無言の圧力があったので中止した。
「何さ?」
「私もあなたのウインナーが食べたいわ」
「略すと語弊が生まれるからやめたほうがいいよ」
「わかったわ。ええと、あなたのどろりとしたチーズがかかったオーロラ南蛮ウインナーを頂戴」
何人かの男子生徒が生唾を飲み込む音がこっちにまで聞こえてきた。
「わざとやってるだろう」
「ええ、もちろん。で、早く頂戴」
やれやれ、佐々木さんは何がしたいのやら。
僕は食べてない側をちぎって、渡そうとしたが佐々木さんは受け取ろうとしなかった。
「今度は何さ」
「そういえば、本での友達は友達に食べさせて貰っていたわ。やって」
つまり僕にあーん、という奴をやれということだろうか。いや、流石にそれは……。
「やめておいた方がいいと思うよ」
「何故。あなたも友達というものを知りたいでしょう?」
「いや、これは友達というよりむしろ……」
別の何かのような気がするのだけど、自分からそれをいうのもなんだか癪だ。
仕方ない。こうなったらやってやろうじゃないか。僕はパンを静かに佐々木さんの小さな口に運んでいった。彼女の口から離そうとする際に、若干唇と指が当たってしまったような気がするが、無視をすることにした。僕って精神力あるよね。
「少し脂っこいけれど、美味しいわね」
そう言って佐々木さんは口元をぺろりと舌で舐めとった。美少女がやると無駄に扇情的だ。これは無意識でやっているのかわざとやっているのか、どちらにせよたちが悪い。
「あら? 小説ではこの後劣情を催した男が襲いかかっていたのだけれど、九条君に変化は無いわね」
「やっぱり君が読んでたのは官能小説だったんじゃないか」
そしてさっきの行動もわざとだったということがこれで判明した。
「冗談よ。ふう、ごちそうさま。なかなか面白かったわ。じゃあ九条君、また何かあったらよろしくね」
「せめて教室以外を希望するよ。このままだと視線で背中に穴があきそうだ」
僕たちは席を元の場所に戻し、昼食を終えた。周りの目線は相変わらず僕やら佐々木さんに向いているけれど、僕はお得意の寝たふりでやり過ごした。
そのまま放課後になり、僕はさっさと帰ろうとしたのだが、佐々木さんがいつものごとく体育館の裏で告白を受けていたので、思わず聞き耳を立ててしまった。
相手は他クラスの男子のようだ。何やら必死に訴えかけているようだが、佐々木さんはいつも通り無表情だ。
「食い下がるのね。なら最後に質問。あなた、私が購買のメロンパンを毎日食べたいと言ったら毎日届けてくれるのかしら」
なんだその質問は。相手も少し困った様子だったが、もちろんできると答えていた。
すると、佐々木さんはため息をついた。
「なら駄目ね。たまにはソーセージオーロラ南蛮チーズパンが食べたいもの」
理不尽すぎる振られ方をした彼はトボトボと歩いてどこかへ行ってしまった。
さて、盗み聞きなんて良くないしさっさと帰るか。そう思っていたらポケット中のスマホが震えた。通知を見ると佐々木さんからだ。
『盗み聞きは感心しないわね』
そう書かれた後に、パンチを繰り出すクマのスタンプが貼られていた。彼女は、こちらの方を見ている。どうやらバレバレだったようだ。仕方ない、僕は思ったままに返信した。
『盗み聞きなんてしてないけど、パンの名前はウインナーオーロラ南蛮チーズパンが正しい名前だよ。まだまだだね』
僕はそう言って、彼女に見えるように軽く手を振って一人で家に帰った。
今度は素で名前を間違えたらしく、去り際の佐々木さんはほっぺを膨らまして難しい顔をしていたのがとても印象的だった――
次の日になった。
佐々木さんと会話するのも少しは慣れてきたけれど、その分僕が友達を作る事がどんどん不可能になってきている気がするな。
そもそも僕の場合放っておいて友達ができることもないか……。前との違いといえば佐々木さんが目の前にいることくらいだ。まぁそれが大きすぎる大きな違いなゆだけれども。そんな事を考えながら、今日も僕はウインナーオーロラ南蛮チーズパンを頬張るのだった。
うむ、美味い。
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