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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

徒然 雑話、短編集など

縁(えにし)

作者: 鹿島三塁手

初の創作ものです。以前より構想はありましたが、文章力の不足のため拙いものとなっています。

 それは昔、時代が平安と呼ばれるものから武士の世になって数年、越後の国の寒村に一人の子供が流れ着し、それを見つけた僧に助けられる。

 意識を取り戻した子供は、「ここは?」とその男に尋ねる。男はそこが自らが住んで居る家であることをつげる。子供の体は衰弱がはげしく男は、その家にでの養生することを子供に伝え、その子もそれに消極的に同意する。

 年の頃なら5つか6つの子供、普通の子供と同じである子供がただ一つ違っていたこと、それは髪の色が金色ということだけだった。

 

 子供は数日で体力を取り戻し、家から近くにある村に行ってみた。その村は漁村であり人の数も多くは見られず、家も十軒ほどの小さな村だった。子供は、同居している僧より念のためということで、髪を隠すように手拭いをまいて村の中をまわっていた。


 見たことのない子供が村の中に来たので、村のものや子供があつまり、名前や家族の事を聞き出そうとしたそのとき、大きな風が吹き、子供のかぶっていた手拭いを吹き飛ばす。そして村の者たちは、その子の髪を見たと同時に「鬼だ」と言って、追い出しにかかる。子供は絶望したような顔をし、自分と僧のいる家に戻った。


 家に戻ったこどもが手拭いをしていないことと、目に一杯の涙をためているのを見た僧は状況を悟り、その子に何も言わず。体を抱きしめた。

 絶望の淵にいた子は大声で泣き、小半時(30分)ほどしたのちに自分の生い立ちを語り始めた。


 彼は海に浮かぶある島で生まれた子供だった。祖父が北からボロボロな船で島にたどりついたのを、彼の祖母が心配し、世話を始めたらしい。祖父の言っていることは祖母には理解できなかったが、十日、三月(みつき)と経つうちに、(つたな)いながらも意思の疎通ができるようになった。

 彼の祖父は北の方の漁師で、仲間と漁に出たところを大嵐に会って遭難したらしいと。船は大破してしまい変える手段をなくした祖父は祖母と人里離れた場所で暮らしていた。

 そして時を経るうちに子供ができ女児を出産するが、その娘の髪が金色であった。そのため一家は祖母がひと月に一度程度近くにある村に行く以外は、一家でひっそりと暮らしていた。

 しかし時がたち、娘が十五歳になるころには父親がなくなり、その母である少年の祖母も娘が二十歳になる前に息を引き取った。


 一人残った娘は両親からの言いつけを守り、髪を他人に見せないこと条件に、日用品を買うために、父母より受け継いだ畑の作物をもって、街に降りた。


 そのころ町は鎌倉から追われた武士の一団が来ており、大騒ぎになっていた。何の事だろう思った娘は近づくと、何かの拍子で周りに髪が見えてしまった。それを見た街のものたちは「鬼だ、鬼だ」とはやし立て、武士に討伐を依頼する。

 

 困った武士の棟梁が娘に近づくと、娘は恐怖から動けなくなり、大粒の涙を流し始める。武士の家来だろうか大男が近寄ろうとすると、声をあげてなきはじめた。困ったその一行はその娘を連れ、町はずれの家を貸してもらい、事情を聴く。娘の生い立ちを不憫に思ったのか大男も泣き始め、武士の一行は一時逗留するためにその娘と共に生活を始める。


 そして娘は、武士一行と暮らしているうちに、気の優しい大男と、娘は距離が近くなり、一晩の契りを結ぶ。その後武士一行を追う一団が迫っていることを知った一行は、娘に別れを告げることとなる。武士の棟梁は町の者たちには彼女が悪いものでないということを説明し、自分たちが去った後も娘が暮らししていけるよう便宜をはかって、町を出ることとなった。

 そして別れの日、大男と娘は泣きながら再会の約束しわかれた。そして娘は祖父母の残した家に戻り、自給自足に近い状況で暮らしていたが、ある時、自分が子が出来ているのに気づく。

 できるだけ町に近づくことのないように生活していたが、一人ではどうにもならなくなり、町はずれにる祖母の姉のの住む家に行き、彼女の協力もあり生まれたのが自分だという。


 僧は話をううなずきながら、その後の話を聞いた。

 子供が言うには母は産後の肥立ちもよくなく、自分を産んだ後すぐになくなり、自分は母の姉である伯母と共に母の家に隠れ住んでいた。

 そしてほんのひと月ほど前、町から武士の一団が家に向かって来て、祖母は自分を逃がしその時に父から母が預かったと言われるお守りをその子に託し、船に乗せ逃がしてくれたと。

 その後海が荒れ、やっとのことでたどり着いた所を僧に助けてもらった。と子供は知っていことを包み隠さずに話した。


 僧がなぜそんなに正直に話すのかと尋ねると、母から聞いていた父の服装と、僧の服装が似ていたからとはにかみながらいった。


 僧はそのお守りを見せてもらい、中にあった紙に書かれていた文字驚き、少し考えた後にその子に、自分の昔話を聞かせた。


 自分は昔ある武士の配下として各地を転戦し鎌倉にいる武士の兄の手足となって戦ったこと。その武士が、その後兄から嫌われ、逃亡生活を送るときも一緒に行動していたこと、そしてその一行に、自分の友である豪快な涙もろい大男がいたことなど、ゆっくりわかるように、子供に伝えた。


 すると子供は母から聞いた、父はずっと待っても帰ってこなかったことの理由を僧に尋ねた。

 そして僧はその答えとし話をつづけた、奥州まで逃げ延びた一行はその地の大領主に保護されるが、そのあとその領主がなくなり、息子が後を継いだこと。息子が鎌倉からの一行の引き渡しをせまったこと。そしてその一行が攻められ大男が武士を守りながら死んだこと。そして逃亡途中で知り合った子供の母に約束が守れそうにないことを悔いていたこと。そして僧に自分に万が一のことがあったときに、「その娘を頼む。」と託されたことを。


 その後、その僧はある島に渡り、娘の事を尋ねたが知るものは少なく、数年前に娘がなくなったことしかわからなかったということを話し、友の最期の頼みを聞けなかった自分を恥じここで生きながらえていたことを話した。子供は僧に父親の話を聞くと、母を残して旅だったことを悔やんでいことが聞かされた。


 子供は僧に父の名前を聞いた「武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)」と僧はいった。そして子供に「父は鬼のように大きくいかつい男だったが、義理人情に厚く強い男だった」と答えた。


 その後、子供は僧と一緒に村を出て、その後の二人の行方は知れなかった。


 最後に僧の名は「常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)」という。

 常陸坊海尊は弁慶以上に実在の疑われる人物です。こんな話にはうってつけの人物であろうということで、登場させてみました。

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