ひとつめのしゅうまつ
「あ、終わった」
と、声を上げたのは、三連休のまんなかのこと。
なんだか急に意識がはっきりして、自分がいま置かれてる状況とか、そういうのを思い出して。
夏が終わったことに、気がついた。
【ひとつめのしゅうまつ】
道脇の自動販売機の前に立っていた。
スーパーマーケットからの帰り道。そういえば、甘いものを何も買ってないな、なんて思い出したらしい。使いまわしのレジ袋を片手に提げながら、もう片方の手で財布を取り出していた。120円で買えるペットボトル。スーパーでついでに買った方が、もちろん安かったに決まっているけれど、自販機にしてはまあまあの値段設定だと思う。
空は曇っていて、まだ昼だっていうのに薄暗くて、虫の鳴き声がずっときこえている。セミじゃないことは確かだけど、その虫の名前を、私は知らない。
風が吹く。冷たい季節になった、とようやく気がついた。
あれから何ヶ月が経っただろう、と指折り数えてみる。4、5、6、7、8、9……、年度が切り替わってから、もう半年近くが経つ。早いものだ、と思う。その間にあったことと言えば、なんて思い出そうとして、何も出てこない。強いて言えば、働いていたこと。それからこんな風に、じっと手のひらを見つめる癖がついたことくらいだ。生活が苦しいわけじゃないんだけれど。
視線を動かす。
自販機を見つめる。財布の小銭入れを、開けたり閉めたりする。
風が吹く。はっとする。またぼうっとしていたことに気がつく。
物を考えるというのは、ひどく難しいことだということが、最近わかってきた。
それからこれまでの自分が、生きるっていうことと、考えるっていうことを、無意識のうちに線でつないでいたらしいことも。
そんなことを思うと、ついさっきはっとしたはずなのに、また自分がぼうっとしていること気がつく。陳列された見本のパッケージを、ただ視界の中に収め続けていた。万事がこんな調子だ。早いうちに飲み物を買ってしまおう。
右上から順に、飲み物を眺める。
買いたいものがないな、と思う。
買いたいものがなかったので、財布をしまおうとすると、『理性』と名前のついた声が心の中で話しかけてくる。
「いや、買いなよ。人は物を食べないと死んじゃうんだよ」
この声は、ときどききこえてきて、ときどききこえてきてくれない。
しかも別に、適切な場面を弁えているわけでもないから、こういうどうだっていいような場面で出てきて、肝心のその日のご飯を買う場面で出てきてくれなかったりする。食べ物を食べるってのも、意外に難しいことがある。案外、気が向いたときだけ食事するような生活でも生きていけるみたいなんだけど、ひょとすると未来のいつかにひどい目に遭うのかもな、とか思ったりする。眠るのを面倒がっていたら、休みの日に寝過ごせなくなってしまったみたいに。
100円硬貨を投入した。
10円硬貨を2枚投入した。よくがんばりました、と『理性』は帰っていって、代わりに『なんとなく』がいちばん押しやすかったボタンを押した。
ものすごい勢いで投入口めがけて飲み物が降ってくる自販機と、そうでない自販機の違いについて漠然と思いながら、屈み込んで、それを拾う。冷たい。はずなんだけど、秋の空気の方がずっと感じさせた。てのひらが濡れる。
買ったばかりのペットボトルを肌につけたりしなくなった。
夏、終わったなあ、って思う。
それからふらふら、家路を辿り始める。
今日の午前中、なにやってたっけ。
なにもやってませんでした。
今日これから、家に帰ってなにをしようか。
なにもできないんだろうな。
そろそろ起きたいな、と思う。
もう半年くらい、一度も起きてない気がする。
頭の中には冷たい歌が流れつづけている。
口ずさんだ一節目が、あまりにも調子はずれで、すぐにやめてしまう。
夢をみなくなったな、と思い出す。
昔はどんな夢をみてたっけ、と思い出せない。
なにをみても、なにも考えなくなった。
あ、花。
ピンク色。桃色。いまはもう、秋だから桃じゃないんですか。たべたいな。桃じゃなくて、花のこと。このまま歩く向きを変えずにずっとまっすぐ歩いていって、自然と口の中に花が入ってくるように。
あとどのくらい生きるんだろう。
半袖だと肌寒い。
長袖だと、すこし暑いかもしれない。身体の力が抜けて、ペットボトルを取りおとしそうになる。
悲しいのが好きだな、と思う。
悲しくなりすぎたくはないな、と思う。
帰って眠りたいな、と思う。
眠ってしまえば今日が終わる。嫌だな、と思う。眠りたくないな、眠るのはめんどくさいな、明日の朝まで起きてしまおうか、睡眠なんて、二日に一回くらいにしてしまおうか。手に提げたレジ袋が急に重たく感じる。こんなもの買ったんだっけ。なにを買ったんだっけ。私これ、帰ったらちゃんと食べなくちゃいけないんだな。めんどうだな。だけどほら、パックに詰められる前の生き物のことを思ったりもするわけだし。
空気は濡れたようにつめたい。
雨の気配と、雨の降った跡ばかりみえる。雨が降っているところは、最近ずっとみない。
さよならって言う相手がほしい。
センチメンタル浸りたい。
びしょびしょになるまで。
あそれそれそれそれそーれそれー。
ぜんぶ笑って済ませたい。
深刻になんかなりたくない。
空は白い。
ところにより暗い。
あたまいたい。
くすりがある。
かばんのなかに。
いえにかえろう。
「ハッとしろ」
ハッとしました。
あんまりハッとできませんでした。
たまにいまは夢の中で生きてるんじゃないかと思うことがある。
あんまりにもすべてがぼやけているから。景色も、私も。
この世界に、なにか形のあるものが存在しているとは思えない。
絶対そんなわけないのは、わかる。わかるから、思うだけ。
またぼんやりしていた。
ぼんぼんぼんくらぼんやりぼん。
お盆のころの記憶。お盆も終わったから死者の国に帰らなくちゃとか思ってた。8月の私はなにか大変そうだった。9月の私は、たぶん、そんなでもない。
顔を上げる。
空が高いな、と思った。
よかったなあ、と思う。
家が近づいてくる。
気の利いた言葉がいるなあ、って思う。
住宅街。
音がない。
みんなこのあたりの人たちは、土日になるとどこに出かけていくんだろう。
アパートの駐車場はいつも世界の終わりみたいに空いている。
部屋に鍵、かけてでてきたっけ。
どこからか声、きこえてきませんか?
あーあ、きこえてきちゃった。
世界って、滅んだりはしませんか。
しませんか、そうですか。
世界が滅ばないなら、自分で話を終わらせるしかない。
たとえば一生の終わりに、一時代の終わりに、一年の終わりに、一季節の終わりに、一月の終わりに、一週間の終わりに。
一日の終わりに、眠るように。
常になにかしら、終わらせていかなくちゃいけない。
自分の行動によって。
家まであと何歩?
気の利いた言葉を考えよう。
気の利いた言葉一つあって、それを呪文のように終わり際に唱えれば、それだけできっとぜんぶ良くなるはずだから。
景色って、いつの間にかどうでもよくなってた。
思いって、いつの間にかどうでもよくなってた。
まいったな。
たいしたことして生きてるわけじゃないから、もう言葉にすることがないや。
風が涼しい。
つめたい季節。
うれしい。
そればっか。
なんてこと、思っていたらもう着いた。
今日のお話はこれでおしまい、おしまい。
私の人生もこれでおしまい、おしまい。嘘。まだつづく。
綺麗に終わらなくても、延々続く生活は。
綺麗に終わらないから、延々続く生活だ。
週末に終末を思います。
くっだらなさすぎて笑いが出ます。
もうひとつくらい重ねたいな。
しゅうまつ、秋、末。
でもやっぱ、まだ秋ははじまったばかりだから無理かななんて。
はじまったばかりの人生で思ったりして。
ドアノブにふれる。
つめたい感触。
あーあ、鍵。またかけ忘れてる。
あ、つめたい。
冬だ。
振り向いたりした。
空がみえたりした。
ひかりがみえたりした。
夜がもうすぐ来るって、そんな気がした。
だったら、まあ。
秋の夜だもの。
冬みたいな寒さになるに、決まってるよね。
だったら、ここを開けば。
「秋ももう、終わりだなあ」
週末の秋末に、終末のことを思っています。
くっだらなくても、それが生活。
ドアノブを下げる。
扉を開ける。
外から内に、帰っていく。
「おやすみ」
ささやく。
背中で扉が閉まる。
暗闇の中、閉じ込められる。
早く冬が来るといい。
生きる理由が、もうすこしほしい。