プロローグ
遥か昔、木の葉と水の翠が美しいが、しかし痩せた土地と切り立った山に囲まれているという厳しい環境であるこの地を治めた一人の人がいた。
その人の名は、ウォルクハルト=オステンフローエ。
その人物は随分と変わり者だった。
力を求める国々がひしめく大陸で、一人暴力による蹂躙と圧迫ではなく、知力による啓蒙で民草を纏める統治を望んだのだ。
そして彼は中立と平和を謳い、何処よりも清浄で平和な国を目指し、一滴の血も流す事なくひとつの国を生み出す。
それこそが此処、オステンフローエ公国。
それから長い時を経て、平和であるが不毛の地と言って差し支えないこの国に、外交によってある程度余力が生まれた頃。
様々なものが流れ込み、その上平和に人々が満たされ始めたころ、それは文化の花開く時。
ある種運命と言える出会いがあった。
この物語は、そんな小国を舞台に未来の芸術家と不思議なある青年の、他愛もないひとときの交わりを描くものである。
→はじまり。
こつり、こつり。
廊下の向こう側から靴音に混じり、ぎしりと時折軋みを上げる木の床板の、悲鳴とも言える音がする。
こつり、音の近さからしてもう一歩で扉の前か、そのような頃合いで扉の向こうから、嫌というほど聞き飽きた心底苛つく間の抜けた声が響いた。
「シルヴェストロ君〜ッ?入るね?」
声と同時に差し込んだ光、開けていいと許可する前に扉を開けたのは予想通りの人物。
すらりと伸びる均整のとれた肢体に上等な衣服を纏い、甘く目を引く整った顔に常に軽薄な女受けする笑みを貼り付けた優男、そう奴こそ俺の不倶戴天の敵。
「おいハインリヒ!!テメェ何回言ったらドア開けていいか聞くの覚えるんだ!?」
「えー、僕ちゃんと声かけたでしょ?」
「俺は入って良いなんて一言も言ってねぇ」
ひらひらと手を振りながら、淡いこがね色の髪を翻す姿はムカつくくらい絵になって、だからこそそのような振る舞いが許せない。
そして実際問題その人物が俺の目の前の大理石の塊の題材になっている事も。
無意識下に握りしめた鑿、それを見て目の前の男は何を間違ったか真っ青になり叫ぶ。
「えっ、ちょっ……そんな物騒なもの僕に向けないでぇ!」
「向けてねぇよ馬鹿!んなこと言ってっと頭本当にかち割るぞ」
当然商売道具に血と脂が付いては溜まったものではないので冗談の範疇を出る事は無いが。
嘆息し、俺は作業台の上に鈍く光る鑿を置いた。
「で?一体何の用だ」